1978年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1978年生まれ

じゃんけんリレーの思い出

くーくーさん 東京都 1978年生まれ 男性 じゃんけんは、幼稚園時代に覚えた初期の遊びでした。おもちゃを使う順番や遊具を遊ぶ際の順番を決めたりするためのものでした。 小学生になるとそれから発展し、じゃんけんを応用した遊びを考えるようになりました。特に盛り上がって遊んだのは、じゃんけんリレーです。 クラスの仲間十数人でグループ分けして、通常のリレー徒競走のようにアンカーを含めて走る順番を決めます。 このじゃんけんリレーの醍醐味は、足が遅くてもじゃんけんが強ければ、足が早い人にも勝てるというところです。 逆に言えば足が早くてもじゃんけんが弱ければ負けてしまいます。 リレーコースの途中にはじゃんけんポイントが3か所あり、そこにいる相手にじゃんけんで勝たない限り先には進めません。 じゃんけんに負けると焦り頭がパニックになります。 足の早い人がそのパターンにハマってしまうと、みんなで爆笑し、ワイワイと盛り上がりました。 今でもその時の友達と会うと、このじゃんけんリレーの話で昔を思い出します。
1978年生まれ

取れないボールの謎

リアムさん 東京都 1978年生まれ 男性 小学生時代は給食後の昼休みになると、校庭で遊ぶことが多かったのですが、たまにドッチボールなどの遊びをする時は体育館に行きました。 体育館の天井を見上げる機会はほとんどありませんが、実際に天井を見てみると細かい線状に柱が交差しています。 ある時、バスケットボールで遊んでいると、サッカークラブに所属していたクラスメイトが、たまたま目の前に来たボールをふざけて、下から蹴り上げてしまいました。蹴られたボールは一直線に天井に向かって高々と飛んで行きました。 天井にある柱の合間にスッポリとハマりました。完全固定されたので落ちてきません。みんなポカーンとします。 そして次には、どうボールを取るかに意識が変わり、全員で話し合いました。そこから出た結論は、体育館を揺らしてその振動でボールを落とすという子供の発想でした。 みんな真剣です。ドンドンと走り回ったり、何度もジャンプしてみたり、色々と試しましたが、結局はボールは落ちてこず、後日、先生に取り除いてもらいました。甘酸っぱい小学生時代の思い出です。
1978年生まれ

「学童の先生との石蹴りの思い出」ごんべえさん

ことねさん 大阪府 1978年生まれ 女性 私は小学生の頃「学童っこ」でした。その為、学校の子達が知らない学童だけでやっている遊びがいくつもありました。 学童の先生は20代後半の女性でした。1960年代くらいの生まれだったと思いますが、その先生はおじいちゃんに育てられた人で、かなり古い遊びをたくさん知っていました。石蹴りもその一つです。 道に『ごんべさん』を書いて、マスの中に石を蹴って入れます。上手く入ったら、石を入れたマスだけ飛び越えて、あとのマスをけんけんぱして行って戻ってこれたら成功という遊びでした。 手前のマスから順番に石を入れて一番遠いマスまで到達できた人が勝ちでした。 この遊びは2〜3人で、学童の前の狭い道路でやっていました。 公園で大人数でやる石蹴りもありました。大きな四角を書いて、それを2列4行の8マスに区切ります。それぞれのマスの中にも線が引かれて、マスごとに『ここは右と左の両方に足を置いた状態で蹴る』といったルール。 2チームに分かれて、各チームごとに石蹴りをし、誰か一人でもゴールできたチームが勝ちという遊びでした。 今思うと石とチョークだけであんなにみんなで夢中に...つづき
1978年生まれ

