危険な遊びの思い出

子どもの頃にした危険な遊びの思い出とエピソードを集めました。

このサイトでは子どもたちが危険な遊びを知り、真似をして欲しいのではありません。

子どもは遊びの中でこのような危険で危ない遊びをすることがあるんだよ。ということを事例として記録し、残していきたいと考えています。

1976年生まれ

ガキ大将に巻き込まれた「ケンカごっこ」でやりすぎてしまった話

ゆでたまごさん 大阪府 1976年生まれ 男性 ガキ大将と言えばケンカのイメージですが、だいたいは弱い人など殴ったりせず、相応の相手を選んでしていました。 私はおとなしく目立たない存在でしたが、成長期のタイミングの差からか、体が大きく力だけはありました。 そんな体格の良さからか、目をつけられたのか、ケンカごっこに巻き込まれてしまいました。 いつもは、ガキ大将の取り巻き同士でケンカごっこをしているのですが、飽きてきたのか私が目をつけられてしまいました。 まずは一番弱そうな子が私の相手に選ばれました。 ケンカといっても理由もなく殴り合いをする気も起きず、だいたいの人は「相撲もどき」の取っ組み合いでお茶を濁します。 そんな事とは知らない私は、ガキ大将と大勢の取り巻きに囲まれ、パニックになり、必至で腕や足を振り回しました。ガキ大将たちは、最初こそ混乱する様子を見てみんなで笑っていました。 私のほうが数十センチも身長が高く、必至に暴れるものだから、相手もたまったものではありません。 ガキ大将も「殴れ、蹴れ」とはやし立てますが、偶然当たった腕や足のせいでいつの間にか流血沙汰になっていました。 それ...つづき
1980年生まれ

光GENJIと共に始まった ローラースケートの思い出

ローマさん 栃木県 1980年生まれ 女性 自分が小学低学年の頃、世間では「光GENJI」がとても人気でした。かっこいい男性アイドルがローラースケートで走り回りながら歌って踊る、テレビ歌番組でよく見ていました。 そして巷ではその影響でローラースケートが人気になり、町のおもちゃ屋さんはどこでも扱っていたように記憶しています。 学校のクラスメイトの中でも何人かが持っていて、例にもれず自分も欲しかったのですが運動神経があまり良くなかったので買ってもらえず。近所に住んでる子が持っていたローラースケートを借りて遊んでいました。 子供が集まると少し危険なことにも挑戦し始めるもので、近くの住宅地になだらかな坂があり「その上の方から滑り降りよう」となりました。 自分は運動音痴なこともあり、早々にリタイアしたのですが数人が挑戦。5人程が滑ったところで近くを通りがかった知らないおばちゃんに「何やってるの!あぶないでしょ!」と怒られました。 車も走る道だったので当然です。上級生の子たちが特に怒られていたことを覚えています。 ローラースケートの興味は光GENJIの興味とともに次第に薄れましたが、あの頃もっと挑...つづき
1982年生まれ

度胸試しなシーソーの思い出

ちーさまさん 大阪府 1982年生まれ 女性 一般的なシーソーの遊び方は、大体同じくらいの体重の子が両サイドに座り、お互いに足を使って地面を蹴り上げて、交互に上下するのを楽しむと思いますが、盛り上がってくると必ず度胸試しの様な遊び方になっていました。 今考えると、なかなか危なっかしいのですが、最初に乗れるだけ乗って、特に掛け声もなく、アクションもない状態から、突然一人抜け、二人抜け、三人…と抜けていき。残り両サイドに一人ずつになった瞬間、最後になった子は凄まじい勢いで下に下がってお尻を打つ…という遊びをしていました。 抜けるタイミングをみはかるのが難しく、途中で抜けれても抜け方が下手ならば転けたりして怪我をすることもあった気がします。 他にも、そもそも座って遊ばずに平均台の様に木の上をバランス良く右から左に歩いたたり、両サイドに一人ずつ立って、思いっきりその場で跳ねてボヨンボヨンと遊ぶ等、優雅にシーソーを遊んだ記憶がありません。 いつも、いつのまにか度胸試しになっていました。
1982年生まれ

