1985年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1985年生まれ

「恐怖のサッカーの思い出」ゴール前に並ばされた女子

べあとさん 大阪府 1985年 女性 小学校5、6年の時の話です。その頃になると男子はサッカーにハマり始めたようで、天気の良い日は2時間目と3時間目の間の少し長めの休み時間に校庭でサッカーをよくするようになっていました。 ある日クラスのリーダー格の男子が「クラス全員でやろうぜ!!」と言い出したのです。リーダー格の男子の言うことには逆らえない雰囲気のクラスだったので、女子は嫌々参加させられることになりました。 チーム分けは代表男子同士のじゃんけんによる取り合いです。これもなかなか指名されないのは精神的にしんどい。 チームが決まったらさっそく試合が始まるのですが、普段女子はサッカーをしていないので、何をどうしたら良いのかさっぱりわかりません。 しかも、クラス全員が一つのサッカーコート内にいるわけなので、謎に人がたくさんいる状況に。 すると女子の動きにイラついたリーダー格の男子が、「おい!!女子邪魔やわ!!もうお前ら全員ゴール前に横一列に並んどけ!!!」と言い出し、他の男子も「それめっちゃいいやん!!ナイス!!」と賛成したので、女子は全員ゴール前に並ばされました。 こんなのボールに慣れていな...つづき
1985年生まれ

小学校の授業で作った竹とんぼ

リコさん 大阪府 1985年生まれ 女性 小学校二年生の頃に学校の生活の授業で竹とんぼを作りました。「昔の人たちはどんなおもちゃで遊んでいたのか、今とどのように違うのか」を学ぶ授業の一環です。 竹とんぼ作りは「竹とんぼキット」が用意されていたので、1から作るようなことはしませんが、微調整で削る作業をしました。 工作は不得意なので上手くいかず、削ったところもギザギザになって出来上がりました。案の定あまり上手く飛ばず、「つまらないな」と思いました。 出来上がった竹とんぼを持って、校庭でお友達と「誰が一番飛ぶか競争」をする子たちや、一人で黙々と飛ばす子、お友達とお話しながら飛ばす子、色々いました。 私は、「授業中なのに校庭に出ておもちゃで遊ぶ」ということが楽しかったです。
1985年生まれ

ローラースケート大会の思い出

あろえさん 福井県 1985年生まれ 男性 小学生の時に学校近くの公園で行った「ローラースケート大会」の日のことです。会場は緑豊かな公園で、陽気な音楽が流れていました。 先生たちが主催してくれた大会は、走っているだけでも楽しいと思うような企画がたくさんありました。 例えば、謎解きコースやテクニカルなコースが用意されていたり、色んな色の巨大なクレヨンを使って、足元に色を付けながら走るという企画がありました。私は友達と一緒に、楽しいコースを存分に楽しみました 最後は、全校生徒で一緒に大回りをして、大会を締めくくりました。今でも、陽気な音楽が流れながら、仲間と一緒に走る思い出が鮮明に思い出されます。「ローラースケート」を通じて、私たちは楽しい思い出を作ることができました。 その日は、川沿いのレストランで仲の良い友人たちと一緒にご飯を食べ、再びローラースケートを楽しんでいました。そんな一日を過ごしたことは、今でも忘れられない思い出です。
1985年生まれ

シーソージャンプでどれだけ高く華麗に飛べるかを競い合う

あろえさん 福井県 1985年生まれ 男性 小学生の頃、毎週金曜日は遊びの日でした。私たちの学校から徒歩で数分の公園によく行きました。「シーソー」は大人気の遊びでした。 私たちは、普通にシーソーを漕いで遊ぶだけでは飽きてしまい、かなり無茶な遊びをしていました。 普通シーソーは両側に1人か2人ずつ座って遊ぶイメージですが、私たちは一度に3人も4人も乗って遊んでいたのです。たくさんの仲間と一緒に乗って大はしゃぎして遊ぶのが楽しかったです。 それからたくさんのオリジナルゲームを考えました。一番過激たっだ遊びは「シーソージャンプ」でした。 一人がシーソーの端っこに立った状態で、逆側のシーソーに二人が飛び乗ります。端っこに立っていた人はシーソーが大きく漕がれて勢いよくジャンプします。そのジャンプの飛距離や芸術性を競うというゲームでした。 今思うと非常に危険です。自分の子供がこんな遊びをしていたらと思うと怖いですが、当時はこういったオリジナルなゲームを考えることで、「シーソー」の遊びは楽しさが倍増しました。 仲間と一緒に遊ぶと、笑い声が響き、楽しい時間。今でも思い出すと懐かしさが溢れてきます。
1985年生まれ