石蹴りレースの思い出

らんらんさん 東京都 1978年生まれ 男性 小学生時代は、登下校の時は必ずと言っていいほど、落ちている石を見つけては蹴っていました。周りの友達も石蹴りをしていて、密かに地味なブーム遊びでもありました。 ある放課後に、クラスの友達が10名ほど集まり、自分たちで考案した石蹴りレースをすることになりました。 まずは、自分が蹴るお気に入りの石を探します。 石には様々な形があり、重いもの軽いものと千差万別です。私のお気に入りは平たい軽めの石でした。重い石より遠くに蹴ることができるので飛距離を稼げます。 そして、全員がお気に入りの石を用意できたことで、レース場を作ります。レース場と言っても木の棒で土の上に線を引き、500メートルくらいの距離にスタート地点とゴール地点を設定します。 そして全員がスタート地点に石を置き、蹴る順番をじゃんけんで決めたらレーススタートです。相手の石をどかしながら、自分の石をゴールへと進めていきます。 単純な遊びのようですが、蹴る角度や相手の石を蹴り除くテクニックなど奥の深い遊びになりました。
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「いつもの病院の中庭で」

ピョンチャンさん 神奈川県 1978年生まれ 男性 私たちは学校が終わると、遊ぶ約束もせずにいつもの場所で、いつものメンバーが集まり、何をして遊ぶのかをその場で決めていました。 学校から徒歩で10分くらいの場所にある、国立の病院は、当時は知らなかったのですが、結核病棟があり、多くの入院患者がいたようです。 晴れている日には緑の草が私たちのふくらはぎをくすぐる中庭で、大きな声を出して笑ったり、ふざけ合って走り回ったり、賑やかに遊んでいました。 雨が降るとコンクリートの壁が鳴いているように、暗く濡れていました。 そこに集まるメンバーは各々に遊ぶ道具を持ってきていて、さまざまな遊びをしましたが、一番気に入った遊びはゴムボールの草野球でした。 プラスチックのカラーバットにビニールテープをグルグル巻きにして重くすると、ゴムボールを弾いた時の飛距離が違いました。 そうして大きな声を出して遊んでいた子供たちの歓声は、その病院の入院患者たちにとって、騒がしくも好ましい声だったに違いありません。
1978年生まれ

「陣取り選手権の思い出」ケンケン陣取り

ちゃーはんくん 東京都 1978年生まれ 男性 いかに多くの陣地を奪い取り合うことができるか、この陣取り合戦での一番の醍醐味でした。 小学4年生の時にクラスでこの遊びがブームとなりました。校庭の一部を使い陣地の範囲を決めます。 そして二チームに分かれて陣取りをスタートします。それぞれのチームの人は、走ったり歩いたりするのではなく、けんけんで陣取りをします。 いかに相手より早くけんけんで進み陣を取るか、みんな必死になって遊んだことを覚えています。 学校全体にも陣取り合戦が広まり、あるクラスの提案で学年別の陣取り選手権が開催されることになりました。 私達の4年生も優勝に向けて日々練習に取り組みました。相手より早くけんけんで進むことが勝利の鍵となります。そのために、けんけんの練習を重点的に行いました。 毎日足のふくらはぎが筋肉痛になるくらい練習し、陣の取り方も効率的に奪えるようミーティングを重ねました。 そして迎えた選手権。決勝まで進みましたが、相手の6年生に勝てず準優勝でした。それでも、学年全員が一丸となって取り組めた陣取り選手権のおかげで絆が深まりました。
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空き地で野球の思い出

トリトン教授さん 東京都 1978年生まれ 男性 放課後は、家にランドセルを置いて、おやつを食べたら近所の空き地に集合して野球をするのが大定番でした。 今では無くなりましたが、当時は野球ができるくらいの大きな空き地がありました。 そこに野球のグローブやバットなどのグッズを持って向かい、ベースは、木の棒で線を描いて作り、即席の野球場にして遊びました。 学校の校庭も放課後に開放していましたが、人気があり、サッカーなどの先約があると使用できませんでしたので、この空き地は宝物のように仲間内で重宝するとともに、他の人に知られると独占できなくなるので秘密にしていました。 学校を卒業する時も遊び仲間で最後に空き地に集まり、卒業野球をするなど、自分自身の青春の思い出がたくさん詰まった貴重な場所であったことを今でも記憶しています。 時が過ぎて、周りの環境も大きく変わりました。その時の空き地はもう家が建っていますが、今でもその付近に足を運ぶと、少年時代の楽しい思い出に浸ることができます。
1978年生まれ