シーソーで遊んだ思い出「相手を浮かせたり 勢いよく落とす遊び」

ココちゃん 京都府 1982年生まれ 女性 子供の頃、公園といえば大概シーソーが置いてありました。座るところが赤色と青色になっていて、なるべく相手を空中に浮かしておけた方が勝ちというルールで遊んでいました。 なぜそうだったのか?覚えてないのですが、なるべく相手が浮いておけるように自分だ下がった時にどれほど足で勢いよく踏み込むかそうでないか?を考えながら遊んでました。 さらに、相手が1番高いところからドン!と勢いよく地面に落ちるように、相手が1番高いところまで浮いたらタイミングを見計らって椅子から飛び降りたりもしてました。 自分が1番高いところからドン!と落ちた時には、下にクッションでタイヤが埋め込まれていたんですが、それでもお尻に衝撃が走ったのを覚えてます。 後は体重が重い子に対して何人ほど反対側に乗ったら体重の重い事同じくらいの重さになるか?なんて調べながらも遊んだりしてました。 今だとあまりそんな事したらいじめだとか言われるかも知れないですが、お互いに特に悪気もなく、みんな楽しんで遊んでました。
1991年生まれ

子どもの頃にした シーソーの危ない遊び

ままんごさん 岩手県 1991年生まれ 女性 今も公園に行けばあるシーソー。散歩をしている時に見かけると、小学生の時に友達と一緒に遊んだことを思い出します。 シーソーで遊ぶときに友達としたのが、一人シーソー(一人でシーソーを動かす)をして遊んだり、やってはいけないと思いながらも当時は友達とはまっていたのがシーソーの真ん中にある支え?の部分に乗って、本来の遊びではない遊びをしたことです。 当時は今みたいに危険なものを避けて遊ぶという事がなく、危険な遊びが大好きだった小学生でした。怪我をしてもまたその危険な遊びを繰り返していたことを思い出します。 後は思いっきりジャンプをしてシーソーで相手を上にあげたりしました。シーソーの下にあるタイヤに、友達が上に上がったタイミングで足をおき、降りてくるタイミングで足を離すなんて遊びをしていました…。絶対に良い子は真似してはいけない。 シーソーをしている時のあの上に上がるふわっとする瞬間が好きで、友達とワイワイ遊んだ事がとても楽しかったです。
1985年生まれ

シーソージャンプでどれだけ高く華麗に飛べるかを競い合う

あろえさん 福井県 1985年生まれ 男性 小学生の頃、毎週金曜日は遊びの日でした。私たちの学校から徒歩で数分の公園によく行きました。「シーソー」は大人気の遊びでした。 私たちは、普通にシーソーを漕いで遊ぶだけでは飽きてしまい、かなり無茶な遊びをしていました。 普通シーソーは両側に1人か2人ずつ座って遊ぶイメージですが、私たちは一度に3人も4人も乗って遊んでいたのです。たくさんの仲間と一緒に乗って大はしゃぎして遊ぶのが楽しかったです。 それからたくさんのオリジナルゲームを考えました。一番過激たっだ遊びは「シーソージャンプ」でした。 一人がシーソーの端っこに立った状態で、逆側のシーソーに二人が飛び乗ります。端っこに立っていた人はシーソーが大きく漕がれて勢いよくジャンプします。そのジャンプの飛距離や芸術性を競うというゲームでした。 今思うと非常に危険です。自分の子供がこんな遊びをしていたらと思うと怖いですが、当時はこういったオリジナルなゲームを考えることで、「シーソー」の遊びは楽しさが倍増しました。 仲間と一緒に遊ぶと、笑い声が響き、楽しい時間。今でも思い出すと懐かしさが溢れてきます。
1978年生まれ

スリル感満載のシーソー遊び

遊び大好き少年さん 東京都 1978年生まれ 男性 小学校の校庭にあったシーソーで、放課後にクラスの友達と遊びました。 シーソーというと交互に上がったり下がったりという単純な遊びのイメージがありますが、その遊び方だけに捉われずに、友達と話し合いスリル感を味わえるシーソー遊びを考えました。 それは、シーソーに乗る人数を通常は左右に1人ずつですが、片方の人数を増やし(例えば3人)、1:3の割合でシーソーをするということです。 これによりシーソー自体のバランスが悪くなり、振り子のように一定のリズムで動かなくなります。これがシーソーから振り落とされるかもしれないというスリル感が生まれ、楽しめることができました。 また、片方3人のうち、1人が向かい相手のシーソーに上下に動いている最中に移動するという遊びも考案しました。これは、先生とかに見つかると確実に注意されることになるので、放課後で先生が手薄になった頃を見計らい遊びました。 「先生に見つからないか」というスリル要素も加わり、今思い出しても最高に楽しかったです。
1989年生まれ

