ガキ大将

ガキ大将の思い出
子どもの頃の遊び場でのガキ大将の思い出とエピソードを集めました。

1974年生まれ

「絶対に負けたくなかった」かくれんぼの思い出

まさおさん京都府宇治市 1974年生まれ 男性かくれんぼは小学5,6年生の時によく遊んでいました。クラスの同級生とするよりも近所の子と遊ぶのが主でした。通常のルールは「もーいーかい」「まーだだよ」「もーいーよ」という掛け声とともに隠れて見つけるというものですが、私たちが遊んでいたルールは少し違いました。まずジャンケンをして負けた子が鬼になります。鬼が電柱で目を伏せて声を出して30秒数えます。30秒数えている間にほかの子は好きな所に隠れて30秒経ったら鬼が見つけに行きます。見つかったら鬼と隠れていた子が電柱へ向かって走り、鬼が先にタッチしたらアウト、隠れていた子が先にタッチしたらセーフとなります。要するに、ある程度遠くへ隠れると、かくれんぼというよりもただの徒競走になるのです。当時私はクラスでも足が速い方で、しかも毎回遊んでいる近所の子は2つ下だったので、負けたくないから遠くまで隠れて競争で勝っていただけでした。友達も「まさお君が隠れている場所分かってるねんな」と半ば文句を言いながら見つけていました。学校ではほとんどしゃべらない大人しい子供で、クラスで遊ぶときは空気を読んでガキ大将にわざ...つづき
1982年生まれ

知らないおじさんから守ってくれた「げんこつたかちゃんの思い出」

たきあまーちさん神奈川県 1982年生まれ 女性私の小学校の時の思い出です。私の小学校の裏にはおじいさんがやっている駄菓子屋がありました。みんなそこで駄菓子を買って公園で遊ぶというのが毎日のルーティンでした。そこの駄菓子屋の孫のたかし君は、まさにガキ大将でした。たかし君は「たかちゃん」と呼ばれており、駄菓子を買う子にこれはダメだ。こっちを買え。等、店に居ては少し困ったところもあり、威張っているところを見つかると、よくおじいさんにげんこつをもらっていました。ある日、公園でいつものように遊んでいると、知らないおじさんが話しかけてきて「学校でお母さんが困っている。一緒に来てほしい。」と言うのです。お母さんは家に居るはずだしどうしようと私が困っていると、たかちゃんが来て、「こいつの家は近くだから俺が家に一緒に行ってくる。」と言ってくれたのです。すると、おじさんはすぐにどこかに行ってしまいました。たかちゃんは、本当に家に行ってくれました。家には母が居て、一緒に行っていたらと思うと怖かったなと思いました。普段は威張っているところもあるガキ大将だけど、いざというときには頼りになるガキ大将でした。
1961年生まれ

「ちょっとした悪いこと」をしている怪しい先輩を遠くから観察するドキドキ スリルある遊び

まー次郎さん福岡県 1961年生まれ 男性休みの日、学校の校庭で友達と遊んでいたとき、その当時隣接した公共の建物の下の通気口から建物の床下に入る上級生を見ました。その上級生の挙動が怪しかったため陰で観察していたら、なにやら手荷物をもって入っていていき、しばらくしたら何も持たず手ぶらで出てきて去っていきました。この上級生は日ごろから酷なことしかしていなく、今でいえば「不良」と言われていて、ちょっと興味が湧き、先輩が去ったあと、ドキドキしながら悪友3人と先輩が入った建物の床下に入っていきました。そこにはなんと、新品のグローブとバット、ボール等がありました。これは万引きしたに間違いないと思いました。どうしようと悪友と相談し、とりあえずここから持ち去ってから考えようと言う決断になり、持ち去りました。後日絶対に先輩は犯行現場に来ると思い、1週間後休みの日に見張っていたら現れました。これにはあまりにも考えていたことにびっくりしドキドキしながら遠くで見ていました。建物の床から出てきた時のあの先輩の顔は忘れません。キツネにつままれたかのような顔をしていました。
1975年生まれ