砂のお城作りの思い出

遊び大好き少年さん 東京都 1978年生まれ 男性 子供の時は公園や幼稚園にあった砂場で友達と遊んでいました。砂場と言うと地味なイメージになりますが、遊び方次第ではクリエイティブで不思議な遊びだと思います。 私の砂場遊びは、ディズニーランドのシンデレラ城などのお城を、砂で作る遊びでした。 その必需品としてジョウロは絶対でした。持ち込んだジョウロに公園の水を入れて砂場で使います。 水分を含んだ砂は、サラサラ感からドロドロ感に変わり、城のような建造物を製作するのに適しています。 初めは上手くお城が作れず、途中で砂が崩れてしまうなどのトラブルにも遭いましたが、徐々にコツを掴むと、友達と一緒に大きな城作りに時間を忘れて没頭していました。 一番の思い出は、雪のかまくらのような子供一人が入れるお城作りにトライしたことです。 休日の朝早くに公園に友達と集合し、一日かけて完成するに至りました。その時の達成感は後の人生においても役立っています。
1978年生まれ

児童館で初めて手作りした竹とんぼの思い出

工作マニア 東京都 1978年生まれ 男性 小学生時代に、クラスで竹とんぼが流行りました。きっかけはクラスの1人が、児童館の図工室で竹とんぼを製作し、学校に持ってきたことでした。 休み時間に中庭に集まり、その子が竹とんぼを飛ばすと、旋回しながら上空に舞い上がる姿を見て、みんなテンションが上がりました。 こうなると、自分でも竹とんぼを作りたくなり、学校が終わって帰宅後、ランドセルを投げるように玄関に置いてから児童館へとダッシュしました。図工室に着くと案の定、クラスのみんなも来ていて、満員状態でした。 人数が多いので、5人1グループで制作することになり、いよいよ私の番になりました。児童館のスタッフの方にノコギリとヤスリの使い方を教わり竹とんぼを製作しました。出来上がったものに満足し、早速、プレイルームで竹とんぼを飛ばしました。 この竹とんぼが、自分で初めて手作りした物となり、今でも当時の思い出とともに自宅の段ボールに保管しています。
1978年生まれ

ガキ大将とのいたずらの思い出

あの日の少年 東京都 1978年生まれ 男性 私の身近にいたガキ大将は、小学生時代にいました。どんな子かというと、ケンカが強く、遊びではリーダーとなって色々なやんちゃをしている子でした。 授業中でも居眠りや隣の席の子にちょっかいを出すなど、自由気ままにやりたいことをするガキ大将でした。 そんなガキ大将も仲間意識は強いので、上級生に仲間がいじめられていると率先して助けたりしていたので人望はありました。 放課後遊びもガキ大将が決めます。野球からサッカー、鬼ごっことワイワイと遊んだことを今でも覚えています。 今となっては恥ずかしい話ですが、ピンポンダッシュも流行っていて、ガキ大将から指名された子が、特定された家のピンポンダッシュをしていました。当然、私もガキ大将から何件か指名されてやっていました。 走って逃げるときは、いつもみんな一緒で、いたずらの快感に酔いしれて笑顔で遊んでいました。 そんなガキ大将は、中学校は私立中学に行くことになり、最後の卒業式では、涙を流しながら仲間一人一人と握手しました。私も感動し号泣しました。 色褪せないガキ大将との思い出です。
1978年生まれ

