1983年生まれ

大縄跳びの記録と自分のせいで記録を止められないという思い

梨の子さん 長崎県 1983年生まれ 女性 一時期クラスの女子全員で大縄跳びを昼休みに行うのがブームになりました。給食を食べた後、体育館の前の中庭に集合し、縄を回してくれるのは担任の先生と、身体が大きめのクラスメートでした。 最初は数回しか続かず、10回くらい続いては引っかかるを繰り返しておりました。そのうち掛け声を全員で言って盛り上がるようになり、どんどん跳ぶ回数が増えていきました。 とうとう、ある日100回の大台に乗りそうになりました。50.60.70と続き、100になる直前のとんでもない緊張感と集中力。自分のせいで記録を止められないという思い。その時の全力な気持ちを今でも鮮明に思い出します。 100にのったときの、ひゃーーーくという大きな掛け声とともに、おそらくそのあと200近くまで跳んだのですが、私の前の前の女子でとうとう引っかかってしまいました。 内心自分がひっかからなかったことへの変な安堵感と、その子がかなり罪悪感で落ち込んでしまったのをみんなで慰めて、なおかつ記録に喜んだのを覚えています。 そうやってこつこつ忍耐して練習したり、チームワークを大切に一体感を出していくことの...つづき
1987年生まれ

長縄跳びは遊びではなく緊張する競技

あさのさん 栃木県 1987年生まれ 女性 縄跳びというと各々で飛び、何回飛べたか、どれだけ難しい技ができたかを競うのが一般的だと思います。 しかし私が小学5年生のころから縄跳びと言えば長縄跳び、それも8の字飛びが一番ホットな遊びでした。 クラス対抗戦、腕力自慢2人が長い紐を持ち、一人一人が次々と飛び3分間で連続して何回飛べるか競うものです。大会も設定されていました。 縄跳び大会に向けて各クラス練習を重ね熾烈な競いが小学校ながら勃発していました。大会の日までどのクラスが何回飛んだらしい、あるクラスが優勝候補だと噂が飛び交ったものです。 私のいた小学校は地方の公立学校でしたから様々な生徒がいました。その中には必ず体育が苦手な生徒もいるものです。 かくいう私がその一人で、おっとりしているために高速で回る縄についていけず、必ず縄がはけていくときに引っかかってしまうのです。 私が飛ぶ順番に来るとクラスメイト一同に緊張が走るのを縄跳びの練習のたびに感じていました。縄跳び大会の日まで胃が痛い日が続いたものです。 縄跳びが遊びの一種という認識かもしれませんが、そんなことありません。今でも縄跳びと言え...つづき
1997年生まれ

長縄跳びの苦い思い出

えぬこさん 埼玉県 1997年生まれ 女性 自分が小学生の時のことです。あまり当時のことは覚えていないのですが、その中でも鮮明に頭に残っている稀有なエピソードです。 みんなで体育の授業中に縄跳びをしていた時のことです。いわゆる大縄跳びというもので、迫っていた運動会の競争のために練習していました。 みんなで2列ほどになって一斉に跳び、その跳んだ回数を数えていました。跳んでいる最中、誰かが縄にひっかかったらまた最初からカウントをはじめる…といった風にして練習しました。 私は縄を回す側ではなく、跳ぶ側として参加していました。みんなでほとんど休むことなく練習し、もうそろそろ授業が終わろうか、という時になって、私が縄に足をひっかけてしまいました。 その時ちょうど、校舎の方から授業の終了を告げるチャイムが鳴りました。完全に偶然で、クスッと笑ってしまうようなタイミングなので面白く感じましたが、同時に、みんなで一生懸命に跳んでいたのに、自分がその足を引っ張ってしまって申し訳ないな、と感じたことを覚えています。
1974年生まれ

長縄跳びの練習の思い出

タケシさん 大阪府 1974年生まれ 男性 小学生の頃、私は長縄跳びが苦手でした。実際に縄跳びをするとヘタヘタでした。いつも練習している子たちよりも遅く降りてしまうことが多かったです。 そんなときに思い出に残るエピソードがあります。 1つ目は、縄跳びの練習中に縄が切れてしまったことです。私は練習をしていたところ、突然縄が切れて、思わず足が抜けて転んでしまいました。周りの子たちは私を見て笑いましたが、私はとても恥ずかしかったです。 2つ目は、大縄跳びの大会で負けてしまったことです。学校で行われた大縄跳びの縄跳びの大会に出場しましたが、私のミスで、引っ掛かり残念ながら負けてしまいました。周りの子たちががっかりしているところを見て、とても悔しい、悲しい気持ちになりました。 このような経験から、私は「練習することが大切」ということを学びました。毎日、少しでずつですが、練習して、縄跳びが多少はできるようになったのを覚えています。大げさですが、努力は大切だと感じました。