子どもの頃に遊んだ空き地の思い出やエピソードを集めました。
学校帰りの草野球
ななし3さん 東京都 1974年生まれ 男性 今の東京では考えられませんでしたが、私が小学校の頃はまだ空き地が多くありました。団地の横に草が生い茂った大きな空き地があり、毎日のように誰かしら遊んでいました。 私と仲の良かった友達たちは毎日のように学校が終わると、家にグローブとバットを取りに行って、その空き地に直行です。 小学生と言ってもバットにジャストミートすれば、ボールは結構飛びます。 しかし、どれだけ飛ばしても空き地を出ていくようなことがないぐらい、大きな空き地でした。今ではそんな場所が東京にはないと思います。 当時は再開発予定の空き地であっても子供たちが遊ぶことに対して、制限をかけたりすることなく寛容でした。空き地があったとしても中には入れないことでしょう。 当時ファミコンが大ブームではありましたが、ファミコンだけではなく、身体を動かして野球を楽しんでいました。 今は空き地など、いつでも気軽に遊びに行ける環境がない子供たちが、かわいそうに思います。
「本日のヒーローは〇〇選手です!」空き地で草野球の思い出
hanai-senseさん 大阪府 1972年 男性 空地があれば「野球」と思い出すほど、同級生の友達と毎日のように明け暮れていた小学生時代。 学校から帰ったら、それこそカバンを放り投げて、グローブとバット、ボールを自転車のかごに突っ込んで、近所の大きな空地に集合です。 早く場所取りしないと、上級生に取られて、その日は小さな公園で遠慮しながらの三角ベースになってしまいます。 月曜日から金曜日までは人数のバラつきがあるため練習です。 空地での練習とは言え、全力で投げて、打って走るのでなかなかハードな時間ですが、その中でプロ野球選手のモノマネをして爆笑してました。 さすが大阪だけあって、阪神タイガースの掛布選手や小林投手のマネが絶妙に上手い者が大人気でした。 土曜は昼ご飯を食べてから集合、他のクラスのチームと試合です。 ミス連発の泥試合の中にも、まぐれのホームランやファインプレーも飛び出し、日が暮れるまで大盛り上がりでした。 そして勝ったときは、最後にプロ野球なみにヒーローインタビューです! 「本日のヒーローは〇〇選手です!」「打ったのは高めのスライダー、会心の当たりでした」などとプロ顔負...つづき
スケボーで大惨事の思い出
森のパンさん 広島県 1983年生まれ 女性 小学生の頃、家の前に広い空き地があり、兄とよくスケボーをしていました。 普通に乗るのでは飽き足らず、ちょこんと体育すわりをして後ろから勢いよく押してもらって、どこまで進むかという遊びをしていました。 空き地内のでこぼこした地面や坂道を通ったり、いろんな乗り方をして遊んでいたのですが、ある日兄がお腹でスケボーに乗りスーパーマンのように飛ぶ格好をして「スケボーを押してー」と言って来ました。 言われた通りに押すと、スーパーマンのようにスーッと進んでいるのがおかしくて何度も何度も押し、この”スーパーマン乗り”は流行り、繰り返ししていたのですがある時、急に兄が「痛ーい!!」と叫んだのです。 この時兄はスーパーマンの態勢でしたがいつものように手をグーにして左手を腰に右手を伸ばしておらず、手のひらを地面につけていたそうで、それに気づかず私がスケボーを思いっきり押したのです。 その結果、右の中指の爪が全部めくれるという大惨事になってしまい、両親が青ざめ病院を探して車で行ったのを覚えています。 病院内で爪を取り除く手術がされ兄の泣き声が院内に響き渡りました。...つづき
倉庫跡地の思い出
なみさん 愛知県 1963年生まれ 女性 子供のころ、自宅前の砂利道私道を数十メートル東に進むと、突き当りに毛織物会社の倉庫がポツンと1件だけ建っている広い草地がありました。 倉庫には会社名が描かれていたので、親しい子たちと集合するときの約束は、いつもその会社のネームを切り取り「ボンちゃん」でねというのが通常になりました。 樹木や野草も隅には多く生えており、温かい季節は土筆とりや、たんぽぽとり、シロツメクサとりに夢中になりました。 あるとき、ふと思い立って、ここに私たちだけの「基地」を作ろうと、皆で古い板切れや釘、かなづちを持ち寄り、小さな小屋を建て始めました。 学校が終わると、毎日のように集まり、無い知恵をしぼりながら、木切れをつなぎ合わせ立体にしていくのですが、どうしても上手くいきません。 そのうち、1人1人と脱落者が出始め、ついには皆諦めてしまいました。 完全に見捨てられて残骸になったその「基地」らしきものは上級生の男の子たちに蹴飛ばされていました。 ワクワクしながら作ったときの思い出が今でもよみがえります。
空き地で野球の思い出
トリトン教授さん 東京都 1978年生まれ 男性 放課後は、家にランドセルを置いて、おやつを食べたら近所の空き地に集合して野球をするのが大定番でした。 今では無くなりましたが、当時は野球ができるくらいの大きな空き地がありました。 そこに野球のグローブやバットなどのグッズを持って向かい、ベースは、木の棒で線を描いて作り、即席の野球場にして遊びました。 学校の校庭も放課後に開放していましたが、人気があり、サッカーなどの先約があると使用できませんでしたので、この空き地は宝物のように仲間内で重宝するとともに、他の人に知られると独占できなくなるので秘密にしていました。 学校を卒業する時も遊び仲間で最後に空き地に集まり、卒業野球をするなど、自分自身の青春の思い出がたくさん詰まった貴重な場所であったことを今でも記憶しています。 時が過ぎて、周りの環境も大きく変わりました。その時の空き地はもう家が建っていますが、今でもその付近に足を運ぶと、少年時代の楽しい思い出に浸ることができます。
