登下校のときの遊びの思い出

登下校のときの遊びの思い出

登下校の遊びの思い出
子どもの頃の登下校のときの遊びの思い出やエピソードを集めました。
・学校から家までの帰り道
・寄り道をして遊んだ
・友達と一緒に知らない道を見つけた
など、小学生のときの体験談。

1977年生まれ

「小さな宝物探し」学校の帰り道に不思議な石を探す 宝探し

とおこさん 東京都 1977年生まれ 女性 小学校三年か四年生の頃の思い出です。 当時住んでいたのは、民家の途中に畑があり、マンションなどほとんどないちょっと田舎風な土地でした。 家から学校までの通学路はのどかなもので、住宅街と畑を見ながら友達と変える毎日です。そんな通学路の途中に「面白い石が落ちている場所」がありました。 小さな三角だったり、青くて平らな丸い石だったりと、子供の目からするとなんとも不思議で珍しいものばかりです。 砂やがれきと共に落ちているそんな石を、友達と一緒に拾って帰るのが楽しい日々でした。 時々ちょっと大きな花の形とかカラフルな石があって、互いに見せ合ったり交換したりと、それぞれが「面白い石」を宝探しのように見つけていました。 そんな楽しい場所も引っ越しと共にお別れになりました。 大人になって思い出してみると、あの場所は解体工事の時に出た石壁やタイル壁の廃材置き場だったのではないかと考えています。 建物の裏側に捨て置かれた小さな欠片たちが、子供の頃にはなんとも不思議な宝探しの場所になっていたのでした。
1951年生まれ

カバン持ちと小石投げ

katsuさん 兵庫県 1951年生まれ 男性 カバン持ちは、学校帰りに皆んなでジヤイケンをして、負けた人が全員のランドセルを持ち、歩いている途中で犬か猫が来たら交代という遊びです。 犬も猫もなかなか来ないので、ランドセルを持ってる友達は肩からずり落ちそうになって歩いてましたが、やっと犬が来て交代です。 今度は電柱で交代に変えました。電柱はすぐ有るので何回も交代でした。だけどジヤイケンの弱い子は何回も持って歩いてました。 家に近づいた子が一人抜け二人抜けして居なくなりましたが、僕は家の近くまでランドセルを持たずに帰る事が出来ました。 その足でカバンを持ったまま友達と川まで行き、河原で平べったい小石を探し、川に向かって水平に投げるのです。 すると小石は水面の上を一回、2回、3回と連続で跳ねて行きます。 面白くて次は何回連続が出来るか友達と競うのですが、友達は上手く5回連続が出来たと歓声を挙げてました。 こちらも負けじとやるのですが、焦れば焦るほどボチャンといって一回で水に落ちます。 それではと深呼吸して、ゆっくりと力強く水面に投げると今度こそ5回連続が出来ました。
1999年生まれ

家までついていく

ともさん 山口県 1999年生まれ 男性 小学校の頃、放課後になるとほぼ毎日、皆で僕の家の近所にある公園で遊ぶ約束をしていました。 毎日家に帰ってから集合をしていたのですが、ある時から「なんか一回帰ってから集合するの時間無駄だね」みたいな雰囲気になりました。 家に帰る途中、その公園までの道のりで友達の家に皆で寄って、その友達の着替えを待ち、その友達が着替え終わったら別の友達のところに皆で行って、また着替えるの時間を待ち、最後に僕の家に来て僕が着替えるのを皆が待つことで、全員が着替え終わったらすぐに遊べるということにしました。 これをすることで誰かが着替えている時間でも、友達と話せて楽しい時間をずっと過ごせるので、途切れることなく友達との時間が過ごせました。 今振り返ると友達との時間が途切れないのは良いが、肝心の皆で遊ぶ時間は逆に短くなっている気がしたので、効率が悪いことをしていたなと思います。けれど、楽しい思い出ではありました。
1987年生まれ

