群馬

【1990年代】

竹とんぼ失踪事件の思い出

りすこさん群馬県 1990年生まれ 女性小学5年生の頃、近くに住んでいる大工さんが子どもたち向けに木製おもちゃを作ってくれていました。「竹のおもちゃ」として、竹を削って作った竹トンボを持ってきてくれたので、年下の子を連れて遊ぶことになりました。その前に竹とんぼを触ったのは5、6歳の頃、しかも昔のおもちゃで遊ぶ教室で、壊れかかった竹とんぼだったので、あまり上手く飛びませんでした。大工さんの作った竹とんぼは今考えても、羽の薄さや削り方に工夫があって、作りもしっかりしていたのです。広いゲートボール場で遊び始めましたが、小さい子が飛ばしてもかなり高く飛んだので、期待以上のおもしろさで夢中になりました。少し風のある日だったので余計によく飛んだのかもしれません。そのうちもっと高く飛ばしたくなり、木陰にあるベンチに乗って飛ばしてみました。すると、風に煽られてベンチから離れた木の枝に引っかかってしまったのです。登って取るにも枝の先で、縄跳びの持ち手を投げても上手く取れず、雨も降ってきてしまい。大人に言って怒られるのも怖いので、その日は仕方なく帰りました。翌日も取れず、翌々日にボールを持っていくと、なぜ...つづき
1990年生まれ

ポケモンごっこの思い出

りすこさん群馬県 1990年生まれ 女性小学校2年生か3年生の頃まで続いていたごっこ遊びは、「ポケモンごっこ」でした。女の子たちはまだ「お母さんごっこ」と呼ばれている、おままごとを続けていましたが、ゲーム好きな男の子を中心に、さまざまな設定をしたポケモンごっこが流行っていました。外で暴れられる時はポケモンバトルでした。トレーナー役とポケモン役に分かれて、ポケモン役が戦う(じゃれあう)というシンプルなものです。放課後に我が家の大きな犬も、ガーディ役でポケモンバトルに参加して大喜びしていました。私はいきもの係だったので、むしとり少年か博士の役です。教室の虫籠の芋虫を3匹並べて選んでもらったり。絵の上手い子に頼んで、自由帳にキャラクターの絵を描いてもらって、ポケモン図鑑を作ったりしていました。主役の「お母さん」が取り合いになるおままごとや、「セーラームーン」が取り合いになるセーラームーンごっこと比べて、ポケモンごっこは、なりたいキャラクターがみんな違います。勝ち負けや場面の変わるポケモンごっこは、私たちにとって長引く喧嘩が起きず、運動が苦手な子が入っても楽しめる画期的な遊びでした。
1980年生まれ

初めてのフラフープ

たろうさん群馬県 1980年生まれ 女性小学校3年生の時に初めてフラフープなるものをしました。それは学校の誰でも使って良いおもちゃ置き場にあり、丸くて大きくて、不思議でした。遊んだことのある友達に遊び方を教わって、いざ!!回そうとすると、ストンと落ちて回せないことを繰り返しました。一体、何が楽しいのか全くわからず、汗だくでその日は終わりました。出来る友達が輝いて見え、羨ましく、私も出来るようになりたいと思いました。色んな友達に、コツをきいて、練習しました。輪の端を両手で持って、勢いよくまわして、その反動で自分の腰もグルんと振るんだよ、というようなことだったと思います。当時の私は、手で輪を回すのと、腰を回すのが、どうしてもシンクロせず苦労しました。でもある時にコツをつかめたようで、本当に急に出来たんです。あれは自分でもびっくりした体験でした。何の前触れもなく、急に出来たので「あの練習は何だったんだろう」と思ったほどです。出来るようになってからは、何で今まで出来なかったのか分からない程に、体が覚えているというか、何も考えなくても出来るようになりました。今となっても不思議な思い出です。
1988年生まれ

みんなで鉄棒遊びの思い出

もんちゃん群馬県 1988年生まれ 女性小さい頃から鉄棒遊びが大好きで得意だった私は、小学生に上がる前には、前回りと逆上がりはできていました。周りのお友達はまだ逆上がりはできない子が多く、できる私は、得意気にお友達に逆上がりのやり方を教えていました。ですが、少し調子にのっていたかもしれません。逆上がりができるようになってから失敗したことがなかった私は、余裕ぶって逆上がりをして、お友達に「すごいでしょ〜?」と見せびらかせていたら…。手が滑って地面に落ちてしまいました…。とっても恥ずかしくなった記憶があります。一回失敗すると、自信がなくなるのか、前回りでも失敗して落ちてしまったこともあります…。でもお友達は笑ったりせず、「大丈夫?」と心配してくれました!小学生の私でさえ、心配してくれたお友達の気遣いで、少しうるうるした記憶があります。それからは、気をつけて遊ぶようになり失敗はないです。そしてその失敗を機に、その時は逆上がりができないお友達を、少し見下していたかもしれないことに気づいたので「できなくても大丈夫だよ」っと優しい心でいられるようになりました。