小学生ぶりの箱ブランコ

ゆさん 静岡県 1985年生まれ 男性 小学生の頃に地元の公園に箱ブランコがありました。普通のブランコは小学校や他の公園にもありましたが、箱ブランコはその公園にしかありませんでした。 箱ブランコは何人かで同時に遊べるところが楽しいです。協力して漕ぐと揺れが大きくなってワクワクしたことを覚えています。 他の遊び方としては、箱ブランコに2人で乗り、お互いに向き合い、座る部分のふちに立ちます。そして交互に体重をかけて揺らし合って遊んだ記憶があります。 結婚をして子どもが産まれ、いとこの家に遊びに行った時のことです。いとこの家の庭に箱ブランコがあったのです。近隣の公園でも見かけることがなくなった箱ブランコを見て興奮しました。 子どもたちに箱ブランコのことを説明して一緒に遊びました。小学生ぶりの箱ブランコ。子どもたちにとっては初めての箱ブランコです。私の好きだった遊具で遊べてとても充実した時間でした。
1985年生まれ

「危険な遊び」箱ブランコの立ち漕ぎ

つぼたさん 北海道 1985年生まれ 男性 小学生の頃、よく遊びに行く公園に箱ブランコがありました。普通のブランコや滑り台、ジャングルジムなどの遊具がありましたが、よく遊んでいたのが箱ブランコでした。 乗っている人が足を踏ん張るように漕いで遊んでいましたが、誰かが始めた骨組みのところに手をかけて外側から足で箱ブランコを押すという遊び方で遊んでいました。 足で押すと勢いよく揺れます。限界まで揺らすとブランコの骨組み同士が当たり「ガッタン」と音がして中に乗っている人は少し浮くぐらいの振動がきます。とてもスリルがあり、楽しく遊んでいた思い出があります。 当時の自分たちは箱ブランコのことを「ガッタン」と呼んでいました。 当時は楽しく遊んでいましたが危ないことも何度かあり、足で漕いでいる人が足を滑らせて落ちてしまったり、中に乗っている人が衝撃に耐えきれず外に飛び出してしまったりしました。今思い出すととても危険で、よくケガをしなかったなと思います。
1985年生まれ

コマ名人になった思い出

チャーリーさん 北海道1985年生まれ 男性 昔の事なので記憶が曖昧なところもありますが、小学生の時によくコマで遊んでいた記憶があります。 当時登校していた小学校には昔の遊び道具がたくさん置いてあり、休み時間になるとみんなでいろいろな遊びをしていました。その中でも自分が特にはまったのがコマでした。 誰から遊び方を教えてもらったかはわかりませんが、紐を巻いてコマを回してそのコマを紐で飛ばして手の上に乗っけたり。回すときに地面ではなくそのまま自分の手に乗るように回してコマで遊んでいました。 他の友達はめんこをやったり、卓球をやったり、竹馬で遊んだりしていましたが、自分はコマばかりで遊んでいたので周りの友達よりもうまくなっていて「コマ名人」と呼ばれていました。 学校に置いてあるコマは決まった形しかありませんでしたが、誕生日に親に連れて行ってもらったおもちゃ屋さんで、軸の部分が金属になっているコマを見つけ、すぐにそれを買ってもらいました。 うれしくて家や学校でとにかくコマばかりやっていた思い出があります。
1985年生まれ