寄り道の思い出

エリックさん 沖縄県 1987年生まれ 男性 通っていた小学校から自宅まで、子供の足で40分位の道のり。家が近所でいつも一緒に帰る仲良しメンバーがいました。 いつものように帰っていると、友達が『俺、近道見つけたってば』と言って、いつもの道から少し外れ、林みたいな森みたいな崖に案内してくれました。 今考えれば、人が通った形跡もなければ、確実に遠回りになることは明らかでした。しかし、その時の僕らはその友達の話を疑いもせず、むしろ冒険心が勝り、皆んなで競争して崖を登ったのを覚えています。 木の枝に刺さったり、足を滑らせ落ちそうになったりしましたが必死で登りました。そしてついに頂上まで登り着いたら…使われていない畑と井戸、古い木造の家がありました。 今まで知らなかった場所だったからか、登り切った達成感からなのか、なぜか、気分が上がりまくったのを覚えています。 そこで僕たちは『ここを秘密基地にしよう』と考えました。その日から毎日のようにそこに行き、段ボールや、マンガ、その他遊び道具を持っていき、集まって遊んでいました。 結局、家までの到着時間はいつもの2倍以上かかっていました。
1977年生まれ

「学校帰りの思い出」高鬼をしていたら怒られた話

るぅさん 宮崎県 1977年生まれ 男性 学校帰りにした遊びといえば、電柱ごとにジャンケンして負けたら友達のランドセルを持つ「カバン持ち」、影をふまれたら鬼交代の「影踏み」、一人で帰るときは石や缶をどこまで蹴って帰れるか等、いろいろ思いついては遊んでました。 その中でも、覚えているのは、「高鬼」です。 鬼よりも高い所にいると鬼はタッチできないのですが、その場にいることができるのは10秒だけで、10秒内に降りて走って逃げるか、別の段差に移動して鬼から逃げるという、どこにでもある鬼ごっこです。 小学校1年生の時に、その「高鬼」をやっていて、鬼から逃げ回ってる時に丁度いい高さのブロック塀があり、それに飛び乗って一息ついた瞬間「コラーーー!」と怒鳴り声。 振り返ると、こじんまりとしたボロボロの家から、下はスカートのようなものに上は肌着だけで、ガリガリのお婆さんが出てきて「人ん家の花壇で、何してるか!」と、怒鳴りながら近づいてきます。 その姿が、絵本などで見る「鬼婆」に見えて、怖くなって周りを見たら友達も逃げて誰もいません。 自分も走って逃げました。必死に走りますが、すぐ後ろにいるような気がして...つづき
1956年生まれ

鮮烈!怒涛の路地遊び

ともぞうさん 兵庫県 1956年生まれ 男性 60代男性です。小学校時代を関西地方の工場街で過ごしました。 ゲーム機など存在しないのは無論のこと、そもそも裕福な家の子以外ろくに物を持っていない時代でしたので、放課後は身一つでできる遊びが中心でした。 中でも人気があったのが「路地遊び」です。 1960年代以降に生まれた人たちにはイメージしにくいかもしれませんが、そのころの住宅地には木造モルタルの小さな家が密集して建っている所が多く、家と家の間には人ひとりようやく通れる狭い路地が随所に見られたものでした。 地図の上では道がないように見えるのに、実際には路地を次々に抜けていくことによって反対側に移動することができたりしたのです。 「路地遊び」とはあらかじめスタートとゴール地点を決めておき、こうした路地を使って競争する一種のストリートレースのようなものです。 当然広い道を通った方が早いのですが、これをやって見つかると反則負けとなり、「ズル」をしたと言われ続けます。 体力勝負というより日頃のリサーチ能力が物を言うため、自分だけが知る隠れ路地を発見するため放課後を使って日々研究にいそしんでいました...つづき
1993年生まれ

下校中のいたずらの思い出

たくとさん 静岡県 1993年生まれ 男性 登下校に40分ほどかかる場所に住んでいました。 ほとんど田んぼ道で途中に遊具がある神社を通ります。自然が多くて生き物や植物に数々触れながら登下校していました。 夏はザリガニがたくさんいるドブや田んぼを見つけては、神社の手水舎に入れて置いたり、持って帰って飼ったりしていました。 大雨や台風の後には川からたくさん水が流れてくるせいか、大きなフナやカメがいてテンションが上がったことを覚えています。 冬には凍った田んぼを走り回ったり、神社のイチョウの木に生っている銀杏の実に石を投げて落として持って帰ったりしていました。 近所のおじいさんと一緒に拾って帰ったものの、処理の仕方がわからないと母に困られました。 春や秋には道端に生えている花の蜜や野イチゴらしきものをなんとなくの知識で口にしていました。 おいしかった実は毎日下校の時食べて、まずかった実は人の家の庭に生えているバラの棘に刺していました。 家主の人に見つかったときは怒られずにあきれられている様子でした。子供ならではの怖いもの知らずの自然にあふれた思い出です。
1983年生まれ