「怖い箱」箱ブランコの思い出

りんさん 東京都 1989年生まれ 女性 物心がついたとき、通っていた幼稚園にも近所の公園にも箱ブランコがありました。私は早生まれで他の同級生よりも体が小さく、運動神経も悪かったのです。 幼稚園の先生は子供たちを箱ブランコに乗せてくれたのですが、私にとっては恐怖の箱そのものでした。 きちんと席に座ってゆっくり漕いでもらう分には構わないのですが、やんちゃな子供たちはそれだけでは物足りません。 男の子も女の子も背もたれのところに足をかけて立ち上がり、外から自分の体重をかけて箱を揺らすように漕ぐスタイルが多かったように思います。 そうすると当然揺れがどんどん大きくなって怖いし、もう簡単には降りられません。乗っている本人たちはもちろん危ないのですが、ふり幅が大きくなるので周りにいる子も気を付けないと巻き込まれてしまいます。 友達が何度か立ったまま飛ばされたり箱ブランコの下で頭をぶつける姿を見ていたので、そのたびに怖くてあまり近づきたくなかった思い出です。 今でこそ安全面から見かけなくなりましたが、思い出すとぞわぞわしてしまいます。
1970年生まれ

「一歩進化した遊び」箱ブランコからのジャンプ

せいざいさん 家の近くの公園 1970年生まれ 男性 小学校のころは通常のブランコ、箱ブランコ、滑り台などをフル活用して遊んでいました。特にスリルがあったのは箱ブランコからのジャンプです。 遊び方は、箱ブランコに二人で乗って一生懸命漕ぎます。その一方で背もたれの上の部分のパイプに一人がブランコの外側を向いてつかまります。 箱ブランコは一生懸命漕ぐと漕いでいる人の足場がなくなるのも恐怖ですが、その状況の中、背もたれの部分に外側に向いてつかまり、ブランコの勢いでジャンプするのはとてもスリルがあります。 自分が思った以上に飛び出すので、空中で安定した姿勢をとるのが難しいほどです。 当時ガンダムが流行していたので、みんな「アムロ行きまーす」といって、箱ブランコをカタパルト代わりにして飛び出したものです。 私の子供の記憶なので詳細ではありませんが、2階建てのベランダぐらいはジャンプできたと思います。 着地した時は土の地面でも足が痛かった記憶があります。今考えるとかなり危ない遊びをしていたなと思います。現在は許してもらえないでしょうね。
1985年生まれ

「危険な遊び」箱ブランコの立ち漕ぎ

つぼたさん 北海道 1985年生まれ 男性 小学生の頃、よく遊びに行く公園に箱ブランコがありました。普通のブランコや滑り台、ジャングルジムなどの遊具がありましたが、よく遊んでいたのが箱ブランコでした。 乗っている人が足を踏ん張るように漕いで遊んでいましたが、誰かが始めた骨組みのところに手をかけて外側から足で箱ブランコを押すという遊び方で遊んでいました。 足で押すと勢いよく揺れます。限界まで揺らすとブランコの骨組み同士が当たり「ガッタン」と音がして中に乗っている人は少し浮くぐらいの振動がきます。とてもスリルがあり、楽しく遊んでいた思い出があります。 当時の自分たちは箱ブランコのことを「ガッタン」と呼んでいました。 当時は楽しく遊んでいましたが危ないことも何度かあり、足で漕いでいる人が足を滑らせて落ちてしまったり、中に乗っている人が衝撃に耐えきれず外に飛び出してしまったりしました。今思い出すととても危険で、よくケガをしなかったなと思います。
1980年生まれ

変則ルールの雪合戦

カメットさん 山形県 1980年生まれ 男性 雪遊びの定番といえば雪合戦。皆でワイワイと楽しんだ人もいるでしょう。私が小学生の頃、変な雪合戦が流行り、ちょっとした恐怖とスリルを味わいました。 その内容はシンプル。雪玉十個の内の一個に氷の欠片などを入れる、と言うもの(良い子は真似しないでね)。ただの雪玉よりよく飛び、何より当たった人は「痛え!氷入りだ!」などと騒ぐと皆それだけで笑い転げたものでした。 しかし、皆段々とエスカレートして「十個に一個」というルールが破られ、殆どが氷入りの雪玉になり、時には氷をそのまま投げる者まで現れました。流石に不味いと思った者もいて、学校の先生に相談したようです。 全校集会の最後に校長先生が「雪合戦の雪玉に氷を使わない様に」と付け加えました。このスピーチは仲間の間で長く語り継がれる事となりました。