子どもの頃に面子・メンコ・パッチンで遊んだ思い出を集めました。
牛乳ビンと一升瓶のフタのメンコ遊び
サンダーバード2号さん 東京都 1957年生まれ 男性 今では恐らく想像もつかない遊びだと思います。牛乳ビンと言っても、もう、あまりピンと来ないかもしれません。 当時、殆どの家で新聞などと同様に毎朝牛乳を家に配達してもらっていました。今のような紙パックではなくガラス製の牛乳ビンでの配達でした。その牛乳ビンのフタを使っての遊びに夢中になっていました。 正確なルールは忘れましたが、手のひらを使ってメンコのようにひっくり返すことで取ったり取られたりを競うもので、珍しい柄のフタだと争って奪いあうといったことで勝負遊びをしていました。 それは後に、日本酒の一升瓶のフタにとって代わって、やはり、取ったり取られたりの勝負遊びに変化していきました。 これもまた、珍しくあまり見た事のない種類のフタを集めることに躍起になっていました。 良く考えると、人間の本来持っているであろう本能のような収集癖と賭け事への執着が、子供の世界にもそれなりにあって、そこで、大袈裟な言い方をすれば、知らず知らずのうちに小さな人生経験を積んでいる、貴重な時期であったと思います。
「大切な1枚を仕上げていく楽しさ」メンコの思い出
はなちゃん 東京都 1957年生まれ 男性 小遣いを握りしめ、近所の駄菓子屋で売っているメンコを選ぶところから勝負は始まります。 一つ一つ、表面の絵柄はもちろんですが、紙の厚さや表面のツルツル加減、手にしっくり馴染むかどうかまで、じっくりと時間をかけて選びます。それが、本当に楽しくて、なけなしの僅かな小遣いから勝負に勝つための大切な1枚を選び抜くところは、至福の時でした。 更に、選び抜かれたその1枚にはカッコいい表面の図柄をより引き立たせ、しかも、勝負に有利なようにする工夫が施されるのです。 容易にひっくり返されないために、全体の重量を増すために、表裏にロウを丁寧に塗るのです。そうすることでカッコいいツヤのある図柄となり、大事な勝負にうってつけの1枚になります。 第一、ロウが塗ってあるので、水をはじくことで、雨の日でも勝負に負けることはありません。 みんなそんな工夫をそれぞれが持ち寄って、最高のメンコに仕上げて勝負に挑むわけですから,いやがうえにも勝負の最中は盛り上がります。 欲しいと思った相手のメンコをひっくり返した時の喜びや、大切にしていた1枚を持って行かれた時の悔しさを、繰り返し...つづき
兄と一緒に公園で遊んだメンコ遊びの思い出
ヤクルトさん 北海道 1977年生まれ 女性 私は末っ子で、兄が二人います。子供のころはキン肉マンが流行していて、どこから入手したのか、メンコがたくさんありました。 兄にくっついて公園へ行くと、必ず何人も同じ年代の子供がいたので、みんな顔見知りでした。 その頃はメンコ遊びが流行していたようで、公園に行くときは兄もその友達も、メンコ持参でした。大きいものから小さいものまでたくさん種類があって、大きいものは主役級のキャラクターが描かれていました。 公園にある台が会場で、相手のメンコを台から飛ばして落としたり、裏返したりしたら相手のメンコももらえます。 兄と友達がひとしきり遊んで満足したら、私にもやらせてくれます。思いっきり台に叩きつけても、なかなか裏返らないし、台から飛んでいかないし、びくともしなかった記憶があります。 それでもメンコ遊びをやっていることが楽しくて、腕が痛くなるまで飽きずに遊んでいました。私はまだ幼くて、公園へ行っても体を使う遊びにはついていけなかったので、一緒に遊べる数少ないジャンルでした。
熱き漢(おとこ)のメンコバトル!
