子どもの頃にベーゴマで遊んだ思い出やエピソードの一覧。ベーゴマのルールと遊び方。
ベーゴマとガキ大将の思い出
katsuさん 兵庫県1951年生まれ 男性 僕はベーゴマよりベッタン(僕らの地域ではメンコの事をそう呼んでました)が得意でした。 それでも近所の子供が「ベーゴマやろよ」と誘いに来ました。 石油の空き缶の上に布地を張り、詰め引き、垂れた部分を紐で縛って敷物をピーンと張ります。 その中にベーゴマを凧糸で巻き、勢いよく水平に敷台に一勢に投げ入れます。 すると勢いよく回ったベーゴマは中心に向かって段々寄って行き、ぶつかり合います。 独楽は真ん中てぶつかり合い、よく回ってる独楽がカチンと相手の独楽を外に弾き出します。回転を止めた方が勝ちです。 勝った方が相手の独楽を貰えるのです。 僕は回すのが下手で負けてばかりでした。するとガキ大将が僕の代わりに勝負し、勝った分を僕にくれました。 独楽は重くてバランスの良い物がいいので、角を研磨して強い独楽に仕上げていました。 ガキ大将がそのうち何個か持っている独楽の中から一個くれました。 「よし!明日勝つぞ!」と言う思いで、家に帰りました。 僕はベーゴマよりベッタン(僕らの地域ではメンコの事をそう呼んでました)が得意でした。 それでも近所の子供が「ベーゴマや...つづき
歴戦の勇士はちょっとズルい?
hanai-senseさん 大阪府 1972年生まれ 男性 昭和50年代後半の小学生時代に、古くからある近所の駄菓子屋に友達数人で行きました。 いつものように何を買おうかと物色していると、奥の方の棚にベーゴマがありました。「これ何や?」「どうするんや?」と話してると、一人が「知ってるで、『こち亀』でやってた。 回してぶつけて、残ったもん勝ちや」と言ってましたが、回し方も分からずその日はそこまででした。 後日みんなで行ってる子ども会のソフトボールの練習後に、その話をコーチにしてみると、他のコーチや監督までが「久しぶりやな~ヨッシャ!回し方教えたろ!」と言い出したので、みんなでやってみることにしました。 翌週新しいベーゴマと紐をもって集まると、大人の方が準備万端で待ち構えてくれていました。樽の上にシートを張った「場」まで用意してました。 さぁ勝負と思いましたが、これがなかなか回る所までが難しく、半日かかってやっとのことで回せるようになりましたが、歴戦の大人とは全く勝負にならず、大変悔しい思いとともに、少しの尊敬を抱いたのを覚えています。 30年ほどたっておじいちゃんになったコーチ達にどうし...つづき
年上のお兄さんから学んだベーゴマの思い出
たけしさん 愛知県 1970年生まれ 男性 生まれは北海道札幌市ですが、親の転勤によって愛知県に3歳から8歳まで住んでいました。 当時この地域は近所に複数の駄菓子屋が営業をしていて、親にねだってお小遣いをもらい、30円もあれば菓子類であればいくつも買えた時代です。 幼稚園から小学校2年生まで親友と呼べる友達がいて、駄菓子屋に通うことが多々ありました。 ある日のこと、友人と駄菓子屋に行った時に、恐らく小学4年生くらいのお兄さんたちが、太鼓をカットしたような円形の土台を使って、駄菓子屋の前でベーゴマ遊びをしていました。 かなり興味を持った私は、直ぐに帰宅をしてお小遣いをもらい、人生初となるベーゴマを購入しました。 紐を巻き付ける方法も分からず苦戦していたところ、親切なお兄さんたちから紐を結ぶ部分と巻き方、投げ方を習うことが出来ました。この日を境にしてベーゴマに熱中していました。 我が家は1階部分が事務所になっており、床がコンクリートだったので絶好の特訓スペースになりました。 後日、駄菓子屋に行くとお兄さんたちから仲間に入るように勧められました。合図と共に自信たっぷりにベーゴマを回しました。...つづき
「ベーゴマと遊び仲間」最強ベーゴマの思い出
