岡山県に住んでいた人が小学生の頃にした遊びの思い出

1984年生まれ

「缶蹴りのルールと遊び方」と「こち亀の両さんの話」

おかずさん 岡山県 1984年生まれ 男性 小学生の頃、私は学童保育に行っており、よく缶蹴りをして遊んでいました。学童保育の近くの公民館でやることが多かったです。 鬼は、缶を立てて30秒ほど数え、隠れている人を探しに行きます。 誰々を見つけたら、素早く缶のところまで戻り、缶を踏んで、誰々みっけ、と言えばその人は捕まります。 逆に、鬼に見つかったとしても、鬼より早く缶を蹴れば、また隠れることが出来ます。 岩場の影、倉庫や押し入れの中、木の裏、縁の下など、様々なところに隠れていました。 あるとき、私が見つかっていない最後の1人となりました。岩場の影から素早く走り、缶を蹴って、捕まった人全員が解放された時は、爽快でした。 遠くに蹴れば、鬼はそこまで缶を拾いに行って元の位置に戻るまで時間がかかります。その間に解放された人は遠くまで逃げる事ができます。 おまけ 大人になって、漫画のこち亀で缶蹴りの話を読み、昔を懐かしむとともに、イタリア人が名前が複雑で、顔もよく似ており、それでも両津が全員捕まえたという話があり。発想が面白かったです。
1986年生まれ

缶蹴りとお友達の思い出

パンさん 岡山県 1986年生まれ 女性 小学生の頃、よく缶蹴りをして遊びました。缶を蹴る力や場所、タイミング、いかに仲間を救えるかなど、意外と頭を使っていたことを思い出します。 隠れる場所によってはしっかり参加できずに終わってしまうこともあります。 私がが大きくなるにつれて、盛り上がりたいと思ったら積極的に缶を蹴りにいったり、休みたい時には見つからない場所に隠れたりと、状況によって動いていました。 ただ、鬼になった時には、なかなか勝てないこともあります。絶対に鬼にはなりたくないと思っていました。 缶を蹴る方が上手く協力体制を取っていると、鬼が交代出来なかったり、公園や学校が広すぎたことも原因だったかもしれません。 今思えば、範囲を区切ってやっていれば、鬼の私ももっと楽しめたように思います。 私が不甲斐なかったこともあり、鬼を2人にすることもありました。それはそれで私も楽しめるようにしようと、子どもなりに考えてくれたのでしょう。 良いお友達に恵まれたと、今になって感じたことでした。
1984年生まれ

「ケイドロの思い出」遊び方とコツ

おかずさん 岡山県 1984年生まれ 男性 私は小学生の頃、学童保育に通っていました。そこでよくケイドロをして遊んでいました。警察チームと泥棒チームに分かれて、警察が泥棒を捕まえるというゲームです。 サッカー場の半分を使っていました。サッカーゴールに警察に捕えられた人が集まっています。泥棒の全員が警察に捕まれば警察チームの勝ちです。 ある泥棒が、サッカーゴールで捕まっている別の泥棒をタッチすれば、警察から解放されます。 制限時間を設け、1人でも泥棒が生き残っていれば泥棒チームの勝ちです。制限時間は10分が多かった気がします。 泥棒が、捕まっている泥棒を立て続けにタッチして行けば、どんどん泥棒が解放されていくのですが、警察側はそれを阻止したいので、終盤は特に、サッカーゴール前に集結して、泥棒がサッカーゴールに近づいてくるのをマークしていました。 一方泥棒側は、1人でも生き残っていれば勝ちなので、終盤は捕まった泥棒をあえて助けずに生き残る。というのも作戦でした。
1984年生まれ

学童保育で覚えた お手玉の思い出

おかずさん 岡山県生まれ 1984 男性 私は小学生の時に学童保育に通っており、そこでよくお手玉をして遊んでいました。 お手玉自体も、布切れと小豆で、糸と針で縫って作りました。2つを両手で上に投げながら回していくのは簡単ですが、3つは少し難しかったです。ただ、何度も練習をしていくうちに出来るようになりました。 時計回り、反時計回り、両方で出来ます。一般的には、前でお手玉を入れ替えていきますが、後ろでの入れ替えも頑張って練習し、できるようになりました。 学童の先生はお手玉がとても上手であり、私ができるようになったのは、学童の先生のおかげです。 4つも頑張ってみましたが、結局一度も出来ませんでした。 お手玉はお手製であるため、何度も使っていると布が破け、小豆がバラバラになってしまうこともたまにありました。故意に破いてしまう友達もいました。 飽きてくると、友達と投げ合い、野球のキャッチボールや、ドッジボールのようになってしまいました。今になってやってみましたが、全く出来ませんでした。
1987年生まれ