「探偵ごっこの思い出」自分たちはいじめたつもりはないけれど 相手はいじめられた思ったゲーム

ぴかちゅうさん 東京都 1978年生まれ 男性 小学生時代に流行った遊びの一つに探偵ごっこがありました。遊び友達と考えたオリジナルの遊びです。内容は、じゃんけんで負けた一人が探偵役になり持ち物を学校の色々な場所に隠されます。 隠した人達は、隠し場所のヒントを探偵役に示して、その情報をもとに探偵役は推理して隠された持ち物を探し当てるというものでした。 ある時、初めて探偵ごっこをするクラスメイトが一人参加。じゃんけんで負けて探偵役になりました。その子の鉛筆や体育着などを、私を含めて6人で隠しました。 そして、探偵役に隠し場所のヒントを一人ずつ教えていきます。私は音楽室のロッカーに探偵役の子の靴を隠したので、音楽関係のヒントを伝えました。 全員からのヒントを教わった探偵役は探しにいくのですが、全然見つからず、時間だけが経過し夕方になりました。すると、探偵役が号泣し始めました。 あまりにも見つからず、このまま家に帰れなくなると不安になったのが号泣理由でした。 私達は、いじめという感覚は無かったのですが、後日、探偵役の子の母親からクラス担任に相談があり、本人はいじめられたと認識していたようでした...つづき
1978年生まれ

駄菓子屋のおばあちゃんから教わった「缶蹴りの遊び方」

ラーメン大好き小泉さん 東京都 1978年生まれ 男性 小学校時代の思い出です。授業が終わり帰宅し、おやつを食べたら毎日友達と遊びに行っていました。 近所の駄菓子屋に集合してから何して遊ぶか決めます。 ある日、駄菓子屋のおばあちゃんから、子供の頃に遊んだ缶蹴りの話を聞きました。それまでは缶蹴りという遊びは聞いたことはありましたが、実際に遊んだことはありません。 おばあちゃんから缶蹴りに適した、みかんの空き缶を頂きました。それを持って近くの公園で缶蹴りを始めました。 地面に円を描き缶を置きます。 鬼を一人決めて、それ以外は全員ダッシュで隠れます。 鬼が見つけると缶を踏み、見つけられた子は円内で鬼に捕まります。 それを助けるために、隠れている人が鬼の隙をついて、円内にある缶を目指してダッシュ。蹴り上げます。 見事成功すれば捕まった子は逃げられます。 というルールで始めた缶蹴りでした。 いつのまにかみんな夢中になり、小学生時代の遊びの思い出の一つになりました。
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ケイドロが繋いだ人生 後に警察官になった友達

みーごれんさん 東京都 1978年生まれ 男性 小学生の休み時間は決まって校庭に出てケイドロをして遊んでいました。警察チームと泥棒チームの2チームに分かれて対戦します。 逃げるのが得意だったり好きな人は泥棒チーム。逆に追いかけたり捕まえることが好きな人は警察チームという具合に自然と構成されていました。私は主に警察チームでペアになって泥棒チームを捕まえていました。 捕まった泥棒は牢獄に入ることになるのですが、別の泥棒が牢獄内にいる泥棒にタッチすると、その泥棒は牢獄を脱走できるというルールでした。なので、ただ泥棒を追いかけて捕まえるだけでなく、牢獄を守ることも重要でした。 牢獄専門の人を3人セレクトし、貼り付けて見張りをさせれば、脱走は80%以上の確率で阻止できます。 ひたすら汗を流し無我夢中でケイドロにハマっていた小学生時代でした。 このケイドロ遊びの仲間から2人が本当の警察官になりました。大人になって再会してこの事実を知り、驚きました。 その二人は主に泥棒チームだったので、大人になって警察官になっている人生の妙味を味わいました。少年時代のケイドロが繋いだ人生だと思います。
1978年生まれ