LongDYさん 東京都 1955年生まれ 男性 それはもう遠い昔です。私が10歳くらいの時の事ですからかれこれ50年以上も前の事ですね。 当時やっと、テレビも白黒からカラーに成る時代でしたので遊びも限定的でした。 家でやる遊びはトランプ、すごろく等、今では珍しくなっている物しかなく。中心は外での遊びです。 学校が終わると年齢差1〜2年内の子供たちが集まり、まずは人数と場所が確保できれば野球。それもボールはソフトボールで大きさは軟球の大きさでした。 人数が集まらない、場所が確保できない場合は、神社の境内に行ってめんこ、ビー玉、そしてベーゴマです。 ビー玉、メンコ(牛乳瓶の紙のふたも含む)は比較的年齢が低くても簡単に出来るので、多くの子供たちがそのもの自体(ビー玉、メンコ)を賭けて遊んでいました。 ベーゴマはその物自体に削りなどの手を加え、ひもを使っての回し方のテクニックは、年少にとっては難しい領域でした。割と高学年の少年向けの遊びと成って居ました。 ベーゴマを回す台は、漬物桶の様な丸い台のふたを取った状態で布を上に置き、その周りをひもで縛り、丸くなった布の中心をほんの僅かたわませて中心...つづき
ベーゴマ遊びは男のロマン「ペチャ」「タカ」「ちゅうだか」
manjukoyさん 東京都 1958年生まれ 男性 ベーゴマ遊びはとにかく熱く面白い遊びでした。 バケツの上に土俵をみたてた厚手の布を敷き、そこでベーゴマを回して相手と勝負します。3、4人位で一斉に回して相手のベーゴマをはじくという遊びです。 バケツの土俵から外にはじかれ落ちたら負けで、そのベーゴマは勝者に没収されます。 つまり遊びと言っても自分が持っているベーゴマがなくなるわけですから必死でした。 ベーゴマの種類と言いますかコマの高さが色々あって、高さのあるものを「タカ」平べったいものは「ペチャ」そしてその中間の高さのものを「ちゅうだか」と呼びます。 それぞれ特徴があって「タカ」で戦うときは上からたたきつけるように相手のベーゴマにぶつけて弾き飛ばすときに有利なベーゴマ。 その技をガッチャと呼んでいました。たたきつけたあとも自分のコマがしっかり回っていないと勝負不成立になります。 「ペチャ」は平べったく低いので、自分より高いベーゴマの下に入り込んで軸を狙うので弾きやすくなります。 勝負に勝つためにベーゴマの角や軸をヤスリで削って調整したり、コマに紐を巻きやすくするために巻く溝も削って...つづき
「ほぼ詐欺だろ!」ベーゴマの思い出
YOWAIZOさん 青森県 1964年生まれ 男性 初めてやったのは小学校1年の時だったと思います。当時はメンコが激烈に流行ってりましたが、少し上の年のお兄様方の間では、ベーゴマも流行っていました。 メンコに比べてベーゴマは大分高価であったため、小学1年の自分には手が出せずにいました。 ところが家族で街に食事に行った時に、酒に酔った父が程度のいいベーゴマを買ってくれました。ただし、家の中で自分だけで遊ぶという条件付き。 憧れのベーゴマを手に入れた自分は、うれしくなっていつもポケットに忍ばせておき、取り出してはしげしげと眺めておりました。 そこを目ざとく見つけた上級生のお兄様の一人が「教えてやるよ」と近寄ってきて、丁寧に紐の巻き方など教えてくれました。 そして試しにやってみようという話になり、実際に手合わせしたところ自分が勝ってしまいました。その時はタイマンだったので、1個手にいれたわけです。 その日はそれで終わり、また明日ということになったのですが、その日の晩はうれしくてうれしくて寝付けませんでした。もちろん家族には内緒です。 そして運命の次の日になったのです。ここまでくれば予想がつく...つづき
自分なりのベーゴマを作り上げる
かぶとんさん 東京都 1958年生まれ 男性 ベーゴマをやるには、まず、バケツなどを用意し、その上にブルーシートや厚手の布をかぶせ、周りを縛り「トコ」をつくります。中央はへこませることで、対戦がしやすくなります。 現代のベーブレードとよく似ています。 ベーゴマの巻き方には2種類あり、多分隠語なのでしょうが、「ち○んこ巻き」「まん○巻き」と読んでいました。地域的な特性があるかもしれません。 巻くときに滑ることがあるので、紐を舐めていました。今考えると、とても不潔です。 ベーゴマの種類は、通常のもの、背が低いもの、大型のものが当時ありました。 より強くするために、自分なりの加工を加えていました。たとえば、上部に蝋を垂らして重くしたり、軸の部分をやすりで削り、より回転力が増す工夫をしたり。その作業はとても楽しかった記憶があります。 勝負の基本は、相手のベーゴマを「トコ」からはじき出すことで、相手のベーゴマを奪い取ることができます。 とにかく「力」(リキと呼んでいました)を入れることが重要で、いかにひもを力強く引けるかが要です。 敵をはじき出したときの快感は、今でも覚えています。1960年代後...つづき
