1984年生まれ

二重跳びの思い出

おかずさん 岡山県 1984年生まれ 男性 小学五年生の時、縄跳びがとても流行っていました。五年生の教室は屋上のスペースの向かいにあり、縄跳びには絶好の場所だったためです。 二重とび、後ろ二重とびはもちろん、後ろ駆け足二重あや(片足ずつ後ろ二重にし、両手をクロスさせてまた戻す)、後ろ交差二重あや(両手をクロスさせたまま、後ろ二重をする)など、様々なバリエーションがありました。 二重とびが得意で、120回連続で飛べました。本当はもっと多い回数跳べていたと思いますが、気を失って、目が覚めたら保健室でした。 体育の時間に、全員同時にスタートして、引っ掛かったら脱落していき、三人くらい残って、負けたくない一心でやっていたためです。 三重とびは10回くらい、後ろ三重跳びも5回くらいできたと思います。 最近になって、姪が縄跳びをしているのを見て、私も久しぶりに跳んでみたところ、姪は軽々と跳べる一方、私は全然跳べずショックでした。25年前の過去の栄光にすがるのは辞めます。
1985年生まれ

努力ではどうにもならなかった単身縄跳び

運動オンチ 奈良県 1985年生まれ 女性 私が育った地域では体育の授業で縄跳びを持ってくるように言われました。様々な飛び方を体育の授業で習うことにより、習得していくのです。 普通とび、二重跳び、クロス跳び。多種多様な飛び方の内で、できる飛び方とできない飛び方があります。 あらゆる飛び方をマスターしている人もいますが、運動神経に恵まれていない私にとって、普通跳びが精一杯でした。それでもひたすら練習させることが義務教育のやり方です。 休み時間、帰宅後に自主練習をするように勧められるのです。ところが、自主練習でできること、できないことがあるということを当人が子供のために気がついていません。 教育者側もできないことは努力によってするべきだ…という考え方を曲げません。そんなこんなの考えと教育により、無駄な努力をするようにと賢明に練習しますが、できませんでした。 自宅練習で縄跳びばかりしていましたが、偶然に二重跳びができたとしても、なぜできたのか?分析できないのです。 今思えば、才能的にできない事に努力をしていたという…苦い思い出です。
1983年生まれ

いつでも縄跳び

ホクホクさん 広島県 1983年生まれ 女性 体育の授業で縄跳びがあり、富士山のイラストが描かれた用紙が配られました。 前跳びや後ろ跳び、交差跳び、二重跳びに挑戦し、練習してできるようになったら先生の前で披露します。合格できたら一マス色を塗っていき、富士山登頂!というわけです。 それ以降遊びも、跳び方の種類によっては少し縄を短くしたほうが跳びやすかったり、持ち手も滑らないように工夫しながら毎日練習しました。午前休憩や昼休憩も猛特訓です。 友達に見てもらい、「10回できてた?」「うーん最後の1回が怪しかったかな」など審査してもらっていました。このおかげで体育の授業が待ち遠しくなり早く富士山登頂するべく必死。 いつもなら遊ぶ時間も縄跳び、眠るときもイメトレです。まさに寝ても冷めても縄跳び。大変でしたが楽しい授業でした。 結果、私は登頂できず悔しい気持ちで終わりましたが、授業に関係なくしばらく縄跳びにハマっていました。おかげでいろんな跳び方ができるようになったのでした。
1996年生まれ

体育の授業の嫌だった縄跳びの思い出

白菜太郎さん 茨城県 1996年生まれ 男性 私が小学生だった頃の体育の授業での少し嫌な思い出です。当時、冬になると体育の授業では毎年のように縄跳びがありました。私は縄跳びが得意ではなく、特に二重跳びが1回もできなかったことを今でも覚えています。 そんなある日の授業で、先生が皆の前で言いました。「今日は最初に皆で二重跳びをやってもらいます。10回跳べた人からその場に座ってください。全員ができるまで終わりませんよ。」 二重跳びができない私にとっては地獄のような提案でした。 そして、先生の「始め」の合図で皆が一斉に縄跳びを始めました。縄跳びが得意な子から座り始め、あまり得意ではない子もやっとのことで跳び終わり座っていきます。 しかし、私は1度も跳ぶことができませんでした。次第に私以外の全員が跳び終わり、私が跳ぶのを見守り始めます。クラスの皆や先生が見ている中、1人で何度も何度も失敗し続ける姿はとても悔しく恥ずかしかったです。 結局は1度もできることなく、「今回はここまでにしましょう。」という先生の言葉で地獄のような時間は終わりました。今思い出しても本当に嫌な思い出です。 ちなみに、中学校で...つづき
1988年生まれ

