1989年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1989年生まれ

「野良犬 人気者になる」第一発見者の生徒もヒーロー

まいまいさん 愛知県 1989年生まれ 女性 私の母校周りは田んぼに囲まれた、川や竹藪などがあるのどかな田舎町でした。 小学生の頃、登下校時に年に一度くらいは野良犬に遭遇していた頃で、学校に野良犬が迷い込んでくるのも年イチ行事くらいな間隔でありました。 やはり年イチ行事、且つ突然訪れる行事だけに、野良犬が迷い込んで来たその日は全校生徒がざわつきます。そして一目見ようとあちこちから生徒が集まって来るのです。 先生方は生徒の安全を守る為、必ず「教室から出るなー!」と叫んでいました。 そして、野良犬を追い払うのはいつも決まって教頭先生でした。教頭先生が代わってもです。もしかしたら教頭先生の業務一覧に「野良犬を追い払う」という項目があったのかもしれませんね。(笑) そして、野良犬を見つけた生徒もヒーローとなるのです。なので「先生、犬がいるー!」と言った者勝ち。自分が見つけたかの如く、生徒たちは口々に叫んでいました。 今ではセキュリティ面が強化され、大抵学校の門は閉まっていますし、住宅地が増える事で自然が減り、野良犬もなかなか見なくなりました。昔ならではの思い出話です。
1989年生まれ

「安心出来る場所だった」砂場で遊んだ思い出

ガウチョさん 北海道 1989年生まれ 男性 子供のころは、今のように遊具が危険扱いされておらず、どんなに小さい公園でも滑り台にブランコ、ジャングルジムや雲梯などが置いてありました。 活発な友達にとってはそういう遊具で危険な遊びをするのが流行っていました。ジャングルジムの上に立ったり、球形遊具でできるだけ早く回ったり…。 友達と一緒の空間で遊びたい癖にそういう遊びには混ざっていけなかった自分にとって、砂場遊びは心の救いのようでありました。 小さなバケツを持っていき、水飲み場で水を汲んでは砂を固め、積んで…高い塔や城のようなものを作れば一目おかれました。それをやっている間は当然他の遊びに混じる必要はありませんでした。 エスカレートしていく遊びに入ってケガをするのが何より恐ろしかった私は、小さな砂場で何か熱心にやっている…という体で自分を守っていました。 まあ高学年になるにつれそれも通用しなくなり、屋外遊びができないなら来るな、という雰囲気になってしまってからは行っていないのですが…小さい頃はよかったです。
1989年生まれ

「負けたら告白」罰ゲームの思い出

まささん 東京都 1989生まれ 男性 小学生の頃、気がついたら何か遊ぶにしろ罰ゲームをやるのがお決まりになってしまった時期がありました。 初めはデコピンやらシッペなど簡単なものです。 1番良くないなと思ったのは告白でした。 楽しんでいる側は楽しいだけで、なんとも無いと思いますし、告白する側も罰ゲームだから、と割り切る事もできるかも知れません。 告白された人からしたらこんなに残酷なことは無いです。 ある日の罰ゲームにて告白をした友人。返事はまさかのOK。実は告白された女の子は近いうちにその友人に告白をしようと思っていたらしく、一つ返事で告白をOK。 しかし小学生の口にチャックなんかある訳もなく、即日罰ゲームであったことが本人にもバレてしまい、別れてしまいました。 友人も実は気になる存在ではあったらしく。両思いであったのに罰ゲームなんかで告白をしたものだから上手くいくはずの二人が上手く行かなくなってしまったのは、幼心に複雑な気持ちでした。 それ以来罰ゲームは身内だけで完結するものがメインとなっていきました。
1989年生まれ

「怖い箱」箱ブランコの思い出

りんさん 東京都 1989年生まれ 女性 物心がついたとき、通っていた幼稚園にも近所の公園にも箱ブランコがありました。私は早生まれで他の同級生よりも体が小さく、運動神経も悪かったのです。 幼稚園の先生は子供たちを箱ブランコに乗せてくれたのですが、私にとっては恐怖の箱そのものでした。 きちんと席に座ってゆっくり漕いでもらう分には構わないのですが、やんちゃな子供たちはそれだけでは物足りません。 男の子も女の子も背もたれのところに足をかけて立ち上がり、外から自分の体重をかけて箱を揺らすように漕ぐスタイルが多かったように思います。 そうすると当然揺れがどんどん大きくなって怖いし、もう簡単には降りられません。乗っている本人たちはもちろん危ないのですが、ふり幅が大きくなるので周りにいる子も気を付けないと巻き込まれてしまいます。 友達が何度か立ったまま飛ばされたり箱ブランコの下で頭をぶつける姿を見ていたので、そのたびに怖くてあまり近づきたくなかった思い出です。 今でこそ安全面から見かけなくなりましたが、思い出すとぞわぞわしてしまいます。
1989年生まれ