「一人シーソー」と「大人数シーソー」

banaさん 神奈川県 1978年生まれ 男性 シーソーは遊び方次第で危険な遊具にもなります。今の子供たちには決して真似してほしくないシーソーの遊び方です。 基本的なシーソーの遊び方は? ニ人もしくは、四人でバランスをとって交互に跳ねて遊びます。 一人で遊ぶシーソーの遊び方とは? 難易度は高いですが実はジャンプをすることで、一人シーソーは可能なのです。ただし、己のお尻にダメージを与えてしまいます。ジャンプする。浮いて落下する着地と同時にお尻を強打する。あまり楽しかったという記憶はありません。 多人数で遊ぶシーソーの遊び方とは? 単純にシーソーに乗れるだけ子供たちが乗りこむだけ。ただし、みんな遊びの顔はしていません。どれだけ体重がある子を乗せられるかという闘いなのであります。 皆で勢いよくジャンプする。相手チームも負けじと勢いよくジャンプする。勝負にならないときが多いですが、相手チームにお尻を強打させた方が勝ちとなります。
1978年生まれ

スリル感満載のシーソー遊び

遊び大好き少年さん 東京都 1978年生まれ 男性 小学校の校庭にあったシーソーで、放課後にクラスの友達と遊びました。 シーソーというと交互に上がったり下がったりという単純な遊びのイメージがありますが、その遊び方だけに捉われずに、友達と話し合いスリル感を味わえるシーソー遊びを考えました。 それは、シーソーに乗る人数を通常は左右に1人ずつですが、片方の人数を増やし(例えば3人)、1:3の割合でシーソーをするということです。 これによりシーソー自体のバランスが悪くなり、振り子のように一定のリズムで動かなくなります。これがシーソーから振り落とされるかもしれないというスリル感が生まれ、楽しめることができました。 また、片方3人のうち、1人が向かい相手のシーソーに上下に動いている最中に移動するという遊びも考案しました。これは、先生とかに見つかると確実に注意されることになるので、放課後で先生が手薄になった頃を見計らい遊びました。 「先生に見つからないか」というスリル要素も加わり、今思い出しても最高に楽しかったです。
1978年生まれ

雪の風雲たけし城遊びの思い出

らむらむさん 東京都 1978年生まれ 男性 子供の頃にテレビ放映されていた「風雲たけし城」が学校でも大人気。よく友達と公園で遊んでいました。 ある冬に何十年ぶりかの大雪が降り、普段の景色とは全く違う一面の雪景色になりました。私も含めて全員で喜び、学校の休み時間には雪合戦などをして楽しみました。 その時、友達の1人が「この雪を使って風雲たけし城しようぜ!」と発言し、放課後にいつもの公園で遊ぶことになりました。 普段は障害物などはボールや縄跳びを使って挑戦者がゴールに到着しないよう障害物を設けていましたが、この日は全て雪を使って整えることができました。 雪のボールをたくさん作ったり、雪山を全員で3つほど作り上げるなど、いつもと違う準備に気持ちはワクワクしました。 そして風雲たけし城遊びをスタートしました。挑戦者に向けて、私を含め城を守る側は雪ボールを投げつけたりします。雪山に登る挑戦者には、登り切らないよう雪山を崩したりして阻止します。 こんな感じで全員雪まみれになり、靴下なども濡れてしまいましたが、普段は体験できない遊びに全員が笑顔だったことを今でも記憶しております。
1978年生まれ