努力ではどうにもならなかった単身縄跳び

運動オンチ 奈良県 1985年生まれ 女性 私が育った地域では体育の授業で縄跳びを持ってくるように言われました。様々な飛び方を体育の授業で習うことにより、習得していくのです。 普通とび、二重跳び、クロス跳び。多種多様な飛び方の内で、できる飛び方とできない飛び方があります。 あらゆる飛び方をマスターしている人もいますが、運動神経に恵まれていない私にとって、普通跳びが精一杯でした。それでもひたすら練習させることが義務教育のやり方です。 休み時間、帰宅後に自主練習をするように勧められるのです。ところが、自主練習でできること、できないことがあるということを当人が子供のために気がついていません。 教育者側もできないことは努力によってするべきだ…という考え方を曲げません。そんなこんなの考えと教育により、無駄な努力をするようにと賢明に練習しますが、できませんでした。 自宅練習で縄跳びばかりしていましたが、偶然に二重跳びができたとしても、なぜできたのか?分析できないのです。 今思えば、才能的にできない事に努力をしていたという…苦い思い出です。
1985年生まれ

マンション内の公園で毎日遊んだゴムダン「コーヒー牛乳」の歌

らんらんさん 埼玉県 1985年生まれ 女性 私が子供の頃に住んでいたマンションには、少し広い公園がありました。マンションには同世代の女の子が何人か住んでいて、学校帰りや休みの日はいつも公園に集まってゴムダンをしていました。 ゴムダンは最低3人いないと出来ないのですが、人数が集まらない時には公園内の大きなゴミ箱にゴムをひっかけてもう片方に人が立ち2人でやっていました。 よくやった歌は「せんろは続くよどこまでも」「アルプス一万尺」で、これらは初心者向けでした。 難易度の高い「コーヒー牛乳」をクリアすべく私は日々練習を繰り返したものです。そのうちに「コーヒー牛乳」も上手く跳べるようになると、スピードを上げて「先に引っ掛かった方が負け」の競争を友達としたりもしました。 コーヒー牛乳の難しい所は、手前のゴムに片足をかけてクロスする通常の技だけでなく、リズムに合わせて反対側へ移動して両足をクロスさせる点です。 大体移動する時にひっかかってしまいます。これが上手くできると喝采を浴びてヒーローになれました。
1985年生まれ

ちょっと違うフラフープの使い道

わんこさん 奈良県 1985年生まれ 女性 フラフープは、体の動きでフラフープを動かしていく運動ですが、それができない子達にとっての遊び方がありました。 フラフープのサイズにも大中小とあります。身体の比較的小さな子供は小サイズのフラフープを使ってケンケンバーや電車ごっこをしていました。 とても子供じみた遊びですが、フラフープのアイテムに魅せられた子供にとっては、フラフープの道具を使うというだけでもウキウキする遊びでした。 その理由はフラフープの輪っかというデザイン性にあると思います。丸くて綺麗なフラフープは見ているだけでも癒しでした。 こうした遊び方にはまる子は運動が苦手だったり、大人しい子だったりします。当時は、活発な子供が多くみんな同じことができて当たり前という価値観での教育方針。子供なりにできない運動を諦めて自ら遊びを考案していました。 本来であれば先生が手引きする事も当時は放任状態。子供だけで新しい遊びを楽しんでいたのです。
1985年生まれ

フラフープを練習した思い出

にゃんこさん 奈良県 1985年生まれ 女性 私が子供時代にフラフープを使った運動が流行りました。 当時フラフープは運動で使われる道具であり、遊具ではなかったようです。子供にはそんなことは区別がつかず、テレビで目にすると、面白そうだ、あんなことがしてみたい!と思うようになりました。 そんなある日、学校の体育の授業でフラフープに触れるチャンスがやってきたのです。 テレビでは上手に踊っている方が多くて、私もそうなりたい!と思いました。輪っかの中に入って腰を振りながら使いこなす。そんなふうになるはずでした。 フラフープは子供の体には大きくて扱いも大変でした。サイズがあるようで、大きなフラフープは子供の体では一回で足元に落ちてしまいます。 それでも一生懸命にフラフープを持ちながら、お気に入りとして練習していました。一旦体に入れてしまうと、とっても楽しいものだと感じるようになります。
1985年生まれ

