1964年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1964年生まれ

「ほぼ詐欺だろ!」ベーゴマの思い出

YOWAIZOさん 青森県 1964年生まれ 男性 初めてやったのは小学校1年の時だったと思います。当時はメンコが激烈に流行ってりましたが、少し上の年のお兄様方の間では、ベーゴマも流行っていました。 メンコに比べてベーゴマは大分高価であったため、小学1年の自分には手が出せずにいました。 ところが家族で街に食事に行った時に、酒に酔った父が程度のいいベーゴマを買ってくれました。ただし、家の中で自分だけで遊ぶという条件付き。 憧れのベーゴマを手に入れた自分は、うれしくなっていつもポケットに忍ばせておき、取り出してはしげしげと眺めておりました。 そこを目ざとく見つけた上級生のお兄様の一人が「教えてやるよ」と近寄ってきて、丁寧に紐の巻き方など教えてくれました。 そして試しにやってみようという話になり、実際に手合わせしたところ自分が勝ってしまいました。その時はタイマンだったので、1個手にいれたわけです。 その日はそれで終わり、また明日ということになったのですが、その日の晩はうれしくてうれしくて寝付けませんでした。もちろん家族には内緒です。 そして運命の次の日になったのです。ここまでくれば予想がつく...つづき
1964年生まれ

空き地で猫を拾ったときの思い出

よっちさん 鹿児島県 1964年生まれ 女性 小学5年生ぐらいの時、自転車で近くを走っていたら、空き地の脇に一メートル四方ぐらいのコンクリートの管があるのを見つけました。 長さも一メートルぐらいなのでちょうど立方体、といったところです。よくドラマなどで、親にられた子が隠れるようなものです。 中に入ってみると、小さな段ボール箱の中に生まれて間もない猫の赤ちゃんが入っているではありませんか。 小さな猫って毛がフサフサで本当に可愛いです。早速家に持ち帰りましたが、母がアレルギー体質なもので家で飼うことはかないませんでした。 ちょっと残念でしたが、また先ほどのところに戻り、子猫ちゃんと夕暮れまで遊びました。 そして翌日、このことを仲良しのクラスメイトに話し、ふたりでその空き地に行ったところ、子猫はもういなくなっていました。だれか猫好きな人に拾われたんですね。
1964年生まれ

名前から節をつけて歌を作る 言葉遊び

よっちさん 鹿児島県 1964年生まれ 女性 あれはいくつの時だろう。小学校の高学年ぐらいだったでしょうか。ひとつの言葉遊びなんですが、 友達の名前の頭をとって、例えば山田さんなら、「山田さん、やがつく、やんやのやんすけ。焼いて焼かれて焼き殺された」というふうに節をつけて歌うんです。 このように意味が通じれば「やったー。意味が通じたー」と喜ぶ、というなんともいえない遊びをしてました。 そこに全く悪意はありません。山田さんも意味が成立して喜んでいます。やったー。てなもんです。ちゃんと成立させるのは難しいんです。山田さんは残酷だけど成功(!)。 あと、樋口さんも「轢いてひかれてひき殺された」で成功です。樋口さんもご満悦です。 私は「よ」で始まる苗字なので「よいてよかれてよき殺された」で不成立です。残念でした。 佐々木さんは「裂いて裂かれて裂き殺された」で大成功。 そうやって同級生の名前を片っ端から試して一喜一憂していました。残酷な殺され方をしても本人はご満悦、というだいぶ変わった遊びでした。言葉に興味をもつ年頃だったのでしょうか。
1964年生まれ

平たく丸くしたものをビー玉と呼んでいました

よっちさん 鹿児島県 1964年生まれ 女性 ビー玉とは、一般的に球状のものを指すと思いますが、私、及び私の周りではビー玉を潰して平たく丸くしたものをビー玉と呼んでいました、確か。 では、球状の丸いものはなんと呼んでいたかは記憶にありません、なぜか。 小学校の3-4年生ぐらいまでそれで遊んだ記憶があります。相手は専ら、隣に住むひとつ上のいとこです。 遊び方ですが、30個ぐらいのビー玉を手に持ち、一気に畳の上にサイドスローして、ランダムに散らばったビー玉の、とあるひとつを手ではじいて他のビー玉にぶつけます。 ぶつけたビー玉とぶつけられたビー玉の間に他の(第三の)ビー玉をはじいて、うまく通すことができたら成功というごくごく単純なルールです。通したそのビー玉は自分のものです。 そうやってビー玉が残り2個になるまでやって、最後多くのビー玉を持っていた方が勝ち、というゲームです。 ごくごく単純な遊びですが、暇さえあれば隣のいとこと、この遊びをしていた記憶があります。
1964年生まれ

輪ゴムを繋いで作ったカラフルな輪ゴム紐の思い出

きょんさん 鹿児島県 1964年生まれ 女性 小学校の5、6年生の時に夢中になって遊んだのが「ゴム跳び」です。 よく、テレビのバラエティー番組などで、タレントが小さい頃の遊びを語る時に、「ゴム段、ゴム段」と言うので、ゴム跳びと呼ぶのは鹿児島県ぐらいかと思っていましたが、ゴム跳びとも言うんだなあと少し安心しました。 ゴム跳びをするにはまず、長ーいゴム跳び用のゴムを作らなくてはなりません。普通の輪ゴムを繋げて大体2メートルぐらいの長さに作ったと思います。 誰か一人で作ったのか、みんなで手分けして作ったのか、そこら辺の記憶がなぜかありません。その繋がったゴムの色は赤、黄、緑、オレンジとやたらカラフルだったと記憶しています。 いつも放課後に校庭の決まった場所で、大体同じ仲良しのメンバーで、長い時間飽きもせずに遊んだものです。小学生なので短い丈のスカートを着てますが、裾をパンツの中に入れてゴムを跳びます。 遊び方ですが「丸跳び」という跳び方だったと思います。なぜか跳ぶ時、一回ジャンプしてからゴムに向かっていったと記憶しています。弾みをつけるためでしょうか。ゴムのことろまで来たら、思いっきり右足を...つづき