1957年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1957年生まれ

「初めて刃物を使わせてもらった」竹とんぼ作りの思い出

UFOさん 東京都 1957年生まれ 男性 初めてナイフを使って物を作ることを学んだのは、竹トンボ作りでした。 近所の神社のお祭りで、屋台で売っていた竹トンボを見つけたときには狂喜乱舞し、徹底的にその飛ぶ秘密を解明しようと必死でした。 その後、それをお手本に自分で実際に作ってみようと、四苦八苦しました。 まず、基本となる材料の「竹」を手に入れることからどうすればよいのか分かりません。 近所の材木屋のおじさんに聞いてみると、工場の隅に転がっている木材の切れ端なら、タダで持って行って良いと言われたので、「竹」ではないのですが、作ってみることにしました。 当時は今のようなキャンプ用のカッコいいナイフなどありません。肥後守(ひごのかみ、と読みます)という和製ナイフを父親から借りて、早速まねして木を削り始めました。 当たり前ですが、最初から上手く削ることなどできず、指を切っては、痛い思いをしながら、安全に刃物を使う方法を実践で身に着けながら、作業を進めました。 最初に作ったその不格好な「竹とんぼ」は、それでも、何とか空高く舞い上がってくれて、本当に子供ながらに大いに達成感を得ることが出来ました。...つづき
1957年生まれ

牛乳ビンと一升瓶のフタのメンコ遊び

サンダーバード2号さん 東京都 1957年生まれ 男性 今では恐らく想像もつかない遊びだと思います。牛乳ビンと言っても、もう、あまりピンと来ないかもしれません。 当時、殆どの家で新聞などと同様に毎朝牛乳を家に配達してもらっていました。今のような紙パックではなくガラス製の牛乳ビンでの配達でした。その牛乳ビンのフタを使っての遊びに夢中になっていました。 正確なルールは忘れましたが、手のひらを使ってメンコのようにひっくり返すことで取ったり取られたりを競うもので、珍しい柄のフタだと争って奪いあうといったことで勝負遊びをしていました。 それは後に、日本酒の一升瓶のフタにとって代わって、やはり、取ったり取られたりの勝負遊びに変化していきました。 これもまた、珍しくあまり見た事のない種類のフタを集めることに躍起になっていました。 良く考えると、人間の本来持っているであろう本能のような収集癖と賭け事への執着が、子供の世界にもそれなりにあって、そこで、大袈裟な言い方をすれば、知らず知らずのうちに小さな人生経験を積んでいる、貴重な時期であったと思います。
1957年生まれ

その美しさに魅了されました おはじきの思い出

AKANEさん 東京都 1957年 男性 姉の影響もあって、男の子でしたが、女の子に混ざって「おはじき」で遊んでいました。 お決まりの指で弾き飛ばして別のおはじきに当てて、動かされたおはじきを取っていくのですが、なぜか、はじいたおはじきとはじかれたおはじきの間に、人差し指を通してその指におはじきが触れないことを確認しながら、つぎにはじくという、謎のルールがそこではいつものことでした。 また、別の遊び方では、歌を歌いながら、お手玉を放り投げてその間に、畳に散らばっているおはじきを一つ一つのお手玉をほおっている手で素早く拾い上げ、つまずくまでに何個おはじきを拾えるかを競うという、アクロバティックな遊び方もありました。 いずれにしても、「おはじき」はそもそも女の子の遊び道具と言う感覚は、当時の自分には全くなく、みんな一緒になって楽しく遊んでいました。 独特のギザギザした表面に中には色とりどりの模様が入っていて、大きさも様々あって、大きなものは本当に子供心に宝石みたいだなと感心したものでした。
1957年生まれ

デカビーの思い出

ジュウゴさん 東京都 1957年生まれ 男性 とにかくビー玉をはじくためのハンドテクニックが勝負の分かれ目です。まずは、トレーニングから始めます。 様々な想定の元、地面の表面の状態やビー玉の大きさ、転がり具合等、全てをあらゆる角度から検討し、どのようにはじくかを頭の中でシミュレーションします。実際にはじいてみて、その結果を確かめる。そんなことを繰り返しながら、遊んでいました。 そんなとき、思いもかけず、通常のビー玉より2倍ほどあるビー玉(デカビーと呼んでいました)を手に入れることができ。遊び仲間からは、羨ましがられ、得意になっていました。 勝負には絶対使わずに、お守り代わりに持っていたのですが、ある日、年上の上級生がそれを欲しがり、勝負に出せと言われました。 低学年だった自分は今思えば、その上級生に上手いように勝負させられ、結局、体よく、持って行かれてしまい、泣きながら家に帰ったことがありました。 小さいながらも、そのときに、様々なことを学び、大きくなっていくための修練の一つだったような気がします。
1957年生まれ

