宮崎県に住んでいた人が小学生の頃にした遊びの思い出

1977年生まれ

「学校帰りの思い出」高鬼をしていたら怒られた話

るぅさん 宮崎県 1977年生まれ 男性 学校帰りにした遊びといえば、電柱ごとにジャンケンして負けたら友達のランドセルを持つ「カバン持ち」、影をふまれたら鬼交代の「影踏み」、一人で帰るときは石や缶をどこまで蹴って帰れるか等、いろいろ思いついては遊んでました。 その中でも、覚えているのは、「高鬼」です。 鬼よりも高い所にいると鬼はタッチできないのですが、その場にいることができるのは10秒だけで、10秒内に降りて走って逃げるか、別の段差に移動して鬼から逃げるという、どこにでもある鬼ごっこです。 小学校1年生の時に、その「高鬼」をやっていて、鬼から逃げ回ってる時に丁度いい高さのブロック塀があり、それに飛び乗って一息ついた瞬間「コラーーー!」と怒鳴り声。 振り返ると、こじんまりとしたボロボロの家から、下はスカートのようなものに上は肌着だけで、ガリガリのお婆さんが出てきて「人ん家の花壇で、何してるか!」と、怒鳴りながら近づいてきます。 その姿が、絵本などで見る「鬼婆」に見えて、怖くなって周りを見たら友達も逃げて誰もいません。 自分も走って逃げました。必死に走りますが、すぐ後ろにいるような気がして...つづき
1996年生まれ

缶を蹴って怪我をしてしまった缶蹴りの思い出

まめちんさん 宮崎県 1996年生まれ 男性 小学生の時、近所の空き地で友達6人で缶蹴りして遊んでいました。 まず缶を探すところから始まります。みんなの家から空き地までが少し距離があり、家から缶を持ってくるのが面倒だったので、近くの公民館からもらうことにしました。 その日の朝が缶の回収日だったらしく、缶はほとんど残っておらずスチール缶が一つしかありませんでした。仕方なくスチール缶で缶蹴りをすることになりました。 早速じゃんけんをして誰が鬼になるかを決め、私は缶を狙うことになりました。缶から100mほど離れた木陰に身を潜め、缶を狙っていました。 開始から10分後、鬼が反対方向に向かって行ったので、その隙にダッシュして缶目掛けて走りました。自分は小さい頃から運動神経がよく。足は早かったので、鬼が戻ってくる前に思いっきり缶を蹴りました。 その時、右足の親指に激痛が走りました。自分が履いていた靴の親指部分は破けており、直で硬いスチール缶が親指の当たったのです。 なかなか痛みが引かず、親と病院に行ったところ、親指にヒビが入っていました。 皆さんも缶蹴りをするときに、スチール缶を使うのは気をつけて...つづき
1968年生まれ

すべってころんで楽しいローラースケート

昭和チルドレンさん 宮崎県 1968年生まれ 男性 小学生のころ、3つ上の兄がスケートボードを粋がって始めました。ホントに、流行り始めたばかりのころでした。残念ながら、バランス感覚や運動神経に乏しい私には、スケボーを乗りこなすことが難しかった。 そこで、まだ2本足だし、タイヤもたくさんついているローラースケートならやれるだろうと思い立ちました。ド昭和のローラースケートは、自分が普段履いている靴に、ヒモやバンドでしばりつけるようなタイプでした。 靴と一体型のような高級な物はとても買えません。靴にローラースケートをしばりつけ、まず立ち上がるところから大変でした。バランスを取るのに一苦労。 両足で立つことが出来るようになると、ゆっくり滑るのは、氷の上でやるスケートよりは簡単だなと思いました。 広い公園の固いコンクリートの上で滑る練習を一生懸命していました。慣れてくると、ちょっと大きめの石を並べて、8の字やスラロームで滑る練習をしました。 真っ暗になるまで夢中で滑っていた小学生時代が懐かしく思い出されます。
1968年生まれ