ベイブレードで知ったベーゴマ
鳩サブ子 大阪府 1995年生まれ 女性 私は3人兄弟の末っ子で兄とは7歳差、姉とは5歳差でした。2000年ごろに「ベイブレード」というアニメが流行っており、兄は当時12歳ごろだったのでちょうど大流行していた時期だと思います。 その頃私はまだ5歳でさほどベーゴマの記憶はほとんど残っていません。しかし、兄がハマっていて一緒に遊んだという話を母から聞きました。 私が10歳ぐらいになった頃、兄のお下がりの勉強机にはベイブレードのシールがたくさん貼ってあり、ベーゴマもいくつか残っていました。 小学校の授業で「日本の昔からの遊びで遊んでみよう」という内容のものがあったのですが、けん玉や羽つき、お手玉の中にベーゴマがあったことを記憶しています。ベイブレードでベーゴマの存在を知っていた私はすぐにベーゴマに関心が向きました。 そのとき見た昔のベーゴマは、ベイブレードのベーゴマと違って鉄でできており、肌触りのいい質感で重厚感。当時の私の小さい手にしっかりフィットしました。 紐で何重にもぐるぐる巻きにして投げてスッと紐を引き抜くタイミングが難しかったと思います。悔しくて何回もトライしてるうちにベーゴマがう...つづき
大掃除のときに出てきたベーゴマの思い出
sizukuさん 茨城県 1986年生まれ 女性 小学生の頃に家族で家の大掃除をしていたら、昔親が遊んでいたというベーゴマが出てきました。コマの遊び方は知っていたのですが、ひもを使って回すベーゴマは初めてでした。 親は「懐かしいなぁ!これどうやって遊ぶか知ってるか?」と聞くので「知らない」と答えると、自慢気にこうやるんだよとコマにひもをぐるぐると巻き始め、さっと引き投げて回してみせました。 ベーゴマが素早く回転して勢いよく回ります。その様がなんだか特別なことができる人みたいに見えてすごい!と思いました。 やり方を教わって自分でもやってみるのですが、なかなか上手くできずコマが回りません。見かねた親が「これはコツがあるんだよ。ほとんどこれでよく回るかが決まるんだよ。」と教えてくれました。 ひもを巻くときに、とにかく丁寧にきれいに巻くのがコツみたいです。私と兄も一緒にやってみると、なんとか成功しました。 平らなテーブルの上で回していたのですが、勢いがつくとコマ同士がバチバチと当たり合い弾くのが楽しくて、その後もしばらくは兄と競い合って遊んでいました。 少しのコツでコマの回る強度がつくようにな...つづき
駄菓子屋のベーゴマ
おむすびさん 香川県 1979年生まれ 男性 小学校の頃でした。近所におばちゃんが営んでいた駄菓子屋さんにベーゴマがありました。その頃はガンダムのプラモとかエアガンが人気で、ベーゴマはすでに昔のおもちゃ枠になっていたので、見向きをすることもなく素通りをしていました。 私は小学校のクラブ活動で工作クラブに入っていました。私が工作クラブに入ったのは、好きなプラモデルを月に一回学校に持って来て作る名目で、親にプラモを買ってもらうためでした。 工作クラブでは上級生の子たちがベーゴマ対決をしていました。上級生の子たちはある程度プラモ作りも終えて、違う遊びを色々やってみたかったんだと思います。 大掃除に使うワックスが入っていた筒形のカンカンに布を張り、その上にお互いベーゴマを落として先に止まるか、はじかれて落ちた方が負けという「喧嘩ゴマ」のルールでした。 私もお小遣いを握りしめ、駄菓子屋でベーゴマを買って練習をしたのを覚えています。上手く回すのに苦労しましたし、カンカンの上にコマを落とすのにも苦労しました。今となっては良い思い出です。 100均にあったベーゴマを買って、子供に回し方を教えたりしてい...つづき
何やってんの!!ベーゴマで怒られた思い出