いろんな鬼ごっこの思い出

りかこさん 大阪府家のマンションの廊下 1985年生まれ 女性 小学校低学年の頃は放課後や休日によく同じマンションの近所のお友達5〜10人くらいで鬼ごっこをしていました。 定番の鬼ごっこでは人数が多く集まった時は鬼を2人にして遊びました。 私はいつも逃げている思い出しかないので、あまり鬼にならなかったのだと思います。 初めは普通の鬼ごっこをしていたのですが、学年が上がるにつれて色んな種類の鬼ごっこを楽しみました。 「色鬼」は難しかったです。 なんせマンションの踊り場でしていたので色がなく、みんなの遊び道具や自転車を持ってきて遊んでいました。 「高鬼」は遊びながら、この遊びは卑怯だなと思っていました。 高いところに登ればタッチをされないので、ずっと高い場所にいれば安全だからです。 なので、高いところに居れる時間を20秒にしたりしましたが、鬼に待ち伏せされたら終わりでした。 一番流行った鬼ごっこは「氷鬼」でした。 タッチされた時の格好で固まるのも面白かったですし、タッチされても仲間に助けてもらえるところも良かったのだと思います。
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色んな鬼ごっこをして遊んだ思い出

らんりんさん 埼玉県 1985年生まれ 女性 小学校低学年の頃は、とにかく外遊びといえば鬼ごっこでした。 昼休みは20分あって、ほとんどのクラスメイトが一緒に鬼ごっこをしました。 人数が多いので鬼を2人にしたり。 そのうちに捕まった人も鬼になる「増え鬼」。 鬼に言われた色をタッチする「色鬼」。 高いところに登れば捕まらない「高鬼」。 氷のバリア中は捕まらない「氷鬼」。 など、鬼ごっこの種類はどんどん増えていきました。 鬼ごっこで思い出すのは淡い恋の思い出です。 小学2年生だった私はクラスに好きな男の子がいて、一緒に鬼ごっこをするのが楽しみでした。 ある時たまたま同じ場所へ逃げた私とその子は、鬼に見つからないように2人でしげみに隠れました。 狭い場所だったので肩がぶつかり、シーンと静まり返った2人だけの空間に私はドキドキしました。 他愛もない話をしているうちに鬼に見つかってしまいあっけなく捕まりましたが、好きな男の子と一緒に隠れることができるのも鬼ごっこのいいところです。
1985年生まれ

いろいろな種類の鬼ごっこ 氷鬼 増え鬼 色鬼 けーどろ

かずみつこさん 山口県 1985年生まれ 女性 ありふれた、それでいて特別な遊び。 鬼ごっこは秀逸な遊びだと実感しています。 道具を必要とせず、人数が集まればそれだけで始められ。 バリエーションが豊富なのも魅力。 氷鬼、増え鬼、色鬼、けーどろ(どろけー?)は、鬼ごっこの発展系ではないでしょうか。 走ることが苦手な子も楽しめる要素を備えています。 鬼が目前に迫ったときには手をクロスに構え、「バリア!!」と叫び、 いつの間にか「バリア破り」なるものが発生していました。 ちょっと待ってを表す「タンマ!!」は、今思えばタイムの派生形だったのかな?? 小学校に入学した1年生のころ、クラスの半分が初めてのお友達状態。 みんなが仲良くなったきっかけに鬼ごっこがありました。 学校の遠足では、お弁当を終えた後に鬼ごっこをすることもありました。 このときは普段集まらないような人数で遊ぶことができました。 6年生の3学期になると卒業を意識してかしらずか、クラスのみんなで毎日鬼ごっこをしました。 ときにはクラスも超えて鬼ごっこをした記憶が残っています。 私にとっては鬼ごっこは今でも身近な遊びです。 公園で私の...つづき