下校中に遊んだ思い出

今日は明日さん 広島県 1983年生まれ 女性 下校は学校から放たれた開放感たっぷりの時間。 一人の時は寄り道はしませんでしたが、友達と帰るときはおたまじゃくしやホネホネロックを探したり、ザリガニ釣りをしたり、蓮華の蜜を吸ってみたり、シロツメクサで花冠を作ったりといろんな思い出があります。 子犬が産まれた家があれば見ず知らずの家であっても“ピンポーン“とチャイムを押し、「子犬と遊ばせてくださーいっ!」と飼い主にお願いしていました。 ランドセルを放って夢中で遊んでいると、あっという間に日が傾き始めます。そろそろ帰ろうと言って子犬とお別れの挨拶をし、ようやく帰宅するのです。 そして一人の時の土曜の下校中は、密かに“この家のお昼ごはんはなんだろなゲーム”をしていました。土曜は3時間目までしかないのでお昼で授業が終わります。 帰りに歩いていると、人の家から焼きそばの香ばしい香りがしてきます。「ここは焼きそばか、ソースはオタフクだな。」 さらに進んでいくと今度はカレーライスのスパイシーな香りがたまりません。「今作った匂いじゃないな、昨日の残りかな?」 このように人の家のお昼メニューを心の中で言い...つづき
1982年生まれ

白熱する石蹴りの思い出

ねえちゃん 大阪府 1982年生まれ 女性 石蹴りは登校時は何故かせず、下校時にしていました。 特別なルールはありませんが、必ず一つの石を交互に蹴るのが暗黙のルールだった気がします。 下校時にたまたま見つけた程よい大きさの石を蹴りながら歩きます。 あまり大人数ですることはなく、一緒に帰る友達が2〜3人でひたすら蹴るのです。 何となく相手にパスしながら通学路を進みます。 危ない話ですが、強めに蹴ったりすることもあります。特に早く帰りたい時などはロングパスをしたいため、勢いよく石を蹴ります。 すると、知らない人のお家に入ったり、停まっている車の下に入ったりする訳です。 何故か手を使って取るのはアウトなので、意地でも足で取ります。 必死に足を伸ばしてプルプルさせながら足で石を取り、また石蹴りの再開です。 通学路でしますので、どうやっても最後は一人になります。 最後が自分だった場合は、勝手に自宅付近でゴールを決めるのですが、上手い具合にその場所へ石が入らないと家に入れないという自分ルールがあり、白熱してなかなか家に帰れないこともありました。
1979年生まれ

石蹴りゴルフ

たかさん 大分県 1979年生まれ 男性 小学校低学年から3年生くらいまでにかけて、我々のグループでは石蹴りゴルフが流行っていました。 同じ学区の通学路としては比較的長い約1kmを楽しむために考えたもので、学校を出るときに平べったい小石を各自選び、ゴルフのように蹴って道を進んでいくというものでした。 ゴルフのように第何打とカウントしていき、もし水路や川などに石が落ちてしまった場合は、1打加えて新しい石を見つけていました。 最終的に一番近い人の家が近づいたら適当なマンホールを決め、そのマンホールの真ん中に石を止めて終了します。 順位はつきますが特に何かあるわけではなく、翌日になるとまた同じ調子で遊んでいました。 毎日同じだと飽きるので、変化をつけるためにたまにルートを変えるなど、子供ながらに工夫をしていた記憶があります。 それなりに盛り上がって楽しかったのですが、数は少ないものの車も通る道を使っていたので、現在では少し問題のある遊び方だったと思っています。
1974年生まれ