「土の匂いの思い出」けんと遊び
レディさん 新潟県 1988年生まれ 女性 小学生の頃、天気のいい日にはよく空き地で遊んでいました。ドラえもんのシーンでよく見る大きな土管がある空き地でした。 そこで学年問わず、男女が集まりしていた遊びと言えば、”けんと”です。同じ世代や上の世代の方はもちろんわかる遊びだと思います。 かくれんぼに似た遊びで鬼を一人決めて、他の人たちは隠れます。 鬼は誰か見つけると”けんと”する場所に行き「け~んと!」と言います。 見つかった人は”けんと”する場所に居て助けを待ちます。 まだ見つかっていない人が”けんと”する場所に行き「け~んと!」と言うと、鬼に見つかっていた子達は解放され、また隠れることができます。 この遊びでいつも活躍するのが足が速くて運動神経抜群の子です。 足が速い子はなぜかモテるのですが、私の時もそうでした。 ”けんと”をしていて捕まると、彼がいるから大丈夫、必ず助けに来てくれる!と捕らえられた姫みたいな感じで助けを待っていました。 そして助けに向かって走ってくる彼を「キャー、かっこいい!」と思いながら見ている光景は今思い出しても微笑ましいです。
家の近くの空き地での思い出
せいざいさん 埼玉県 1970年生まれ 男性 小学生のころ、家の近くの細い道は砂利道で、舗装道路が整備されていませんでした。区画整理から漏れた駐車場に、使えそうな空き地がありました。 近所には同じ世代の子供たちがたくさんおり、みんなで暗くなるまでその空き地でプラスチックボールトプラスチックバットを使った野球をしていました。 ドラえもんにでてくるような土管がある公園ではありませんでしたが、似たり寄ったりの空き地です。 野球をするにはちょっと外野が狭くはありましたが、プラスチックボールでの野球ですので、漫画にでてくるような窓ガラスを割って怒ったおやじが出てくるようなシーンはありませんでした。 その空き地の端には柿の木があり、秋にはおいしそうな柿が熟したのでみんなで木に登って柿を食べたら、渋柿で口の中の水分が一気になくなったのを覚えています。 小学生の頃はコンピュータゲームもなかったので、限られたスペースとちょっとした自然で、暗くなるまで楽しく遊んだのを思い出します。
探検隊ごっこで空き地に行った思い出
ココちゃん 京都府 1982年生まれ 女性 小さい頃ご近所さんに同年代の子供たちが10人ほどいて、いつもいろんなところに行って検隊ごっこをしてました。 町内から少し歩いたところに空き地があって、春になると、つくしが生えていたのを思い出します。 その当時の私は、つくしという物が食べれる物だと知らないのに、なぜか必死になって引っこ抜き、それを嬉しそうに家に持ち帰ってました。 持ち帰ったら親が綺麗に洗って、つくしの佃煮を作ってくれました。 それが大人の味だった事を覚えています。 別の時には、畑を休めるために蓮華が畑に植えてあって、その蓮華を摘んで、編み花冠にしてお嬢様ごっこもしていました。 昭和の子供時代はひたすら外にいて、いろんな花や草を取っては遊びのネタにしていました。
「悪ガキたちの集い」空き地の思い出
ゲオさん 千葉県 1988年生まれ 男性 小学生時代、学校からの帰り道に草木が生い茂った空き地がありました。その空き地の一角に秘密基地を作ることにしました。 空き地にある藁と木を集めて骨組みを作りました。その上に藁を乗せ、更にその上に枝をつけ、網目状に張り巡らして屋根を強化しました。 床には家から持ってきた新聞紙を敷き、約一帖くらいの秘密基地ができました。 秘密基地は夏と冬に一回ずつ作ったことがあります。 夏場は虫が多く猫の糞の匂いが気になりました。 冬は雪が降ってきて秘密基地が潰れてしまうことがありましたが、集めた雪を使って雪だるまを作ったり、かまくらを作ったこともあります。 かまくらは秘密基地を作るよりも簡単でしっかりと作れました。日が経過しても形を保っていた記憶があります。 そこは私有地であったので、今となれば入ってはダメなことが分かりますが、子どものころは何も分からず好奇心と興味だけで動いていました。
空き地で猫を拾ったときの思い出
よっちさん 鹿児島県 1964年生まれ 女性 小学5年生ぐらいの時、自転車で近くを走っていたら、空き地の脇に一メートル四方ぐらいのコンクリートの管があるのを見つけました。 長さも一メートルぐらいなのでちょうど立方体、といったところです。よくドラマなどで、親にられた子が隠れるようなものです。 中に入ってみると、小さな段ボール箱の中に生まれて間もない猫の赤ちゃんが入っているではありませんか。 小さな猫って毛がフサフサで本当に可愛いです。早速家に持ち帰りましたが、母がアレルギー体質なもので家で飼うことはかないませんでした。 ちょっと残念でしたが、また先ほどのところに戻り、子猫ちゃんと夕暮れまで遊びました。 そして翌日、このことを仲良しのクラスメイトに話し、ふたりでその空き地に行ったところ、子猫はもういなくなっていました。だれか猫好きな人に拾われたんですね。