冬の縄跳びの痛い思い出

とび兎さん 兵庫県 1988年生まれ 男性 小学生の頃、私の通っていた小学校では、冬の体育の時間に縄跳びをする事が多い学校でした。 服装に関して上は長袖の着用は許されていたのだが、なぜか下は半ズボンじゃないといけないルール。寒い中の縄跳びは冷えた体に縄が当たる恐怖があるのに、さらに下が半ズボン。今思えばどういう拷問なのかと思います。 普通に飛ぶだけではなく、1つ1つの技をクリアしていき自分のチェックリストを埋めていくような形でした。 後ろ跳びやクロス跳びとかはゆっくり出来るので、当たってもそこまでの痛さは無かったんですが、二重跳びは勢いも必要で普通にするのも当時は難しく、さらに当たると痛いという怖さもあり、なかなか出にずに苦労しました。 勇気を出してやった時に思いっきり素足に当たり、激痛と共に鞭を撃たれたようなミミズ腫れになりました。その後の体育の縄跳びは全て休んでしまおうかと思ったくらい嫌になったのが思い出です。
1977年生まれ

縄跳びとともに育った小学生時代 遊びと成長の物語

一服係長さん 栃木県 1979年生まれ 男性 私が小学生の頃「縄跳び」は立派な遊びのツールでした。今ほどにゲーム機や遊びのコンテンツはない時代、縄跳びで友達と遊びまた競い合った思い出が蘇ります。 放課後に学校のグラウンドや近所の神社で友達と一緒に「縄跳び」をしました。 最初は跳べなかったり、友達に追いつけなかったりすることもありました。それがまた次の挑戦へのモチベーションになりました。 「縄跳び」をするたびに自分の跳躍力が上がっていくのを実感でき、仲間とのコミュニケーションも強くなりました。 特に「リレー縄跳び」は一緒に跳ぶ仲間たちとのチームワークが大切だということを学べました。ときには「リレー縄跳び」で転倒してしまい。痛いし恥ずかしい思いをしました。 「二重飛び」「三重飛び」は友達より多く早く飛ぼうと夢中になり、一人日が暮れた家の庭で練習を繰り返したりと今思えば夢中になっていました。 小学生の時に「縄跳び」をすることができたことを思い出すと、今でも懐かしい気持ちになります。
1973年生まれ

痛かった 悔しかった縄跳びの思い出

ナポリタン星人さん 東京都 1973年生まれ 無回答 縄跳びは幼稚園から中学生の頃にやったと記憶しています。 幼稚園の時は走り縄跳びをやりました。普通の縄跳びではなくどこかに縄を結んでおいてそれをジャンプするだけのもので、何回か縄を高くしすぎて足を引っかけてしまい地面に頭を打ってすごく痛かった記憶があります。 小波跳びという縄の片方をどこかに結んで、もう片方を姉が持って自分の足元で左右に揺らしその縄をジャンプし続ける。あまり楽しくはないんですが姉と遊んだのはその時ぐらいだったなと思い出しました。 小学生になってからは、自分一人で前回し跳びや二重跳びなど普通の縄跳びをします。後ろ二重跳びがうまくできませんでした。 友達と二重跳びの回数を競ったりした時、自分はあまり運動神経はよくないので必ず負けてしまって悔しい思いをしました。 中学生の頃は大勢で並んで縄跳びをする大縄跳びで、自分が足に引っかけて止めてしまうことがよくありましてその時も悔しい思いをしました。
1989年生まれ

縄跳びで二重跳びができた思い出

佐和子さん 福島県1989年生まれ 女性 私が小学2年生の頃、二重跳びや三重跳びをするのが流行りました。教室の外のベランダで練習したり校庭で練習します。私はなかなか二重跳びができず悩んでいました。 それで私は、二重跳びが上手い人を参考に練習していました。あまりの熱心さに自分の家でも練習して、下の階の方から苦情がきて怒られたこともあります。 それからは自主的に練習するときはエントランスでするようにしたのですが、隣の家のおじちゃんが励ましてくれたことを思い出します。 そうやっていくうちに二重跳びができるようになって、学校で何回跳べるか実施したこともあります。最終的には20回くらい跳べるようになって、家族からも褒められ嬉しかったです。 特に祖父母が1番喜んでくれて、よく跳べるようになったなあなどと言われて嬉しかったです。 1番跳べる子は1分間くらい跳んでましたが、私には真似できないなあと思いながら見てました。ときどき縄跳びの縄が頭にパチっと当たることがあって、それは痛かったです。
1998年生まれ

母と縄跳びの思いで

さくらさん 福岡県 1988年生まれ 女性 「お母さん見て!」と頬を赤くしながら必死に母を呼んでいた時が懐かしい。 運動が大の苦手な私が唯一出来る運動が「縄跳び」でした。 自宅に庭はなかったものの駐車場でいつも練習しては、室内で家事をしている母を呼ぶ。 母は合間で出てきてくれて、「おぉ!すごい!」と声をかけてくれました。 小学生になると毎年冬に縄跳び大会があり、前跳び、後ろ跳びが何回連続で出来るのかという記録をとっていました。 全員一斉に跳び始め、縄に足が引っかかった人や疲れてもう無理・・という人はその場に座っていく。 引っ込み思案で注目されるのが苦手だったけれど、いつも励ましてくれる母の顔を思い浮かべながら必死に跳びました。 すると私は最後の一人になるまで残ることができたのです。 それから30年以上が経ち自分が母になった今、子どもたちも縄跳びが大好きで 「お母さん見ててね!」頬を赤くしながら跳んでいます。 あや跳びや交差跳び、出来るようになっては何度も何度も。 その姿を見るたびに私の幼少期がよみがえる、母と縄跳びの大切な思い出です。
1994年生まれ

