1996年生まれ

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小学校5年生の時に出会った「風船をくれるおじさんの思い出」

そうたろうさん京都府 1996年生まれ 男性小学校5年生のときに身長の高い風船を売るおじさんがクラスで噂になりました。口裂け女などが流行っている時代で、そういった都市伝説系の噂話かと思っていました。自宅に帰らず友達の家に行く日、そのおじさんに出会いました。その友達の家とは学校を挟んで逆方向だったため、自宅に帰ってからその子の家に行っている時とは時間帯が30分程早く、そのタイミングで遭遇してしまったのです。角を曲がった十数メートル先にそのおじさんがいました。当時の私の身長を正確に覚えているわけではありませんが、体感で私の倍の身長があるのではないかと思うほどの大きさで、ヘリウム風船を5つ程度持っていました。おじさんを見つけたときに恐怖を感じたのを覚えています。友達は何度か見たことがあり、害がないということを知っているためケロッとしていたのを鮮明に覚えています。友達の表情をみて安心したのもつかの間、おじさんが私達を見つけ真っ直ぐに歩いて来ました。びくびくしながら数歩後退りしてしまうほどの圧力で、すぐ目の前まで来ると立ち止まりました。そして、風船を持った手をこちらに突き出し、こう言ったのです。...つづき
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「天井のボールは思い出の象徴」サバイバルドッジをしていて

ぽたち太郎さん青森県 1996年生まれ 男性当時の私の通っていた小学校ではサバイバルドッヂというものが流行っていました。その名の通り敵味方の境をなくしたサバイバルのドッヂボールのことです。内野、外野という境目もありません。人数制限もありません。ただただ、体育館をすべてフル活用した何でもありのドッヂボールです。アウトになった場合は真ん中のバスケットボール用のセンターサークルの中に入り、サークルの中から外の人(まだアウトになっていない人)に当てれば復活できる。そんな感じのルールでした。ルールの中にはボールを持った人は3歩以上歩くことは禁止、ドリブルの禁止などもあったと思います。当然、アウトになっていない人が少なくなってくると、あの広い体育館で移動の制限があるわけですから、当てるチャンスが減ってきます。そんなときのリセットの合図がボールを天井に高く蹴り上げる行為でした。リセットされると、アウトで真ん中にいた人たちも無条件で全員復活になります。これをすることでアウトになった人たちからは、一瞬の羨望のまなざしを得られます。もうお気づきかと思います。良かれと思いボールを高く蹴り上げた後…。ものの見...つづき
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「復讐を誓った日」雪山の上から無理矢理ソリを押された思い出

まりもさん北海道 1996年生まれ 無回答私は小学生の頃、北海道のド田舎で暮らしていました。田舎だけあって人口も少なく、1クラス10人の小規模な学校に通っていました。当時クラスの中で特につるむ二人の友達がいました。二人の性格は、A子が正義感があり優秀な人気者タイプ。B子は、意志が強くわがままなタイプ。私はというと周りがわがままな子、個性強めな子が多かったため、みんなを繋ぐムードメーカー的な立場をしていました。毎日学校から帰ると二人の友達と遊びます。ある日B子の提案で雪山でソリ滑りをしようということになりました。3人でマイソリをもって雪山に集合し、いつものようにソリ滑りを楽しんでいたのですが、、、。B子がいきなり斜面に頭をむけソリで滑ろうよ。といいだしたのです。私は嫌な予感がしました。その予感は的中し、B子は私にやってみろと突然命令してきました。私は危ないので必死に拒否しましたが、二人に無理やりそりにのせられました。⁠A子は普段正義感はあるものの、面白いことには正義感は関係ないタイプです。そこがB子と意見があっていた様子でした。⁠その時雪山の下には大きな一本の木があり、二人は私の乗ってい...つづき
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缶を蹴って怪我をしてしまった缶蹴りの思い出

まめちんさん宮崎県 1996年生まれ 男性小学生の時、近所の空き地で友達6人で缶蹴りして遊んでいました。まず缶を探すところから始まります。みんなの家から空き地までが少し距離があり、家から缶を持ってくるのが面倒だったので、近くの公民館からもらうことにしました。その日の朝が缶の回収日だったらしく、缶はほとんど残っておらずスチール缶が一つしかありませんでした。仕方なくスチール缶で缶蹴りをすることになりました。早速じゃんけんをして誰が鬼になるかを決め、私は缶を狙うことになりました。缶から100mほど離れた木陰に身を潜め、缶を狙っていました。開始から10分後、鬼が反対方向に向かって行ったので、その隙にダッシュして缶目掛けて走りました。自分は小さい頃から運動神経がよく。足は早かったので、鬼が戻ってくる前に思いっきり缶を蹴りました。その時、右足の親指に激痛が走りました。自分が履いていた靴の親指部分は破けており、直で硬いスチール缶が親指の当たったのです。なかなか痛みが引かず、親と病院に行ったところ、親指にヒビが入っていました。皆さんも缶蹴りをするときに、スチール缶を使うのは気をつけて下さい。
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駐車場でのローラースケートと その後のスケート場の思い出

なおくん岐阜県 1996年生まれ 男性小学生の頃、私は両親から誕生日にローラースケート靴を与えられました。私は何も欲しがらない子どもだったので、両親は悩んだ挙げ句、誕生日プレゼントとしてローラースケート靴を買うことにしたそうです。今思うと、あの時の誕生日プレゼントをローラースケート靴にしてくれたことは、私にとって良い体験となったので、本当に感謝しています。私の家は拡大家族で、大人はみんな車で仕事に行くので、駐車場は6台分の車が止まれる広さでした。私が学校から帰ってくると、大人はまだ仕事から帰って来ていないので、駐車場には一台も車がなく、そこはスケートリンクの様でした。私は毎日、夕方大人が帰ってくるまでの数時間一人で思う存分ローラースケートを楽しみました。友達が私の家の前を通ると、当時ローラースケートを見たことがない子どもが多かったので、羨望の眼差しで見られて、何だか嬉しかったです。住んでいたところが田舎の山奥で冬になると雪が積もり駐車場でローラースケートをすることが出来なくなります。しかし、丁度ローラースケートをもらった年に近所にスケート場が新しく出来。私は両親に連れられ、スケート場に...つづき
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体育の授業の嫌だった縄跳びの思い出

白菜太郎さん茨城県 1996年生まれ 男性私が小学生だった頃の体育の授業での少し嫌な思い出です。当時、冬になると体育の授業では毎年のように縄跳びがありました。私は縄跳びが得意ではなく、特に二重跳びが1回もできなかったことを今でも覚えています。そんなある日の授業で、先生が皆の前で言いました。「今日は最初に皆で二重跳びをやってもらいます。10回跳べた人からその場に座ってください。全員ができるまで終わりませんよ。」二重跳びができない私にとっては地獄のような提案でした。そして、先生の「始め」の合図で皆が一斉に縄跳びを始めました。縄跳びが得意な子から座り始め、あまり得意ではない子もやっとのことで跳び終わり座っていきます。しかし、私は1度も跳ぶことができませんでした。次第に私以外の全員が跳び終わり、私が跳ぶのを見守り始めます。クラスの皆や先生が見ている中、1人で何度も何度も失敗し続ける姿はとても悔しく恥ずかしかったです。結局は1度もできることなく、「今回はここまでにしましょう。」という先生の言葉で地獄のような時間は終わりました。今思い出しても本当に嫌な思い出です。ちなみに、中学校でも縄跳びの授業が...つづき