かずきさん 福島県1983生まれ 男性 多分お正月とかだったと思います。小さい頃に親戚一同が我が家に集まりました。親戚のおじさんが、竹トンボやベーゴマ、福笑いなどを持ってきてくれて、「たまにはみんなでこういうので遊ぼう!!」となりました。 子供達で一斉に玩具をとって遊びだしました。親戚のお兄ちゃんがベーゴマを手に取り、紐をコマに巻いていきました。 僕はお兄ちゃんの紐を巻いてる所をジッと見て、自分も見おう見まねでコマに紐を巻いていきました。お兄ちゃんは水切りのフォームで綺麗にコマを回しました。 それを見て僕は「野球投げじゃなくて、水切りの感じで投げれば良いんだな。よし!お兄ちゃんのコマなんか弾き飛ばしてやる!!」そう思った僕は1メートルくらい後ろに下がり、助走をつけ、お兄ちゃんのコマめがけて勢いつけて投げました。 水切りというか、ドッチボールの横投げのフォームで。物凄いスピードで飛んで行ったコマは、案の定ガラスにガチャーン!「何やってんの!!」母親から雷が落ちました。今となっては良い思い出です。
児童館のベーゴマ遊び
るんるんさん 兵庫県 神戸市西区 1988年生まれ 男性 私は小学生の頃、学校終わりに児童館に毎日行っていました。みんなとよくベーゴマで競い合って遊んでいました。 その通っていた児童館には、技のやり方を書いた紙があり、初級は普通に回すことから始まり、紐を使って綱渡りをしたり、回っているベーゴマに紐を絡めて宙に飛ばして手の平に乗せて回すなど、色々なレベルの技に挑戦していきました。 自分が今どれぐらい出来るようになったのかチェックを付けます。児童館にいる先生に検定試験的なものをやってもらい合格することができれば、その児童館の中で表彰を飾ってもらえるというものでした。 それをもらうことが出来ると周りに自慢する事もでき、目立つことが出来るのでみんな必死に取り組んで遊んでいました。 ただ、ベーゴマの数もそれほど多くあったわけではなく、早く来た人から順にできるので、取り合いになって喧嘩したり、順番が回ってこなくて先生から怒られたり、いろんなトラブルがありました。
学童保育のベーゴマ遊び
ゆいぽんさん 神奈川県 1995年生まれ 無回答 普通の独楽とは違い、ベーゴマはテクニックが必要です。小学生の私にはなかなか回せず、上級生の友達と遊べず悔しい思いをしたこともあります。 何回も練習してついに回せたときの達成感や喜びは忘れられない程の思い出になっています。 私は、学童保育でよく遊んでいたのですが、一人一個自分のベーゴマがありました。回せるようになった人は、ちょっとした学童内での大会に参加することができ、そこで勝った人は、商品と勝った相手とのベーゴマ交換の権利がありました。 どのベーゴマもデザインは似通っていて、今にして思えば、なんでそんなにほかの人のベーゴマが欲しかったのか不思議でなりません。それでも自分が欲しいと思ったベーゴマを勝ち取った時には子供ながらも誇らしく思ったものでした。 今でも、子供と関わる機会は多くありますが、どの子供も今はベーゴマをやっていないようで、時代を感じ悲しくなることもあります。
ベーゴマを教えてくれた友達
たいさん 埼玉県 1976年生まれ 男性 小学生5年生の時、私は転校しました。引っ込み思案の子供だったので新しい環境にもなじめず友達もなかなか出来ませんでした。 学校の休み時間も一人で机にうつ伏していることが多かったのですが、ある時、H君が「君はベーゴマ持ってる?」と話しかけてきました。 私はベーゴマはおろか、独楽さえも持っていません。持っていないと伝えると学校が終わったら公園に来るように言われました。 学校から帰ってランドセルを置いて公園に行ってみると、H君とK君がいてベーゴマで遊んでいました。僕が近づいていくとH君が「はい」といってベーゴマとヒモを私に渡しました。 私は「やったことがないから出来ないよ」と伝えると、H君はヒモの巻き方と投げ方を教えてくれました。結局、その日私は、ベーゴマをまわせませんでした。 帰り際H君が言いました。「そのベーゴマをあげるから、練習しなよ。すぐ回せるようになるよ」私は家に帰ってからも、ベーゴマの練習をしました。 ベーゴマを見た父は懐かしいがって私からベーゴマを取り上げるといとも簡単に回しました。その後、父からも教わることでベーゴマを回すことが出来るよ...つづき
「駄菓子屋で運命の出会い」ベーゴマ遊びの思い出