ジャイロ効果に仰天した「地球ゴマ」

あかねさん 東京都 1957年 男性 コマ自体が足一本でどうして立って回っていられるのか、不思議でしょうがないと何度も回してみては繰り返し、じっと眺めている子供でした。 下手すると1日でもじっと見つめていることも苦ではなく、むしろ夢中になってその秘密を探ろうと躍起になっていました。 そんなとき、当時の漫画雑誌の広告に「地球ゴマ」なる、何とも自分にとっては魅力的な宣伝が掲載されていました。一体どんなコマなのか手に取って見て見たいと思い、近所のおもちゃ屋に日参したものでした。 当時の事でしたので、そうそうすぐに店先に並んではおらず、やっとのことで店先で実物を見たときには本当に驚き、腰を抜かしたものです。 今まで見たことも想像したこともない形で、何と様々なアクロバティックな回し方が可能と言うことで、何としても欲しいと思い、当時のなけなしの小遣いをかき集めました。 しかし、その当時の自分としては相当に高価なおもちゃでした。足りない分は、親を説得して無理を言って購入することに成功。そこから先は、もう、夢中で遊びました。 遠心力による独特の力の加わりやジャイロ効果を実感でき、飽きることなく遊びきっ...つづき
1957年生まれ

ベーゴマ遊び そこでは沢山のことを教えてもらいました

akusubさん 東京都江東区 1957年 男性 その当時は、今と違って、年齢に関係なく、様々な学年の友達グループがあって、遊びの種類でもグループ別に遊ぶことが自然に出来ていました。 メンコのグループ、ビー玉のグループ、ベーゴマのグループ等々。もちろん、重複したメンバーもいるのですが、多くの遊びのための集まりがあちらこちらに存在しているのでした。 それぞれに得意な分野があって、そこで技量を競い合うというところが楽しみの一つでもあったのです。 年下の子に年上の子がツルツルしたベーゴマをどうやって回すのかを手取り足取りで教えるところから始まります。 回すひもで結び目を二つ作り、それを上手にまいて、たたきつける様にバケツに敷いた特殊なシートに投げ込むテクニック。 出来ずに泣きたくなるような時もありましたが、みんながめげずに一生懸命に教えてくれたので、上手く回せたときの喜びは何とも言えないものでした。 しかし、ひとたび勝負となればお互い容赦はしません。年上の子が、年下の子を負かせて、ベーゴマを取り上げることも当たり前で、その逆もあることで、勝負の厳しさを身に染みて身体で学ぶのです。 子供の世界...つづき
1957年生まれ

「大切な1枚を仕上げていく楽しさ」メンコの思い出

はなちゃん 東京都 1957年生まれ 男性 小遣いを握りしめ、近所の駄菓子屋で売っているメンコを選ぶところから勝負は始まります。 一つ一つ、表面の絵柄はもちろんですが、紙の厚さや表面のツルツル加減、手にしっくり馴染むかどうかまで、じっくりと時間をかけて選びます。それが、本当に楽しくて、なけなしの僅かな小遣いから勝負に勝つための大切な1枚を選び抜くところは、至福の時でした。 更に、選び抜かれたその1枚にはカッコいい表面の図柄をより引き立たせ、しかも、勝負に有利なようにする工夫が施されるのです。 容易にひっくり返されないために、全体の重量を増すために、表裏にロウを丁寧に塗るのです。そうすることでカッコいいツヤのある図柄となり、大事な勝負にうってつけの1枚になります。 第一、ロウが塗ってあるので、水をはじくことで、雨の日でも勝負に負けることはありません。 みんなそんな工夫をそれぞれが持ち寄って、最高のメンコに仕上げて勝負に挑むわけですから,いやがうえにも勝負の最中は盛り上がります。 欲しいと思った相手のメンコをひっくり返した時の喜びや、大切にしていた1枚を持って行かれた時の悔しさを、繰り返し...つづき