かまくらの思い出

ひえんさん 山形県 1989年生まれ 女性 私の住んでいる地域は豪雪地帯で、家の回りには背丈を越えるほどの雪が積もっていました。 小学生の頃、父の提案でかまくらを作ることに。作り方は簡単で、固めた雪に穴をあけるだけです。私と弟はさっそく雪山に登り、足で雪を踏み固めていきました。穴を掘るのは父の仕事。 今では考えられませんが、当時は雪がしっかり固まってさえいれば上に登って遊んでいても怒られなかったのです。 雪は柔らかい部分と固い部分があって、弟は時々柔らかい部分にはまって動けなくなってしまうので、ドキドキしながらの作業でした。 穴を掘るのも結構な重労働です。朝から始めて、完成したのは夕方だったように思います。父は凝り性で、ただ雪山に穴をあけるだけでなく、雪でテーブルと椅子、ランタンを置くための小さな棚まで作っていました。 「雪で作ったのだから寒いはず」と思っていたのに、かまくらの中は暖かくて驚いたことを覚えています。 その日の夕食はかまくらの中で焼肉。当然、その熱で雪が溶けて頭にポタポタと降ってくるのですが、それすらも家族の楽しい思い出になりました。
1989年生まれ

裏庭でソリ遊び

りんさん 山梨県 1989年生まれ 女性 私は小学生のころ、都市部から山梨県へ引っ越しました。それまでは、せいぜい雪が降っても少ない雪をかき集めて小さい雪だるまを作るくらいでした。 しかし引越し先は雪も積もるし庭もある!ということで簡単なソリを買ってもらい、妹と積もった雪に傾斜をつけて滑って遊んでいました。 最初は長靴を履いているのですが、そのうち中に雪が入ってびしょびしょになると、最終的には裸足にサンダルです。当然寒いので、しっかりスキーウェアは着ています。 さすが子供というのか、足の冷たさよりも楽しさの方が上回っていたのだと思います。当時の写真をたまに家族で見るたびに、格好は重装備なのに裸足というギャップに笑われます。 積もった雪にみかんを埋めて、冷凍みかんも作りました。しかしいくつ埋めたのか忘れてしまい。雪が溶けた頃にブヨブヨになったみかんが出てきて思い出す。なんていうこともありました。 一度大雪が降ると通学は大変で苦労しましたが、今ではできない体験もしていたなと思います。
1989年生まれ

おばあちゃんの家での雪遊び

mqqsさん 山形県 1989年生まれ 女性 私は東北の出身で、祖母の家は山形にありました。長期休みは母の運転する車に乗り、よく遊びに行っていました。 冬になると膝までかかるくらいの雪が毎年積もり、私を含め兄弟は祖母の家で遊ぶことが何よりの楽しみでした。柔らかくしっかりした雪は雪だるまやかまくらを作るのに最適です。 雪国には大きなシャベルやスコップは常備されているので土台は簡単に作れます。家の周りや庭の雪をかき集め、兄弟と完成させました。 雪だるまには庭の赤い木の実を目にして、駐車場の石を口にしました。 かまくらは穴をあけるのが難しいので祖母にお願いし、子ども一人入れるくらいのものを作るのがやっとでした。 東北ではなかなか雪が溶けないので、作った雪だるまやかまくらは数日残ります。 誰が一番大きなつららを取れるか、大きな雪玉を作った人の勝ち、など遊びは尽きませんでした。 とにかく楽しくてあっという間に時間が過ぎましたそ、疲れも感じませんでした。東北ならではの雪の楽しみ方だと思います。
1989年生まれ

今も昔もブランコは人気遊具

たまねえさん 北海道 1989年生まれ 女性 実家の近所にある公園で、必ず遊んだのがブランコです。いつも人気で、上級生が遊んでいるといつまでも待たされてしまい、乗れないまま夕方になってしょんぼりしながら帰宅したこともありました。 遊べたときは友達とどこまで高く漕げるかを競ったり、ブランコの二人乗りをしたり、ブランコに乗りながら靴を飛ばして遊んでいました。 危なかしい遊び方もしたと思いますが、当時はブランコで遊べるだけでとてもテンションが上がり、楽しかったです。 そこから5〜6年経って、高校生や専門学生になったころ、久しぶりによく遊んだ公園へ行くと、ブランコがとても小さく感じました。座ってみると、お尻がピチピチ状態でだいぶきつくなっており…ある意味での成長を実感させられました(笑)。 現在は子どもも生まれ、よく公園に遊びに行くのですが、やはりブランコは人気者。子どもたちが列をなしています。 いつの時代も人気遊具として鎮座し続けるブランコってすごいなあと思います。
1989年生まれ