「学校帰りに石蹴りをしてたら」石蹴り遊び2種類

マルコさん 福岡県 1974年生まれ 男性 僕たちの世代は子供のころ、学校帰りに友達と石蹴りをして遊んでました。 石蹴りといってもいろいろ遊び方はあると思いますが、一つは「帰り道に家まで石を蹴って帰る」遊びです。 ルールは単純で、途中で石をドブに落としたり、田んぼに落としたりせず、家まで無事にたどり着くこと。 簡単なようで家までたどり着くまで何度も落とします。そのたびに新しい石でやりなおし。特に厳しいルールはないのですが、とにかく家まで石を蹴って帰っていました。 途中で友達は帰る方向が違うので1人になりますが、それでも一応はズルをせずにちゃんと石を蹴って帰りました。 ただこれにはひとつ問題があって、家に帰るまでかなり時間がかかります。 ある日のこと、友達と喋りながら、夢中になって石蹴りをして帰っていました。かなり時間がたってしまい、夕方の5時を過ぎていました。 気づいたのは家に帰ってランドセルを置いてからです。そう今日は夕方から塾に行く日だった。もう間に合わないと焦りながら、一生懸命に走って塾に行ったのを覚えています。 【おまけ】 もう一つの石蹴りの遊びとして、公園で友達が集まったらジ...つづき
1981年生まれ

「登下校時の一人遊び」石けりの思い出

昭和の少年時代さん 長野県 1981年生まれ 男性 私が小学生だった当時、石蹴りをしていたことを思い出します。 まずは、登下校時です。家を出ると同時に足元にある石ころを探します。大きすぎても小さすぎても、だめです。よく転がりすぎてもいけません。なぜなら、家から学校まで同じ石を蹴って転がし続けるためです。 通学路の川沿いや土手を白線に沿ってぎりぎりで歩きながら進んでいきます。何回も立ち止まって微調整しながら蹴っていったのでしょうか。登校時には時間上の制約から、雑な判定をとることも多かったです。 ある場所で別の石に乗り換えても良いことにして、他の石を蹴って無理やりゴールすることもありました。 たまに「ハンドあり」のルールになることもあります。 時間制限のない下校時は、立ち止まりながら蹴っていた記憶があります。 田舎とはいえ車も通行しており、横断歩道の通過時はロングパスで切り抜けていました。見かけた大人から何回怒られたのでしょうか…。 非常に難易度、危険性の高い遊びです。 とくに「サッカーが上手くなる」ようなこともありませんでした。
1977年生まれ

「登下校の思い出」嫌な教科があるときは石蹴りしながら登校

やまぺさん 大阪府 1977年生まれ 男性 嫌いな教科の授業がある時など学校へ行くのが嫌な日があると、よく朝から石蹴りをしながら登校していました。 石蹴りをしていると、それに夢中になって嫌な事などは全て忘れます。 当時流行していたキャプテン翼をイメージして、何とかシュートとか言いながら学校までずっと石を蹴りながら登校していました。 しかし、石蹴りをしながらの登校は、とても時間がかかるのでいつも授業が始まる直前に学校に着き、現実に戻されます。 すぐ授業に入らないといけないので、余裕がなく、後悔をしてしまいますが、どうしても現実逃避をしたいので、嫌な日は石蹴りをする事を自分の中で決めていました。 ある日、登校時から友達と一緒に石蹴りをして学校まで行ったことがありますが、その時は流石に遅刻してしまい、先生に怒られました。 その日は一日中嫌な気分だったので、帰りも石蹴りをして帰宅しましたが、家に帰って一日を振り返ってみると自分が悪い事に気付き、それ以降は石蹴りをしての登校は止めました。
1968年生まれ

下校時の石蹴り遊び

スムージーさん 千葉県 1968年生まれ 女性 私の小学生の頃は、道はアスファルトでしたが、今ではあまり見かることのない、石が結構道に転がっていました。 近所の友達と学校から帰る時、そんな石を見つけては、石蹴りをしながら、家に帰った思い出があります。 蹴った石は、どこに転がるか分かりません。その事が面白く、石を追いかけながら、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、はたまた道を戻ったりと石蹴りは、続きます。 石蹴りをしていると、なかなか家には辿り着きません。 何処に転がるか分からない、自分の蹴った石を追いかけるのが、何故あれ程面白かったのか、今は分かりませんが、思えば人生も石蹴り遊びのようだと、中年になってしみじみと思います。