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1980年生まれ

「意図的に逃がした兎」夏休みの思い出

えつこさん自宅の畑 1980年生まれ 女性私は小学校3年生の夏休み、友達も少なく親も共働きで、あまりかまってもらえず、家でゴロゴロする毎日を送っていました。日中の唯一の話し相手はペットの兎1匹。よく母から聞かされていた兎とカメのおとぎ話を思い出し、私と兎、どちらが速いのか勝負をしたくなりました。住まいは田舎の為、自宅の敷地は広く裏庭は畑になっています。ペットの兎を抱っこして畑に連れていき、さあ、勝負だ!とペットの兎を逃がしては必死に追いかけ捕まえ…を繰り返して遊んでいました。もし捕まえられなかったら、そのままペットの兎はどこかへ逃げ二度と戻らないでしょう。そして親の可愛がっている兎を逃がしてしまったらコテンパに怒られることでしょう。というスリルが堪らなく癖になり、親に内緒でその遊びを続けていました。その為か、学年でも遅かった私の脚は速くなり、運動会のリレーでは1位、2位は当たり前にまで成長しました。
1956年生まれ

円を描きじゃんけんに負けた鬼がタッチをする「陣地とり遊び」

きままに老いるかさん小学校のグランド 1956年生まれ 男性私が子供のころ遊んだ「陣地とり」は、かかとを中心につま先に棒切れを当てぐるりと回って描いた2つの円が最初の陣地になります。互いに手が届くところまで近づき、じゃんけんをします。負けた方が「おに」です。勝った方は陣地内で「おに」の手が届かない所に逃げます。「おに」は「ストップ」と大声で叫び相手の動きを止めます。相手にタッチするか、相手が動いた場合は「おに」の勝ちで円を1つ増やします。「おに」が降参した場合は逃げた方が円を1つ増やします。遊ぶ人数によって増える円の数は変わってきます。例えば3人で遊んでいて、「おに」が2人にタッチした場合は円を2つ増やすことができます。この遊びでは特定の子を攻撃することもできます。誰かと手を組み、特定の子の陣地をぐるりと取り囲みその子が陣地を増やせないようにするわけです。まあ、いじめですかね。今のご時世だと許されないのかな。また、かかとを中心に円を描けない子、あるいは持っている棒を斜めにして大きな円を描いてずをする子などはしばらく遊びに加えてもらえませんでしたね。円を描けない子などはできるようになった...つづき
1973年生まれ

「駆け引きが難しい」渦巻き鬼と陣取り合戦

ぽんぽこさん小学校の校庭や体育館 1973年生まれ 女性私が小学生の頃は、朝は先生より早く学校に着き、学校が開いたら体育館で遊び、昼休みや中休みでも外で遊び、放課後は夏なら17:00頃まで校庭で遊んでいました。その中に陣取り遊びは幾つかあったのですが、覚えてるのは「渦巻き鬼」と「陣取りゲーム」ですね。「渦巻き鬼」は、ぐるぐると渦を描いて、中と外から入って出会い頭にじゃんけんをして、買った方が進んで、負けた人は初めから出直すか、後ろに並んだ人が進み出て来て、じゃんけんをしたはずです。最終的に多く進んだ方の勝ちでした。少人数学級だったので、全学年で遊べて、あまり揉め事のないゲームだったと記憶しています。「陣取り合戦」は、二つチームに分かれて、タッチした人を自分の陣地に連れて来るものでした。連れてこられた人は、壁などの掴まれるところから離れない様にして、仲間の救出を待ちます。きっと人質だったんですね。人質は捕まえられた順に手を繋ぎ、助けを待ちます。仲間は相手をうまく交わして、人質のところに来ると、「えった」の掛け声で、繋いだ手のところを手刀で切ります。すると、切られた先の人が解放されて、散ら...つづき
1970年生まれ

「一歩進化した遊び」箱ブランコからのジャンプ

せいざいさん家の近くの公園 1970年生まれ 男性小学校のころは通常のブランコ、箱ブランコ、滑り台などをフル活用して遊んでいました。特にスリルがあったのは箱ブランコからのジャンプです。遊び方は、箱ブランコに二人で乗って一生懸命漕ぎます。その一方で背もたれの上の部分のパイプに一人がブランコの外側を向いてつかまります。箱ブランコは一生懸命漕ぐと漕いでいる人の足場がなくなるのも恐怖ですが、その状況の中、背もたれの部分に外側に向いてつかまり、ブランコの勢いでジャンプするのはとてもスリルがあります。自分が思った以上に飛び出すので、空中で安定した姿勢をとるのが難しいほどです。当時ガンダムが流行していたので、みんな「アムロ行きまーす」といって、箱ブランコをカタパルト代わりにして飛び出したものです。私の子供の記憶なので詳細ではありませんが、2階建てのベランダぐらいはジャンプできたと思います。着地した時は土の地面でも足が痛かった記憶があります。今考えるとかなり危ない遊びをしていたなと思います。現在は許してもらえないでしょうね。
1975年生まれ

