物売りのおじさん

校門の外で物を売るおじさんの思い出
放課後の小学校、校門の外で物売りをしていたおじさんやおばさんの思い出を集めました。
・面白文房具や不思議なおもちゃを売るおっちゃん。
・型抜き屋のおじさん。
・アイス売りのおばちゃん
・学習教材のポスト
などのエピソード。

1951年生まれ

「学校の下校時」飴細工のおじさんの思い出

katsuさん兵庫県 1951年生まれ 男性学校の下校時に校門を出て塀ぞいに少し歩いて行くと、飴細工のおじさんがいました。自転車の荷台には飴で作った金魚、うさぎ、カメ、等が棒に刺して並べて有る箱を乗せていました。箱の引き出しには色々な品物が入ってました。リクエストによっては何でも作るよとおじさんが子供達に講釈して売ってました。生意気な子が多分おじさんには出来ないだろうと思い「龍」を注文しました。おじさんもちょと難しいそうな顔してましたが、早速一塊の飴を出しバーナーで炙りながら火鉢みたいので引っ張ったり曲げたりして形にして行きました。龍の顔は難しいそうで細かい作業をしていましたが最後に髭を作って完成しました。注文した子に棒を刺して渡しました。僕は小遣いを余り持って無かったので、薄い板状を舐めて動物の形を抜き出させる飴と水飴を買いました。水飴は硬い透明な飴状な物が二本の箸に巻いてあるだけの飴です。それを何回も何回も捏ね回していくと、少しずつ柔らかくて美味しい飴に生まれ代わります。それを舐めながら家に帰りました。
1956年生まれ

「小学生の図工的な遊び」型抜きの思い出

るーぶさん東京都 1956年生まれ 男性確か、痩せていて髪の毛がぼさぼさのおじさんだっ様な気がします。大小の型版と粘土と金や銀などピカピカした粉を売っていました。上手く、綺麗に、塗れたら少し大きめの型版が貰えます。今思えば、此れといった正解がなく、おじさんの気持ち一つで決まっていたように思います。とても面白く集中出来ました。粘土に色を塗りおじさんの処に持って行き、昇進するワクワク感やドキドキ感が在りました。当然、友達とも競いあいました。最初は、10円程度で小さな型を買います。型は、鳥だったり、電車だったり、色々とあり自分で選びます。後、粘土を少々、白い紙に包まれた色を選んで買います。一式を揃えるのに50円~100円位だったと思います。粘土を型にはめ、綺麗に取り出し、指に粉を付け塗って行きます。終わると、おじさんの処に持って行くき、上手く出来ていると、一つ上の型と粘土が貰えました。駄目だと、アッと言う間に手で握りしめて終わりでです。中~大の型が欲しくて、頑張っていました。
1955年生まれ

小学校の帰りの「型抜きの思い出」

DYさん東京都 1955年生まれ 男性思い起こせば小学校の頃です。当時のお小遣いは10円とか20円くらいで、100円を持って居る子はいませんでした。うちの家族は人数はいっぱい居たのですが、おばあちゃんが働きに出ている、おやじは1週間に1〜2度しか返ってこない(仕事が忙しいのと、少々遊んでいたようでした)、母親は結核で入院、一緒に住んでいるおじさん2人は大学生と高校生という状況での小学生でした。毎日貰った少々の小遣いを必死にためて、学校の帰りに何を買うのか楽しみにしておりました。1週間に1回くらいの割合で駄菓子屋や学校の前でおじさんが出している店に興味深々で行き、何かを買って帰るという生活です。今思い出されるのは小学校の校門の裏に自転車で店を出していた、型抜きのお店です。見本の形通りにウエハーみたいな台紙からハリの様な物でその形通りに形状を仕上げるというものでした。10〜20円程度の値段だったと思います。上手く出来ると飴とか、ソースせんべいの様なお菓子をくれるというものでした。チャレンジする形状の難易度によってもらえる物のレベルが上がります。楽しみはそのお菓子だけでなく、時間をかけてやる...つづき
1967年生まれ