昭和チルドレンさん 宮崎県 1968年生まれ 男性 昭和の小学生の社交場、それは駄菓子屋。そこで友人と見つけたベーゴマ。当時の小学生は遊ぶ時間はイヤというほどあったので、友人とベーゴマにチャレンジしてみました。 怪しげな説明書きを見ながら、ヒモの先の方に1cmぐらい開けて結び目を2か所つくりました。その2つの結び目をとっかかりにして、ベーゴマにヒモを巻きつけていきます。 これがなかなか難しく。頼りなさそうな説明書きを真似しながら、巻きつけていきました。なんとか巻きつけて、固そうな地面に向けてスナップを効かせて回してみました。 最初は、むなしく転がるだけでした。しかし、時間だけはたっぷりある小学生だったので、友人たちとあーでもない、こーでもないと言いながら、何度も何度もチャレンジしました。 だれかのが、少しでも回り始めると、そいつのやり方を真似しながら、研究開発が進みました。これぞ昭和の遊びの醍醐味といった感じでした。 みんながそこそこ回せるようになったら、大きめのバケツに布を張って、ベーゴマの台をつくりました。台の布をぴんと張るのもコツがあって大変でした。 最初はその台の中に着地させる...つづき
戦わずして遊ぶベーゴマ
harukazuさん 岐阜県 1989年生まれ 男性 小学校6年制の時、クラスの中でベーゴマが流行りました。私ははじめ、ベーゴマの存在も知らず遊び方もよく分かっていませんでした。 仲の良かった子がやっていたこともあり、コマを購入し戦っていくうちにベーゴマの魅力にとりつかれました。 相手のコマを飛ばして勝った時の快感は今でも忘れられないです。みんなで集まってワイワイ騒ぐこともとっても楽しかった。 ある時一人の子がどこから入手してきた情報なのか分かりませんが、「コマを削るときれいだし角がとがって強くなる」と言って自分のコマを削ってきました。 そのコマを見た時、キラキラと銀に光ったコマが本当にかっこよく、強そうに見えました。自分も真似してみたいと思い、やり方を聞きコマを削ってみました。 削られたところがきれいに光るのが嬉しく、オリジナルのものを作っている感覚がまた面白さを増し、みんなどんどんとこだわるようになっていきました。 いつしかコマを回して戦うよりも、いかにきれいなコマを作るかが主になっていきました。今はどこにいってしまったか分からないコマですが、思い出としてはずっと大切なものです。
ベーゴマ遊び そこでは沢山のことを教えてもらいました
akusubさん 東京都江東区 1957年 男性 その当時は、今と違って、年齢に関係なく、様々な学年の友達グループがあって、遊びの種類でもグループ別に遊ぶことが自然に出来ていました。 メンコのグループ、ビー玉のグループ、ベーゴマのグループ等々。もちろん、重複したメンバーもいるのですが、多くの遊びのための集まりがあちらこちらに存在しているのでした。 それぞれに得意な分野があって、そこで技量を競い合うというところが楽しみの一つでもあったのです。 年下の子に年上の子がツルツルしたベーゴマをどうやって回すのかを手取り足取りで教えるところから始まります。 回すひもで結び目を二つ作り、それを上手にまいて、たたきつける様にバケツに敷いた特殊なシートに投げ込むテクニック。 出来ずに泣きたくなるような時もありましたが、みんながめげずに一生懸命に教えてくれたので、上手く回せたときの喜びは何とも言えないものでした。 しかし、ひとたび勝負となればお互い容赦はしません。年上の子が、年下の子を負かせて、ベーゴマを取り上げることも当たり前で、その逆もあることで、勝負の厳しさを身に染みて身体で学ぶのです。 子供の世界...つづき
10人で一斉ベーゴマ
あそびーさん 大阪府 1978年生まれ 男性 小学校の低学年の時、よくベーゴマで遊んでいました。隣の小学校では全然流行っていなかったけど自分の小学校ではとても流行っていました。 大きめのフライパンを用意して、その中でお互いにベーゴマを回し、ぶつからせてはじき出したら勝利というゲーム。勝つとそのベーゴマを取られるということをしていたので、勝てばうれしいし、負ければ悔しいという感じでした。 一度自分のベーゴマを全部取られてしまい、悔しい思いをしましたが、何個か返してくれたのでよかったです。 コツは無理に回そうとするのではなくて、腕を使うのではなくて体を動かすようにして回すと、勢いよく最後まで回転を保つことができます。 10人ぐらいで大きな机の上で一斉に回し、最後まで残れば勝ち。すべてのベーゴマをとれるというゲームをやっていました。1年程度でベーゴマで遊ぶことはなくなったけれど、今思えばみんなで遊ぶことができた良い経験をできたと思います。