めったにできない雪合戦の思い出

さよりさん小学校の校庭 1975年生まれ 女性私の実家は南国というイメージのあるところなので、めったに雪は降りません。しかし私が小学校1年生のある朝、今日はやけに空気が冷たいなあと思いカーテンをあけると庭一面の銀世界!今まで見たことがないくらい雪が積もっていて、朝から姉と二人で外に出て雪だるまを作りました。学校に行かなくてはいけないギリギリまで遊び登校。天気予報では午後から日差しが出るので、家に帰るころにはこの雪もなくなってしまうんだな、さみしいな、と思いながら登校しました。そして学校に着いて1時間目の授業が始まるときに先生が「今日はめずらしく雪が積もっているので校庭で雪合戦をしましょう!」と提案がありました。クラスのみんなはうれしくてうれしくて大喝采。もちろん私もクラスメイトと雪合戦ができることにワクワクしました。2チームにわかれて生まれて初めての本格的な雪合戦。指先がじんじんしながらふわふわの雪を固める感触や、頬に冷たい風と氷の粒が当たり背筋がぶるぶるっとなる感覚。そしてキラキラしたクラスメイトの笑顔と歓声。今でもしっかり私の心の中に存在しています。
2003年生まれ

友達のおうちで 男装女装ごっこ

あおさんオーストラリア 2003年生まれ 女性小学4年生の頃友達のおうちでよく遊んでいました。その日は女の子は男装して、男の子は女装してファッションショーのようなものをする男装女装ごっこをしていました。今思うとこれだけでもとても謎です。女の子のおうちだったので男の子はその子の服を借りていました。私はその子のお家にある男の子っぽい服装をしました。もう1人の女の子はカウボーイの格好をしていました。その子が最初に登場して格好いいって言う歓声が上がりました。私は普段から男の子っぽい格好を良くしていたので特に変化はなく、いつも通りじゃんと言われた記憶があります。せっかくならもっと変化のある格好がしたかったと思いました。男の子達はスカートとかワンピースとかを着て、ランウェイという名の廊下を歩くときも、女の子らしくちょっと恥ずかしがりながら歩いていてとても面白かったです。1人の男の子は細身で着こなせていましたが、もう1人の男の子はスポーツをやっていてガタイが良くてパツパツになっていました。
2000年生まれ

難しかったお手玉の思い出

うっぴさん保育園 2000年生まれ 無回答お手玉の思い出は、保育園のときです。若い先生が多い中、おばあちゃん世代の先生が手作りのお手玉を持ってきてくれて、遊んでくれた思い出があります。保育園児の自分には、とても難しかった記憶があります。おばあちゃん先生は、難しそうに楽しんでいる園児たちをみて、ニコニコ笑って見守ってくれていたのを思い出します。おばあちゃん先生のお手本は、上手にお手玉をポンポンとしていて、すごいな〜とキラキラ目を輝かせて、お友達と話していたように思います。そして、その日にお手玉が上手に出来なかったのが悔しくて、自分のおばあちゃんに保育園での話をして一緒にお手玉をして遊んだのを思い出します。自分のおばあちゃんは、すぐ身近にある靴下をくるっとまるめて、お手玉がわりにして遊んでくれました。それも、簡単には上手に出来なかったけど、靴下を投げて遊んでいるのがおかしくてゲラゲラ笑いながら楽しんだ思い出があります。それ以来、お手玉をする機会はありませんが、楽しかった記憶が残っています。
1986年生まれ

日本文化との出会い アメリカでのおはじき遊びの思い出

じょうさんアメリカNJ州 1986年生まれ 女性父の仕事の関係で小さい頃アメリカに住んでいました。日本から親戚が遊びに来た時に、おはじき、お手玉、折り紙等の、日本の昔ながらのおもちゃをいくつかお土産に持ってきてくれました。私を含め、兄弟は皆アメリカ文化にすっかり馴染んでいたので、初めて見た日本のおもちゃに大はしゃぎ。特にカラフルな、透き通った飴のようなおはじきに夢中になり、最初は色ごとに兄弟で分け、次第に他の色も欲しくなって交換をはじめ、いつしかおはじきの奪い合いにまで発展しました。それ以降、日本の親戚が遊びに来る時には、新しいおはじきを買ってきてくれるようになりました。日本ではどのように遊ばれているのか知りませんでしたが、私たち兄弟は、最初は眺めたり集めたり並べたりして遊んでおり、しばらくしてからはお店屋さんごっこをする時のお金として使うことが定番となりました。緑色は1ドル、黄色は5ドル、赤色は10ドルという具合です。アメリカ人の友達が家に遊びに来る時も、同じようにして遊んでいたので、もしかしたら友人は日本のお金は綺麗だなと勘違いしていたかもしれません。今では良い思い出です。
1977年生まれ

母とのおはじき遊びの思い出

ヤクルトさん自宅 1977年生まれ 女性小学校低学年のころ、母はよく遊び相手になってくれていました。おはじきのルールのある遊び方は母に教えてもらいました。おはじきをばらまいて、2つのおはじきの間をぶつからずに通り抜けたらゲットできる。それを交互にやって、手持ちのおはじきが多いほうが勝ち。という単純なルールです。簡単そうに見えますが、小学生の不器用な私には少し難しく。間を抜けずにぶつかってしまったり、通過せずに手前で止まってしまったりしました。その点、母は上手で、母の順番が来るたびにどんどん自分のおはじきを増やしていきます。私は負けず嫌いでわがままなので、とにかく負けることが悔しくて面白くない。すぐにそれが顔に出てしまい、母に怒られてまたふてくされる。それでも何度か相手をしてくれました。結局一度も勝つことが出来なかった気がします。母の幼少期には、よく遊んだらしく、とても上手で、どこか母も得意げでした。私も母になり、何度か子供たちと同じルールで遊んだことがありますが、大人になってからのほうが力加減をうまくコントロールできるみたいです。子供たちは負けてふてくされ、結局数えるほどしか遊びません...つづき