スーパーカーブームの頃の話

いしゅとさん千葉県 1967年生まれ 男性私が小学生の頃、校門の前で何かを売っていたおじさんに出会いました。彼はいつも古い本や漫画、おもちゃなどを売っていました。私は彼の売っていたものに興味を持ち、何度か彼のところに足を運びました。ある日、私は彼が売っていたスーパーカーのプラモデルに目が留まりました。それは古びた感じがあるものの、デザインは非常にカッコよく、私にとっては非常に興味深いものでした。私はそのスーパーカーのプラモデルを手に取り、おじさんに「これ、値段はいくらですか?」と尋ねました。おじさんは笑顔で「300円だよ。でも、お金がなければ安くしてあげるよ」と答えてくれました。私は幸運にも、その日お金を持っていたため、彼からそのスーパーカーのプラモデルを300円で購入しました。おじさんはスーパーカーのプラモデルを私に手渡し、「楽しんでね!」と言ってくれました。私はそのスーパーカーのプラモデルを組み立てることができ、完成した時の達成感と、そのカッコよさに大興奮しました。家の中で飾ったり、友達と一緒に遊んだりと、非常に楽しい時間を過ごすことができました。そのスーパーカーのプラモデルは、私...つづき
1996年生まれ

小学校5年生の時に出会った「風船をくれるおじさんの思い出」

そうたろうさん京都府 1996年生まれ 男性小学校5年生のときに身長の高い風船を売るおじさんがクラスで噂になりました。口裂け女などが流行っている時代で、そういった都市伝説系の噂話かと思っていました。自宅に帰らず友達の家に行く日、そのおじさんに出会いました。その友達の家とは学校を挟んで逆方向だったため、自宅に帰ってからその子の家に行っている時とは時間帯が30分程早く、そのタイミングで遭遇してしまったのです。角を曲がった十数メートル先にそのおじさんがいました。当時の私の身長を正確に覚えているわけではありませんが、体感で私の倍の身長があるのではないかと思うほどの大きさで、ヘリウム風船を5つ程度持っていました。おじさんを見つけたときに恐怖を感じたのを覚えています。友達は何度か見たことがあり、害がないということを知っているためケロッとしていたのを鮮明に覚えています。友達の表情をみて安心したのもつかの間、おじさんが私達を見つけ真っ直ぐに歩いて来ました。びくびくしながら数歩後退りしてしまうほどの圧力で、すぐ目の前まで来ると立ち止まりました。そして、風船を持った手をこちらに突き出し、こう言ったのです。...つづき
1977年生まれ

下校時の小学生に「教育教材を売るおじさん」

とまとさん大阪府 1977年生まれ 男性小学校の帰り、正門前に人だかりが出来ていて、見るからに怪しいおじさんが教育教材を売っていました。しかし、子ども向けに宣伝していた事もあったからか、教材についての説明は一切なく、その教材に申し込んだ時の特典付録についての説明ばかりでした。練り消しのように、とても伸びるが良く消える消しゴム。何色もあるロケット鉛筆。折りたためる定規など、少し不思議な所が小学生の気を引く所であり。それぞれの品をどのように使うか、実践して見せるので誰もが欲しくなり、興味津々に話を聞いていました。すると、最後に簡単なテストと申し込み用紙を渡され、申し込みたい人は学校前の電柱にポストを付けておくので、そこにテストと申し込み用紙を入れて下さいと言われました。私は、申し込む気満々で家に帰ってすぐにその渡されたテスト問題をし、母に「これをポストに入れる」と言うと、「それは騙しの教材なのでそんなのに乗っかったら駄目」と怒られてしまい、申し込まずに終わりました。これこそが、社会勉強です。ちなみに、ポストは翌朝の登校時、しっかりと電柱に巻き付けてありました。今思うと正門で堂々と商売をした...つづき
1994年生まれ