昭和の生きた化石さん 宮崎県1967年生まれ 男性 駄菓子屋で買った四角いメンコや大判の丸いメンコを使って、公園で遊んでいました。会場は砂地ながら、固い地面のところでやっていました。 相手のメンコをひっくり返すと、そのメンコをもらうことができました。上手な子は、金属製の箱にぎっしりと戦利品のメンコを詰めこんで自慢していました。 戦略としては、できるだけひっくり返されないように、メンコ自体をセロハンテープなどで補強したり、水分や油分など、いろいろなものをメンコの紙に吸わせて重くしたりする作戦がありました。 相手のメンコを狙うときに、自分の足をそえて狙いやすくするのと、風圧をコントロールするテクニックがありました。 叩き付けるときの風圧を上げるために、できるだけデカいメンコを使うようにしていましたが、逆にデカいとターゲットになった時に、ひっくり返りやすかったので戦略的にも奥深いものがありました。 学校にメンコを持ち込むと、先生に没収される恐れがあったので、学校では牛乳瓶のふたでメンコバトルをしていたのも、懐かしい良き昭和の思い出です。 牛乳瓶のふたでも、アホのように盛り上がってやってました...つづき
最強のめんこ
sizukuさん 茨城県 1986年生まれ 女性 めんこ遊びは私の親世代がよく遊んでいたものですが、わたしが小学生の頃にもまだめんこ自体はありました。とはいえ遊び方がよく分かっていなかったので、始め親に遊び方を教わってそうやるのか!と遊び始めました。 ルールはとても単純で、めんこを地面にたたきつけて周りにあるめんこが裏返れば、持ち札が増えていくというもの。 よく分からないけどなぜか「強いめんこ」というものがあって、それをうまく使うとけっこうな確率で他のめんこを取れるのです。きれいな形で厚手のものだったような気がします。 そのめんこをわたしたちは勝手に「最強のめんこ」と呼んでいました。その最強のめんこが手元に来たら勝ったも同然。勝手に自分が強くなった気がしました(笑)。 最強のめんこを兄が手にした時、残りのめんこは5~6枚でした。私はとれても数枚だろうと見ていました。その時点で勝負は互角。まだチャンスはあると。 兄が全力で最強のめんこを叩き付けると、その瞬間に残りのめんこがすべてひっくり返ったのです!思わず声をあげました。 そんなにひっくり返せたのは初めてだったので小学生のわたしには衝撃...つづき
「牛乳瓶の蓋で!」メンコの思い出
みさん 兵庫県西脇市 1989年生まれ 女性 私が幼稚園に通っていた頃、よくメンコ遊びをしていました。当時はまだ瓶の牛乳とパックの牛乳、半々だったので瓶の時に蓋を取っておいて洗って乾かして使っていました。 マジックなどで自分の好きな色を塗ったり、絵を描いたりしてオリジナルのメンコを作るのが流行りでした。 メンコ遊びもみんなやっていましたが、女子は絵を描いたり、オリジナルメンコを集める方が多かった気がします。お道具箱に集めて喜んでいました。 メンコ遊びの方はいたって普通のルールで、裏返した方が勝ちです。男子は勝った方がもらえるルールを使っていた様に思いますが、女子は平和に勝ち負けだけのルールでした。 自由時間に女子は女子、男子は男子で楽しんでいましたが、先生がたまには男女混合でやろうと提案してくれて普段遊ばない子とコミュニケーションが取れる遊びになっていました。 駄菓子屋で買うこともありましたが、幼稚園に持っていけなかったので、牛乳瓶の蓋のメンコの方が思い出に残っています。
給食の牛乳のふたパッチでめんこ遊び
月音山さん 新潟県 1975年生まれ 男性 自分たちの地域でも子供たちの遊びはめんこ遊びでした。 当時、駄菓子屋にはテレビのキャラクター、仮面ライダーやウルトラマンなどの絵が描かれためんこは大人気でしたが、そういっためんこは大型のめんこで、上手な子には簡単に負けてしまうことが多かったです。 子供が買えるめんこの多くは500円程度だったと記憶しています。そんなに頻繁にキャラクターの入っためんこは買えず、小さなあまり有名でないような絵のめんこで遊んでいました。 そんな時、ある同級生が給食中にふとあることに気づきました。当時、小学校の給食には牛乳が必ず出てきて、その牛乳は今と違って瓶詰めの牛乳でした。その牛乳の瓶には紙の蓋がついていました。 それに目を付けた同級生が、牛乳瓶のふたでめんこ遊びを始めました。ところが、使用済のその蓋は反っているためにすぐに負けてしまいます。 そこで考えた子がいて、牛乳会社の本社に「新品の牛乳瓶のふたが欲しい」旨の手紙と返信用に封筒を同封して送りました。すると、その牛乳会社から返信があり、たくさんの新品の牛乳瓶のふたが送られてきました。 それは硬く、真っ平らな新品...つづき