おはじきを飲み込んでしまった 苦い思い出

みさん 兵庫県西脇市 1989年生まれ 女性 私が子供の頃、ガラスでできたおはじきのキラキラが好きで集めていたので、祖母がよくおはじきを買ってきてくれました。 祖母がよく遊んでくれていたので、姉と一緒に祖母に戦いを挑んでいたのですが、熟練の技がすごすぎて戦いを挑んでは負け、また挑んでは負けを繰り返していました。何回やっても勝てないくらい祖母は強かったです。 ある日、一人で遊んでいた時に、なぜかおはじきを口に入れていました。しばらく部屋でゴロゴロしていたら、何かの拍子におはじきを飲み込んでしまい、びっくりして母に泣きつきました。 母は心配もしてくれましたが「何してるの!?なんで口に入れたの?」とかなり怒られました。 その時は特に病院にも行かず水をいっぱい飲んでいたら、数日後トイレの時に無事に排出されました。母にかなり怒られたので、それ以来あまりおはじき遊びはしなくなりました。 今でも実家に帰るとたまにその話を掘り返されます。恥ずかしい苦い思い出です。
1989年生まれ

パチンコ台づくりの思い出

harukazuさん 岐阜県 1989年生まれ 無回答 小学校の時、夏休みの工作で何を作ろうかと悩んでいた時、友達と一緒に「パチンコ台」を作ろうという話になりました。 一緒に材料を買いに行く中でビー玉をたくさん買い、玉の1つ1つの模様が違い、キレイに輝いていたことを覚えています。 いつしかパチンコ台を作ることよりもビー玉を転がして遊ぶことに夢中になりました。友達と指ではじいて当たったビー玉を自分のものにできるというゲームを始め。何度も繰り返しながら自分の好きな色、模様の玉を集めるのが楽しかったです。 不思議なものでお気に入りのビー玉は大切にしまっていたつもりなのに、いつの間にか無くなることがありました。 どこかで落としたのか、転がって隙間に入ってしまったのか分かりませんが、1つでも無くなったことに落ち込み。泣いてしまいました。
1989年生まれ

回る独楽の絵柄を虹色に出来なくて

あきびよりさん 長野県 1989年生まれ 女性 20年以上前のこと、我が家にはビデオテープに録画された「一休さん」のアニメに独楽に関するお話がありました。 「とある貴族の娘がもうすぐ誕生日。その娘は独楽が好きなので、みんなで自慢の独楽を持ちよりお披露目兼プレゼントすることに。その娘にプレゼントする独楽を作って欲しいと頼まれた一休さんは試行錯誤を重ね。ある独楽を完成させた。 誕生日当日、様々な独楽が貴族の娘の前で披露され、その後回してみせた。しかし止まっているときは素敵な柄だと思った独楽でも、回っている間はその柄が見ることは出来ない。 つまらない…そう貴族の娘が思っているところに一休さんの独楽が披露された。特に着色もされていない独楽に、上の平らな面に黒の数本の線が描かれているだけ。なんだあの独楽は!とその場がざわつく中、一休さんが言った。 この独楽は回すと不思議なことが起こります。それ!!と独楽を回し始めた一休さん。 その場の誰もが回る独楽を見守ると、突然独楽が虹色に色づいたのです。 独楽が止まるとやはり黒の数本の線があるだけ。なんとも不思議な現象に貴族の娘は大喜び!!それからその娘は、...つづき
1989年生まれ

縄跳びで二重跳びができた思い出

佐和子さん 福島県1989年生まれ 女性 私が小学2年生の頃、二重跳びや三重跳びをするのが流行りました。教室の外のベランダで練習したり校庭で練習します。私はなかなか二重跳びができず悩んでいました。 それで私は、二重跳びが上手い人を参考に練習していました。あまりの熱心さに自分の家でも練習して、下の階の方から苦情がきて怒られたこともあります。 それからは自主的に練習するときはエントランスでするようにしたのですが、隣の家のおじちゃんが励ましてくれたことを思い出します。 そうやっていくうちに二重跳びができるようになって、学校で何回跳べるか実施したこともあります。最終的には20回くらい跳べるようになって、家族からも褒められ嬉しかったです。 特に祖父母が1番喜んでくれて、よく跳べるようになったなあなどと言われて嬉しかったです。 1番跳べる子は1分間くらい跳んでましたが、私には真似できないなあと思いながら見てました。ときどき縄跳びの縄が頭にパチっと当たることがあって、それは痛かったです。
1989年生まれ