たまごアイス

オニササさん新潟県 1994年生まれ 女性校門前でアイスを売っているおじさんがいました。味は1種類。自家製のアイスで食感はシャーベットに近く、優しい黄色が印象的でした。何の味、と例えられないのですが、ほんのり甘かったです。アイス自体に決まった名前はないのですが、子どもたちの間ではその色味から「たまごアイス」と呼ばれていました。価格はカップが300円、コーンが100円、モナカ(モナカの皮にアイスを挟んだ状態)が100円と小学生にも手を出しやすい価格です。子どもたちに大変好評で、文化祭や運動会のときは必ず出店していたのですが、長蛇の列ができていました。売っているおじさんは無口で必要最低限のことしか話しません。近所にお住まいだったので顔見知りではあったのですが、誰にもレシピを教えてくれませんでした。おじさんが体調を崩されてからは奥さんが代わりに売り子をしていました。奥さんも体調を崩されてからは、もう味わえないのが残念でなりません。
1975年生まれ

「映画のチケットを買わされた思い出」公開されることのないホラー映画

南さん北海道 1975年 女性小学校の時に、たまに校門の近くで物を売っているおじさんがいました。担任の先生からは、買ってはいけないときつく言われていたのでいつも無視していました。でも、その日はちょっと違いました。そのおじさんの周りに人だかりができていたんです。私は、いつもみたく無視しようと思っていたのですが友達がどうしても行こうと言うので仕方なく行きました。すると、おじさんは映画のチケットを売っていました。それも、聞いた事がないようなホラー映画。チケットには、お化け屋敷に出てきそうな落ち武者が描かれていました。「1枚50円だよ。どうだい?」私と友達は、かなり悩みました。他の子供達はほとんど買っています。もし、皆が観て私達だけ観ていなかったら仲間外れになってしまう。そう思ったら、我慢できませんでした。私と友達は、50円を出してチケットを購入。お小遣いのほとんどを使いました。でも、結局。その映画は公開されていなかったのです。騙されたショックは、今だに忘れられません。
1974年生まれ

昭和の時代「校門の前で商売をしていた謎のおじさん」

まさおさん京都府 1974年生まれ 男性小学生の時、授業が終わって帰ろうとすると校門の前に人だかりができていました。気になって覗いてみると、中年くらいのおじさんがテレビショッピングの実演販売のようにいろいろなものを紹介していました。主に文房具です。書いて手でこすって消せるボールペンとかだったような気がしますが、ははっきりと思い出せません。とにかく子供時代の私からすると魅力的なものばかりで欲しかったのですが、学校にはお金を持って行かないし、家に帰って母親に言っても買ってくれるはずもないので全く売れていなかったように思います。しかし、子供たちはみんな目を輝かせておじさんの巧みな実演販売を見つめていました。やがて先生がやってきて止めるように注意すると、「もうすぐ終わりますので」と言いながらおじさんは一向に終わる気配がなく、長時間やり続けていました。先生もそれ以上注意することはありませんでした。現代なら一発で警察に連絡されるかもしれないような状況ですが、当時はあらゆることに対して規制が緩く、良くも悪くも昭和だなあという気がします。
1965年生まれ

学校の前で売られていた「スーパーヨーヨー」の思い出」物売りのおっちゃん

クリ坊さん愛知県 1965年生まれ 男性小学生の頃「スーパーヨーヨー」というヨーヨーのおもちゃが流行り、大人から子供まで大流行していました。「犬の散歩」とか「空中ブランコ」とか言った大技を競い会い、テレビでも特集番組が組まれたりしていました。そんなに高価なおもちゃでは無かったので、クラスのほとんどの子供が持っていて、人によっては何個も持って自慢していました。当時は学校の正門の前でも普通に物売りのおっちゃんとか来ていて、「スーパーヨーヨー」も時々売られていました。コーラとかファンタとかのデザインの物が安くて人気でしたが、カラフルな装飾が入った物や、回すと電飾が光る物などバリエーションも豊富でした。しかし、いわゆる正規物の「スーパーヨーヨー」と比べるとコーラのロゴも怪しく、糸が切れてすぐ壊れたりしていました。まあ、勝手に作られたコピー商品だと思われますが、当時は世間もそんなに煩く無く値段も安かったので、壊れたらそれまでという感じでした。学校の前で露店なんて、今では考えられない光景ですが、凄くワクワクして楽しかった記憶があります。