女性縄跳び検定

ayoさん 大阪府 1994年生まれ 女性 私の小学校には縄跳び検定というものがありました。級毎にカセットテープが用意されており、冬の体育の時間にみんなで挑戦していくというもので、男女共に積極的に取り組んでいました。 音楽に合わせて飛んでいくのですが、10級は前飛びのみ、9級は後ろ飛びのみなど簡単なものです。 5級を越えてくると、複合技や2重飛び、更に聞いたこともないような技を要求され大変難しいものになっていました。 そこで、私の友達と一緒に1級を目指して取り組んでいくようになりました。体育の授業だけではなく、休憩時間に職員室の前でラジカセを借りて遊ぶこともできた為、一日中縄跳びに取り組んでいました。 それに取り組んでいた毎日でしたが、その友達の一人は急に転校することになってしまいました。学校の先生に縄跳び検定のカセットをダビングしてもらい、離れても1級成功を目指そうねと誓いお別れをしました。 私は1級まで成功することはできませんでしたが、友達はできたのかなと久しぶりに思い出しました。
1993年生まれ

縄跳びから友情の思い出

TYさん 沖縄県 1993年生まれ 男性 私が小学校4年生の頃に転校した先の学校で、友達ができずに悩んでいました。普段その学校の男の子たちはサッカーをして遊んでいましたが、私はサッカーが苦手でした。恥ずかしいので参加するのを拒んでいました。 ある日の休み時間にみんなは、サッカーではなく縄跳びをしていました。縄跳びならできると思い。私も参加しようとしましたが、A君は私のことが気に入らない感じで仲間外れにされてしまいました。 数日後、縄跳びで遊んでいた男の子達がいたので、参加したかったのですが、A君がまた仲間外れにしようとしました。 私は、心の中で「またか…また仲間外れか」と思い。その場を立ち去ろうとしたら、B君が寄ってきて、私に「一緒に遊ぼう」と言ってくれました。その時はすご嬉しかった記憶があります。 そして私とほかの男の子たちと縄跳びをして遊んでいると、A君がいないことに気づきました。その場から立ち去っていたのです。その時は何とも思いませんでしたが、他の男の子たちがA君を仲間外れにしたのです。 その日の放課後、A君は運動場で一人で泣いていました。それを見た私は、A君がかわいそうになり、...つづき
1983年生まれ

縄跳びの練習の甲斐があった思い出

maruさん 青森県 1983年生まれ 女性 縄跳びと言えば、小学校時代を思い出します。小学校の時縄跳びが体育の時間でしてから、みんなの中で縄跳びブームがありました。行間休みや、昼休み、みんなでレベルアップする為にたくさんの時間を使って練習してた思い出があります。 最初は普通の飛び方、その後は後ろ飛び、あや飛び、その後は後ろあや飛び、二重跳び、三重跳びと色々な飛び方を全制覇できるよう毎日練習してました。 みんなよりも早く飛んびたい、と思いが強くなり、学校から帰った自宅前でも練習に励んでた事を覚えています。 そして、小学校へ行くとみんなのこれできるようになったよ!の披露会。毎日、毎日、練習して、できるようになるととても嬉しかった事を覚えています。体育の時間は先生にも披露して、褒めてもらうのがとても嬉しかったです。 みんながほとんどできるようになると、大縄跳びをしたのが楽しかったです。1つの事をクラスのみんなで頑張って何回飛ぼう!とみんなで作った目標が達成できた時は本当に嬉しく、楽しい時間でした。縄跳びはそんな思い出があります。
2000年生まれ

嫌いな縄跳びが少しだけ好きになった思い出

hyontyeさん 東京都 2000年生まれ 女性 私は心底縄跳びが嫌いでした。なぜなら、縄跳びの技ができるようになったり、一定数飛べたら、ハンコが押されるノルマカードに、ハンコを押されることが一向に出来なかったからです。以来、小学生時代からずっと嫌いで飛びませんでした。 女子校に進学し縄跳びがありました。しかも、ノルマが加速し、1ハンコにつき技と回数両方ともに設けられてしまいました。加えて、縄跳びクリアのボーダー基準をこなせなければ補習時に呼び出されるとの事でした。 補習は夏休みにあり、貴重な夏休みを縄跳びに侵食されたくない一心で早朝と帰宅時に練習しました。高校生が縄跳びをすると目立ちます。気恥しさで、いっそう嫌いになりました。 好きで練習している訳でなく、本当は練習したくない気持ちと葛藤しながら日々練習しました。授業時にテストをされますが、時間内にクリア出来ず補習になりました。 で、渋々夏休みにやりましたが、私以外にも補習の人がいました。その補習の人の中では、1番最初にどうにか半日でクリアしました。ゆっくり飛んだり反則スレスレの行為をしましたが、練習の成果は出ていたと思います。少し...つづき