「貴重な雪」での雪遊びの思い出

もももさん 大阪府 1978年生まれ 女性 私の住んでいた大阪は、雪がほとんど積もりません。最近は全くと言ってよいほど積もることはありませんが、それでも幼少期は年に1、2度うっすら積もることもありました。 たまに積もった雪は、子どもたちのテンションを高くします。溶けにくい車のボンネットなどに薄くつもった雪を手寧にかき集めて、小さな雪だるまを作るのがお決まりです。 子どもの手のひらで握っても小さいと感じるくらいの小さい雪だるまが出来ます。同じようなことをして、玄関前に小さな小さな雪だるまを飾っている家を見ると自分の作品と比べてみたりしたものです。 雪合戦などの経験はほとんどありません。テレビで雪合戦やかまくら等の映像を見るとあこがれたものです。 男の子たちは、雪らチラつき始めると、口を開けて上を向いて走っていました。よくわからない遊びでしたが、雪の冷たさを口の中で感じながら、あれはあれで楽しそうでした。 運動場にうっすら積もった白い雪を一番に踏みたくて、休み時間になると我先に・・・と外へ走って出たことも懐かしい思い出です。
1978年生まれ

周りでやっている子がいなかったお手玉遊び

ういんAさん 東京都1978年生まれ 女性 幼いころに母からお手玉を教わっていました。 周囲にお手玉やおはじきを持っている子が全くおらず。いとこなども年上ばかりでマンガやゲームの話題が多く。幼稚園でも習ったことはなかったので、お手玉は専ら自分一人で手持ち無沙汰の時などにやっていました。 家になぜお手玉があったのか分かりませんが、しゃこしゃこと鳴って、手触りが好きで、よく触っていました。 座布団のような布地を使っているんだなあと思っていましたが、中身が小豆だと知ったときは幼心に大変驚いたものです。 教わったのは両手で二つのお手玉を回す、三つ回す、片手で二つのお手玉を回す、三つ回す、寄せ玉遊び(おさらい)です。 幼稚園児くらいだと両手で二つのお手玉を回すのすら大変で、出来たときは自然に顔が綻ぶのが分かりました。 幼かったので寄せ玉遊びは途中までしか出来ませんでした。曲も全ては覚えていませんが、何だかリズミカルな音が心地よく。たまにふと頭の中に流れることがあります。
1978年生まれ

凧上げに詰まった少年時代の思い出

コタツにみかんさん 東京都 1978年生まれ 男性 毎年お正月になると、父と弟の3人で近所の公園グラウンドに行き凧上げを楽しみました。当時は人気アニメが描かれた凧が流行っており、私の凧もドラゴンボールのキャラクターが描かれたものを父に買ってもらい。凧上げを楽しみました。 弟も専用の凧を持っており、2人でどちらが長く凧上げできるかを競走しました。ポイントはいかに上空で凧を浮揚させる時間を長く保つことができるかで、吹いている風の強さや質が勝負を分けます。 上空で凧が上手く浮揚状態に入れば、地上から凧糸を少し戻して微妙な力加減で保つように凧に集中します。途中で風が弱まることがあれば、自分自身を加速させて、新たな良い風が吹くまで走り続けます。 この動きを何度も繰り返す事で、凧を上げ続けられました。弟も負けじと頑張ったり、父がジュースを買ってきてくれて休憩で飲んだりと、今でも凧上げをする子供をお正月に見かけると、自分の少年時代のお正月の思い出が蘇り懐かしさを感じることができます。
1978年生まれ

10人で一斉ベーゴマ

あそびーさん 大阪府 1978年生まれ 男性 小学校の低学年の時、よくベーゴマで遊んでいました。隣の小学校では全然流行っていなかったけど自分の小学校ではとても流行っていました。 大きめのフライパンを用意して、その中でお互いにベーゴマを回し、ぶつからせてはじき出したら勝利というゲーム。勝つとそのベーゴマを取られるということをしていたので、勝てばうれしいし、負ければ悔しいという感じでした。 一度自分のベーゴマを全部取られてしまい、悔しい思いをしましたが、何個か返してくれたのでよかったです。 コツは無理に回そうとするのではなくて、腕を使うのではなくて体を動かすようにして回すと、勢いよく最後まで回転を保つことができます。 10人ぐらいで大きな机の上で一斉に回し、最後まで残れば勝ち。すべてのベーゴマをとれるというゲームをやっていました。1年程度でベーゴマで遊ぶことはなくなったけれど、今思えばみんなで遊ぶことができた良い経験をできたと思います。
1978年生まれ