戦わずして遊ぶベーゴマ

harukazuさん 岐阜県 1989年生まれ 男性 小学校6年制の時、クラスの中でベーゴマが流行りました。私ははじめ、ベーゴマの存在も知らず遊び方もよく分かっていませんでした。 仲の良かった子がやっていたこともあり、コマを購入し戦っていくうちにベーゴマの魅力にとりつかれました。 相手のコマを飛ばして勝った時の快感は今でも忘れられないです。みんなで集まってワイワイ騒ぐこともとっても楽しかった。 ある時一人の子がどこから入手してきた情報なのか分かりませんが、「コマを削るときれいだし角がとがって強くなる」と言って自分のコマを削ってきました。 そのコマを見た時、キラキラと銀に光ったコマが本当にかっこよく、強そうに見えました。自分も真似してみたいと思い、やり方を聞きコマを削ってみました。 削られたところがきれいに光るのが嬉しく、オリジナルのものを作っている感覚がまた面白さを増し、みんなどんどんとこだわるようになっていきました。 いつしかコマを回して戦うよりも、いかにきれいなコマを作るかが主になっていきました。今はどこにいってしまったか分からないコマですが、思い出としてはずっと大切なものです。
1989年生まれ

「牛乳瓶の蓋で!」メンコの思い出

みさん 兵庫県西脇市 1989年生まれ 女性 私が幼稚園に通っていた頃、よくメンコ遊びをしていました。当時はまだ瓶の牛乳とパックの牛乳、半々だったので瓶の時に蓋を取っておいて洗って乾かして使っていました。 マジックなどで自分の好きな色を塗ったり、絵を描いたりしてオリジナルのメンコを作るのが流行りでした。 メンコ遊びもみんなやっていましたが、女子は絵を描いたり、オリジナルメンコを集める方が多かった気がします。お道具箱に集めて喜んでいました。 メンコ遊びの方はいたって普通のルールで、裏返した方が勝ちです。男子は勝った方がもらえるルールを使っていた様に思いますが、女子は平和に勝ち負けだけのルールでした。 自由時間に女子は女子、男子は男子で楽しんでいましたが、先生がたまには男女混合でやろうと提案してくれて普段遊ばない子とコミュニケーションが取れる遊びになっていました。 駄菓子屋で買うこともありましたが、幼稚園に持っていけなかったので、牛乳瓶の蓋のメンコの方が思い出に残っています。
1989年生まれ

練習の賜物 フラフープを誰が一番回せるか競争

みさん 兵庫県 1989年生まれ 女性 フラフープの思い出で一番印象に残っているのは近所の友達です。 我が家にはフラフープがなかったので、友達の家で遊ぶ時によく貸してもらってやっていました。友達には2つ上のお姉さんがいたので家に2つフラフープを持っていて、遊ぶときはみんな交代で使っていました。 私は友達の家に行った時しかフラフープができなかったのであまり長く回せませんでしたが、友達はお姉さんに負けるのが悔しかったみたいでかなりの時間練習したそうです。 お腹だけでなく胸や首で回したり、回しながら歩いたり、練習の甲斐あってずっと回し続けることができました。 ある日学校でフラフープをやる機会があって、みんなで誰が一番回せるか競い合いました。他の子がどんどんフラフープを落としていく中、友達はいつまでも回し続けていたので、先生からのストップがかかるほどでした 私たちの世代では敵なしのフラフープの達人として、先生に褒められて嬉しそう。何事も継続することが大切だと子供ながらに感じました。
1989年生まれ

懐かしいザリガニ釣り

みぃさん 大阪府 1989年生まれ 女性私は大阪府の中でもほんの少し田舎の小学校に通っていました。 山がとても近い場所だったため、小さな池や用水路が結構ありそこにザリガニが住みついていました。 初めてザリガニ釣りを見たのは、小学校4年生の頃です。 忘れもしません、男の子の友達が「ザリガニおるんやで!」と用水路を指さし教えてくれました。 当時、図鑑でしか見たことがなく、田舎と言えどこんな大阪にザリガニなんているの?と半信半疑でした。 そんな気持ちで用水路を覗き込むと思った以上にいたザリガニにビックリ。 ザリガニもびっくりしたのか大きなハサミで威嚇してくるんです。 「見ときや」と男の子はタコ糸に割り箸を付けたものをポケットから取りだしザリガニを釣り始めました。 また、私はびっくりしました。餌がついてなかったからです。 こんなもので釣れるの?と疑いとワクワクでその様子を見てたのを今でも覚えてます。 初めはザリガニが怖くて見ていただけでしたが、数日後、スルメイカを持ってきた友達に教えてもらい初ザリガニ釣りをしました。 今となってはとても楽しい思い出です。