いじめっ子から守ってくれたガキ大将の思い出

まみさん北海道 1975年生まれ 女性ガキ大将というのは、簡単に言うと近所の子達のリーダーでした。威張っていたけど決して傍若無人ではありませんでした。私は、子供の頃は小柄でいじめっ子からよくからかわれていました。その日は、初雪が降ったとても寒い日でお気に入りの毛糸の帽子を被っていたんです。そうしたら、公園でいじめっ子達に見つかってしまい。追いかけられて帽子を取られて、私は半べそをかきながら歩いていました。そのとき、ガキ大将の男の子が気がついて走ってきたんです。私が事情を話すと、その子は何も言わずに走っていきいじめっ子達から帽子を取り返してくれました。6歳の私にとって、10歳のガキ大将はとてもお兄さんに感じたのです。それから、ガキ大将がいる時は安心して遊べました。ガキ大将というと、いじめっ子のイメージを持っている人もいますが、そんな事はありません。弱い子にはとっても優しかったです。だから、どんな子でも一緒に遊べたのでないかと思います。
1976年生まれ

ガキ大将に巻き込まれた「ケンカごっこ」でやりすぎてしまった話

ゆでたまごさん大阪府 1976年生まれ 男性ガキ大将と言えばケンカのイメージですが、だいたいは弱い人など殴ったりせず、相応の相手を選んでしていました。私はおとなしく目立たない存在でしたが、成長期のタイミングの差からか、体が大きく力だけはありました。そんな体格の良さからか、目をつけられたのか、ケンカごっこに巻き込まれてしまいました。いつもは、ガキ大将の取り巻き同士でケンカごっこをしているのですが、飽きてきたのか私が目をつけられてしまいました。まずは一番弱そうな子が私の相手に選ばれました。ケンカといっても理由もなく殴り合いをする気も起きず、だいたいの人は「相撲もどき」の取っ組み合いでお茶を濁します。そんな事とは知らない私は、ガキ大将と大勢の取り巻きに囲まれ、パニックになり、必至で腕や足を振り回しました。ガキ大将たちは、最初こそ混乱する様子を見てみんなで笑っていました。私のほうが数十センチも身長が高く、必至に暴れるものだから、相手もたまったものではありません。ガキ大将も「殴れ、蹴れ」とはやし立てますが、偶然当たった腕や足のせいでいつの間にか流血沙汰になっていました。それ以後はケンカごっこはご...つづき
1976年生まれ

学校の運動場で遊んだキックベースとガキ大将

ヒロタさん大阪府 1976年生まれ 男性我々の世代はガキ大将といえばアニメや漫画ではバリバリの現役でした。当の子供たちは、「ガキ大将なんてお父さんの世代の話でしょう」と思っていたわけですが、実際には、いかにもガキ大将といった子がいて、遊びの中心になっていたものでした。小学校の頃の話ですが、私の学校では休憩時間といえばキックベースという遊びが流行っていました。キックベースというのは野球に似たスポーツです。違いはピッチャー役の人が人の頭程度の大きさのボールを転がして、それを蹴るという事。そしてランナーをアウトにする方法がタッチだけではなく、ボールをぶつけてもよいという事でした。ボールを蹴る力、そしてキャッチしたボールを相手にぶつける肩の良さが大事です。他にもボールをキャッチする技術や足の速さも必要です。チームとしてのバランスを考えるのが大変です。遊びの最初にはチーム分けをします。キャプテン同士でじゃんけんをして勝った方から順番にメンバーを決めます。このキャプテンはもうガキ大将やライバルたちが必ず勝手に引き受けてしまいます。こういう所がガキ大将たるゆえんなんでしょう。そして何よりクラスメイト...つづき
1978年生まれ

ガキ大将とのいたずらの思い出

あの日の少年東京都 1978年生まれ 男性私の身近にいたガキ大将は、小学生時代にいました。どんな子かというと、ケンカが強く、遊びではリーダーとなって色々なやんちゃをしている子でした。授業中でも居眠りや隣の席の子にちょっかいを出すなど、自由気ままにやりたいことをするガキ大将でした。そんなガキ大将も仲間意識は強いので、上級生に仲間がいじめられていると率先して助けたりしていたので人望はありました。放課後遊びもガキ大将が決めます。野球からサッカー、鬼ごっことワイワイと遊んだことを今でも覚えています。今となっては恥ずかしい話ですが、ピンポンダッシュも流行っていて、ガキ大将から指名された子が、特定された家のピンポンダッシュをしていました。当然、私もガキ大将から何件か指名されてやっていました。走って逃げるときは、いつもみんな一緒で、いたずらの快感に酔いしれて笑顔で遊んでいました。そんなガキ大将は、中学校は私立中学に行くことになり、最後の卒業式では、涙を流しながら仲間一人一人と握手しました。私も感動し号泣しました。色褪せないガキ大将との思い出です。
1968年生まれ