代表的なメンコのゲームルール3種類

あそびーさん 大阪府 1978年生まれ 男性 小学校の時、よくメンコ遊びが流行っていました。遊び方はいろいろとあります。 その① 机にあるメンコを上からメンコで叩き、裏返したらそのメンコを取ることができます。 その② 次に机の上にあるメンコ同士をはじきとばして、机から落せたらそのメンコをとることができます。 その③ 机にあるメンコをパッパッと勢いよく息を吐くようとばし、裏返ったらそのメンコをとれることができます。 代表的なメンコのゲームはこれぐらいで、人によりさまざまなゲームの仕方があります。みんないろいろなゲームを考えて遊んでいました。 叩いて裏返すメンコのコツは、力任せに思い切り叩くのではなく、軽く打ち付け風を起こすような感じでメンコを叩きつけると簡単に裏返すことができます。 メンコを取られることもあったけど、取り返すこともあり、楽しい思い出です。 一番メンコを持っている子は1000枚くらい持っていたので、絵柄など欲しいものがあると交換したり、お菓子と替えたりして遊んでいました。
1978年生まれ

高尾山で遊んだ鬼ごっこ

少年の心を持った中年親父さん 東京都 1978年生まれ 男性 幼稚園と小学生時代に鬼ごっこにハマりました。 特に小学校の昼休憩では、必ず友達と校庭に出て、毎日鬼ごっこを楽しんだ記憶があります。 20人くらいで鬼ごっこする時は、鬼1人では大変なので、「鬼チーム」と「逃げるチーム」に、じゃんけんで分かれるルールを作り遊んでいました。 小学校高学年になると学校の校庭などではエリアが狭く感じるようになり、遠足で高尾山登山が予定されていたことから、担任に登山後に1時間鬼ごっこを高尾山で行いたい旨を遊び友達全員で提案し、30分の時間制限での実施が了承されました。 高尾山に行くのは初めてだったので、事前にと友達の家に集合し高尾山について調べました。 そこで、鬼ごっこができそうなエリアも目星をつけ、遠足当日を迎えました。 高尾山に着いて、まずは登山でしたので無我夢中で登り切り、スタート地点に下山しました。 鬼ごっこ遊びをする友達全員の下山を待ち、揃ったところで事前に調べたエリアに移動し、高尾山鬼ごっこを行いました。 学校の校庭と違い広いことこの上なしでした。 また、山ならではの開放感も遊び心が刺激され...つづき
1978年生まれ

色鬼の思い出

おむすびさん 香川県 1978年生まれ 男性 5歳の頃、幼稚園の運動場で友達と鬼ごっこをしていました。 運動場にはグラウンドのほかに滑り台やブランコ、ターザンロープやテントウ虫型の穴の開いた遊具で、中に入れるものなどがありました。 初めはグラウンドの方で走り回ってただ追いかけるだけの鬼ごっこでしたが、お兄ちゃんお姉ちゃんがいる友達は色々な遊びを知っていて「色鬼をしよう」と言ってきました。 私は色鬼が何のことだかさっぱりわからず、掴まらないように走って逃げるだけの「鬼ごっこのルール」で参加していました。 遊んでいるうちに、色鬼のルールは ①鬼が指定した色の所に登って逃げる。 ②10秒間だけいられる。 ③10秒で離れないといけない。 というものだと分かりました。 鬼は大変でした。 色を指定して、そのたびに10秒数えないといけない。 考えながら動かないといけない。 賢い子は、色を指定してその色に逃げた子の一人をロックオンし、10秒待って降りたところを捕まえる技を編み出していました。 何もなかったけど、知恵と工夫の楽しさがありました。