たこ〜 たこ〜 天まで上がれ〜

昭和原人さん 宮崎県 1968年生まれ 男性 凧あげについては、失敗例と成功例が1つずつあります。 まず、うまくいかなかった思い出は、小学校の図画工作の授業でつくった立体凧です。長い割りばしのような木材にビニール生地を貼り付けて、細長い直方体の立体凧を作りました。 クラス中のみんながそれなりの格好に出来上がったので、運動場で飛ばす段取りになりました。みんなが全力で走り回りながら、凧を飛ばそうとしましたが、風がないせいか、重心がとれてないせいか、誰一人高く飛ばせませんでした。 先生も困った顔をしてました。それほどに、凧を高く飛ばすのはむずかしいのだなと感じました。 そのリベンジではありませんが、駄菓子屋で当時ゲイラカイトのパチモンを見つけて、再チャレンジしてみようとしました。パチモンだから、飛ぶかな~と心配でもありました。 その日は、風も強く、一旦飛び出したら、グングン高いところまで一気に登っていきました。糸を引っ張る風の力をリアルに感じ、すごい力なんだなと思いました。 タコ糸が終わりかけになるぐらい高く飛んだので、もう一組のタコ糸に結び付けて、さらに高くとばして、ゲイラカイトのパチモン...つづき
1968年生まれ

「駄菓子屋で運命の出会い」ベーゴマ遊びの思い出

昭和チルドレンさん 宮崎県 1968年生まれ 男性 昭和の小学生の社交場、それは駄菓子屋。そこで友人と見つけたベーゴマ。当時の小学生は遊ぶ時間はイヤというほどあったので、友人とベーゴマにチャレンジしてみました。 怪しげな説明書きを見ながら、ヒモの先の方に1cmぐらい開けて結び目を2か所つくりました。その2つの結び目をとっかかりにして、ベーゴマにヒモを巻きつけていきます。 これがなかなか難しく。頼りなさそうな説明書きを真似しながら、巻きつけていきました。なんとか巻きつけて、固そうな地面に向けてスナップを効かせて回してみました。 最初は、むなしく転がるだけでした。しかし、時間だけはたっぷりある小学生だったので、友人たちとあーでもない、こーでもないと言いながら、何度も何度もチャレンジしました。 だれかのが、少しでも回り始めると、そいつのやり方を真似しながら、研究開発が進みました。これぞ昭和の遊びの醍醐味といった感じでした。 みんながそこそこ回せるようになったら、大きめのバケツに布を張って、ベーゴマの台をつくりました。台の布をぴんと張るのもコツがあって大変でした。 最初はその台の中に着地させる...つづき
1967年生まれ

熱き漢(おとこ)のメンコバトル!

昭和の生きた化石さん 宮崎県1967年生まれ 男性 駄菓子屋で買った四角いメンコや大判の丸いメンコを使って、公園で遊んでいました。会場は砂地ながら、固い地面のところでやっていました。 相手のメンコをひっくり返すと、そのメンコをもらうことができました。上手な子は、金属製の箱にぎっしりと戦利品のメンコを詰めこんで自慢していました。 戦略としては、できるだけひっくり返されないように、メンコ自体をセロハンテープなどで補強したり、水分や油分など、いろいろなものをメンコの紙に吸わせて重くしたりする作戦がありました。 相手のメンコを狙うときに、自分の足をそえて狙いやすくするのと、風圧をコントロールするテクニックがありました。 叩き付けるときの風圧を上げるために、できるだけデカいメンコを使うようにしていましたが、逆にデカいとターゲットになった時に、ひっくり返りやすかったので戦略的にも奥深いものがありました。 学校にメンコを持ち込むと、先生に没収される恐れがあったので、学校では牛乳瓶のふたでメンコバトルをしていたのも、懐かしい良き昭和の思い出です。 牛乳瓶のふたでも、アホのように盛り上がってやってました...つづき
1968年生まれ

アメリカザリガニの思い出

昭和原人さん 宮崎県 1968年生まれ 男性 小学校時代、田んぼの用水路の流れがよどんでいるところでアメリカザリガニをよく釣っていました。 長い棒の先にタコ糸をむすびつけ、その糸の先にさきイカの切れ端を結び付けて準備オッケーです。 ザリガニが潜んでいそうな水草あたりにゆっくり下ろしていってじっくり待ちます。 ザリガニがさきイカに気づくと、しっかりとハサミでつまんだ状態で引き上げることができます。 ザリガニがいそうなポイントを下調べして知り尽くしていることが大切です。 友達と二人で競争したときは、二人でバケツからあふれるぐらい釣った思い出があります。 夢中になっていて時間があっというまに過ぎていました。 一人で、釣っている時に用水路にすべり落ちて全身水まみれ泥だらけになったことがありました。 今考えると命に関わっていたかもしれません。 安全にザリガニ釣りをするのは難しい気がします。 さすがにザリガニを食べようとしたことはありませんが、大人になった今、食べてみたらどんな味がするのか、興味はあります。 ロブスターっぽい味がするのでしょうか?