ガキ大将とカブトムシの幼虫の思い出

ポーちゃん宮城県 1968年生まれ 女性私の住んでいる地区には同級生は3人しかいませんでした。気が合わなくてもだいたい3人で遊んでいました。3人のうちの1人が、体も大きく態度も大きく常に主導権を握っている人でした。その子はいつも弟を従わせていました。私は何かあるとすぐに頭をパカパカたたかれていました。遊んだあとに泣いて家に帰って頭をたたかれたと母に訴えることが何度かありました。たまりかねて母は、相手の親に苦情を言いに行ったことがありました。その後、何事もなかったように誘われて私はその子の家に遊びに行きました。その日は普通に遊んでいましたが、その子は弟に「あれを見せてやったら?」と何かを持ってくるように命じました。庭から何かを持ってきた弟は私にそれを見せました。それは大きく成長したカブトムシの幼虫でした。虫が苦手な私はぎゃーっと泣きながら逃げました。弟は面白がって追いかけてきました。それをその子は大笑いしながら見ていました。それ以来私はその子の家には行かなくなりました。学校でもその子は親分でした。中学に入るとヤンキー仲間の中心にいました。その精神は小さい頃と変わらないなあと遠巻きに私は見...つづき
1999年生まれ

僕には優しかった 不良のガキ大将

パエリアさん兵庫県 1999年生まれ 男性僕は中学時代、身長がクラスで1番低く、性格もかなり大人しめでした。それに加えて体も弱く、肺に穴が空きかけて学校を休みがちな時期もありました。そんな中学時代に、学年のガキ大将的存在がいました。その人は体も同級生の中ではかなり大きく。素行不良で先生に目を付けられており、同級生達は誰も逆らえないような人でした。そのガキ大将とは中1の時クラスが一緒だったのですが、案の定弱々しい僕に絡んで来ていました。出会った最初の頃は、とにかく何をされるか分からなくて怖い印象だったのですが、僕の体が弱いことを知ると、「新しい肺買ったろか?」と冗談を言ってくるようになりました。嫌な感じでは無く、僕を明るく受け入れてくれるような感じでした。ガキ大将はその後も、確かに素行は悪かったのですが、僕にだけは優しくしてくれました。「肺買ったろか?」が会うたび挨拶のようになっており、時には隣を歩いて、僕が他の不良に絡まれないように、一緒に学校から家まで下校してくれる時もありました。今となっては肺も良くなりましたが、当時の僕はその優しさが嬉しくてたまりませんでした。
1975年生まれ

校内でも有名なガキ大将の思い出

なっつんさん愛知県 1975年生まれ 女性小学生の頃、友達とよく近所の公園でドッジボールや縄跳びで遊んでいると、同じ学年で、校内では有名なガキ大将が現れ、私たちは頻繁にその場所から追いやられました。そのガキ大将のまわりには2~4人くらい子分のような存在の子がついてきており、我が物顔で占領していた記憶です。逆らうといじめられるため、遊んでいる子たちは必然的に隅っこでこじんまり遊んだり、移動したりしていました。そんなガキ大将ですが、学年の遠足でも威厳を保っていて、お弁当タイムには、子分の子達のおかずとかお菓子を貰ったりしていました。ガキ大将のまわりには常に人がいる、色々な子が取り巻いていました。おそらく、そのガキ大将と一緒に居ればいじめられる事もないという考えからだろうとは思っていました。よく喧嘩もしていましたが、ひとりでも充分な様子で、大将になるだけあるとは感じていました。男の子同士の喧嘩でも本当に強かったです。どの時代にもそういったリーダー的な人は存在し、大人になった今はどんな感じなんだろうと、ふと思い返す時はあります。