代表的なメンコのゲームルール3種類
あそびーさん 大阪府 1978年生まれ 男性 小学校の時、よくメンコ遊びが流行っていました。遊び方はいろいろとあります。 その① 机にあるメンコを上からメンコで叩き、裏返したらそのメンコを取ることができます。 その② 次に机の上にあるメンコ同士をはじきとばして、机から落せたらそのメンコをとることができます。 その③ 机にあるメンコをパッパッと勢いよく息を吐くようとばし、裏返ったらそのメンコをとれることができます。 代表的なメンコのゲームはこれぐらいで、人によりさまざまなゲームの仕方があります。みんないろいろなゲームを考えて遊んでいました。 叩いて裏返すメンコのコツは、力任せに思い切り叩くのではなく、軽く打ち付け風を起こすような感じでメンコを叩きつけると簡単に裏返すことができます。 メンコを取られることもあったけど、取り返すこともあり、楽しい思い出です。 一番メンコを持っている子は1000枚くらい持っていたので、絵柄など欲しいものがあると交換したり、お菓子と替えたりして遊んでいました。
今から50年ぐらい前の話 パッチンの遊び方
たくしゅんさん 広島県 1961年生まれ 男性 小学生の時の遊びなので、今から50年ぐらい前の話になります。「めんこ」という言い方が一般的に全国区のようですが、私の地域では「パッチン」と言っていましたので、「めんこ」と言うと何となくピンときません。 「パッチン」で遊ぶには、自身が持つパッチンがもちろん必要ですが、もう一つ必要なものがあります。それは「覚悟」です。パッチンでの勝負による結果によって、そのパッチンの所有権が移動するからです。 すなわち、勝負に負けるとそのパッチンは相手に取られるのです。よって、遊びの醍醐味は勝つことそのものではなく、相手から奪い取った戦勝品の数の多さを競うことになります。 私の地域では、スタンダードな遊び方である、地面に置いた相手のパッチンを自分のパッチンで叩いて裏返すという遊び方もしていました。 こちらで流行っていたのは、名前は忘れましたが、道路上適度に設置してあったゴミ入れ(石製)の上部にパッチンを置いて、草履やツッカケ、サンダルなどを使ってパッチンを横から叩き、前方に飛ばす遊びです。 ルールは簡単で、一番よく飛んだパッチンが勝ちとなります。勝負のカギは...つづき
お菓子のおまけのメンコと 牛乳のフタのメンコ
倉田さん 福岡県 1986年生まれ 男性 小学校時代にメンコ遊びが流行っていました。僕の世代ではアニメのお菓子におまけとして付いている丸型のメンコでした。みんな小学校の近所にあるお菓子屋でお菓子を買い、中に入っているメンコを使って遊んでいました。 最初はひっくり返したら相手のメンコが貰えるというルールで遊んでいました。自分のメンコが取られたくない人が増えて、おまけのメンコは収集目的のトレーディングカード的なものになりました。 牛乳瓶の蓋を平らにして乾かし、お互いメンコのやり取りなしというルールで遊んだりもしました。 牛乳のフタを何枚も重ねてテープで貼って分厚くして、分厚くしたフタをひっくり返せるか?と遊んだり、牛乳のフタを横につなげて広く平たいものを普通のメンコでひっくり返せるか?など色々なバリエーションの遊び方をしていました。
ガンダム ウルトラマン 仮面ライダーなどのメンコのコレクションと遊んだ思い出
まさおさん 京都府宇治市 1974年生まれ 男性 私の地域でメンコが流行していたのは小学4,5年生の頃だったと記憶しています。当時は駄菓子屋やおもちゃ屋でメンコをたくさん販売しており、お小遣いで購入していました。 ガンダムやウルトラマン、仮面ライダーなどのメンコが主流だったように思います。メンコはクラスの同級生よりも近所の子と主に遊んでいました。 地面が砂だとめくるのが難しく、アスファルトだと簡単にめくれました。 めくれたメンコはめくった人の物になるので、みんなかなり気合を入れて遊んでいました。セロテープを巻いたり、軽く折ったりして少しでも強力にしようとみんな工夫していました。 みんな自分のお気に入りの柄のメンコは取られたくないので、いらないメンコばかり出していたように思います。 コツが分かってくると、力任せに振り下ろすのではなく角度をつけて投げたりと頭も使うようになりました。 メンコはコレクションとしても大きな楽しみの1つ。日曜大工が趣味の父親が木で箱を作ってくれて、そこに入れて大切に保管してました。その箱をテーブルに置いてメンコを取り出して眺めるのが何よりの楽しみでした。