親との凧上げの思い出

パンさん 岡山県 1987年生まれ 女性 小学生の頃、お正月になると近くの公園で凧上げをしていました。公園は、遊具よりも広場の面積の方が広かったので、凧上げをするにはちょうどいい広さがありました。 空を飛ぶことに強い憧れがあった小学生時代、自分が飛ばすより、飛んでいる凧を見る方が好きだった記憶があります。親が上手く飛ばしてくれるのを追いかけながら見ているのがとても楽しかったです。 風が強い日は上手く飛ばせなかったり、上手くコントロールができなくて地面に激突させて壊したことがあります。その時は親に怒られるとビクビクしたことも、今では良い思い出です。怒られることはなかったですが、壊れてしまったので冬休み期間中に凧上げができなくなった寂しさもよく覚えています。 友達同士で上げる時には、近づきすぎて紐の部分が引っかかり解いていたら遊ぶ時間が終わってしまうこともありました。 それでも、順番に上げることだったり、離れて飛ばしたりと、今思えば子どもなりに失敗から学んで、ちゃんと考えて飛ばしていたんだなと感じたことでした。
1984年生まれ

「おはじき当て」と「おはじき止め」の遊び方

おかずさん 岡山県 1984男性 私は小学生の時、学童保育に行っていました。そこで友達とおはじきをしてよく遊んでいました。 【おはじき当てのルール】 おはじきを散らばせて、自分と相手のおはじきを一つずつ選びます。そして、散らばっているおはじきのうちの一つを宣言して、これに選んだおはじき(ビリヤードの白い球のように)をぶつけて当てます。 当たったらそのおはじきがもらえ、当てられなかったら1回休みです。これを2人交互に行なって、得られたおはじきが多い方が勝ちです。 綺麗なおはじき、大きいおはじきは人気であり、それを狙う友達も多く、私も狙っていました。 【おはじき止めのルール】 机の一方の端におはじきを置いて、他方の端目掛けて、2人同時に、手で押して飛ばします。端により近くおはじきを止めた方が勝ちですが、机の端から落ちてしまったら負けです。勝てば自分と相手のおはじきがもらえます。 一般的には消しゴムでやるのだと思いますが、その学童保育では、おはじきでやっていました。
1984年生まれ

二重跳びの思い出

おかずさん 岡山県 1984年生まれ 男性 小学五年生の時、縄跳びがとても流行っていました。五年生の教室は屋上のスペースの向かいにあり、縄跳びには絶好の場所だったためです。 二重とび、後ろ二重とびはもちろん、後ろ駆け足二重あや(片足ずつ後ろ二重にし、両手をクロスさせてまた戻す)、後ろ交差二重あや(両手をクロスさせたまま、後ろ二重をする)など、様々なバリエーションがありました。 二重とびが得意で、120回連続で飛べました。本当はもっと多い回数跳べていたと思いますが、気を失って、目が覚めたら保健室でした。 体育の時間に、全員同時にスタートして、引っ掛かったら脱落していき、三人くらい残って、負けたくない一心でやっていたためです。 三重とびは10回くらい、後ろ三重跳びも5回くらいできたと思います。 最近になって、姪が縄跳びをしているのを見て、私も久しぶりに跳んでみたところ、姪は軽々と跳べる一方、私は全然跳べずショックでした。25年前の過去の栄光にすがるのは辞めます。
1984年生まれ

「ゴムとび」と「ゴムダン」のルール

おかずさん 岡山県 1984年生まれ 男性 【ゴムとび】 ゴムとびは、10人くらいでやっていました。100均で売っているような、パンツ用のゴムです。2人は両側で腰の高さくらいで持っていて、残り8人で順番に跳んでいきます。男とびと女とびがあります。 男とびは、ゴムに対して平行に跳び、右足をあげてゴムを越え、その後左足もゴムを越えます。ゴムにあたっても、飛び越えられたらクリアです。 女とびは、ゴムに対して垂直に跳び、右足、特に足首の部分を引っ掛けるようにして跳び、その後左足も同様にゴムを越えます。 だんだん高くしていき、越えられなかったら脱落、最後の1人になるまで競います。走り高跳びのように助走をつけて跳ぶのではなく、ゴムの目の前に立って跳びます。 【ゴムダン遊び】 ゴムダン遊びも10人くらいでやっていました。 2人は両側でかかとに引っ掛けて輪にしており、残り8人は輪の中にいます。 グーで輪の中に足を入れ、パーで輪の外に足を出します。 だんだんペースを速くして行き、間に合わなかったら脱落。最後の1人が優勝です。
1990年生まれ

ゴム跳びと友達の思い出

ことさん 岡山県 1990年生まれ 女性 ゴム飛びは小学校の時になぜか一時期クラスのブームになりました。なぜなのかは思い出せないのですがクラスの女の子と一緒にゴム飛びを楽しんでいた事をよく覚えています。 色んな曲で遊んでいたので、童謡のような曲やその時流行っていたKinKi Kidsの曲などをみんなで歌いながら遊んでいました。 色んな技があったのですが私はあんまり上手くありませんでした。友達の上手な女の子は大変複雑な技を披露してくれてみんなの尊敬を集めていた事を覚えています。 冬に運動場で転けるとかなり痛いので、転けないように必死にゴムを見ながら運動していました。 一緒に遊んでいて転けてしまった友達が、泣きながら保健室に行ったら足の骨が折れていました。当時はとんでもない事をしてしまった、と思い非常に焦った事を今でも覚えています。 小学校の頃の楽しい思い出の遊びなのでとても懐かしくなり、また体が動くならやってみたいなと思いました。