1986年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1986年生まれ

塾にあったマットでの相撲遊びやプロレス遊び

前頭三枚目さん 神奈川県 1986年生まれ 男性 私が小学校高学年から中学校卒業までにかけて通っていた学習塾での思い出です。 その塾は今でこそ中堅有名進学塾の一角を担うような大きな進学塾ですが、当時はまだ新興の学習塾だったと思います。 塾での活動は受験向けの授業を受けるというもので、他の塾と大差ないものだったとは思いますが、その塾には相撲ができるようなマットが置いてありました。 授業と授業の合間に講師と生徒が相撲やプロレスができるものでした。 私や私の塾友達は休み時間になるとその上で講師と取っ組み合いのじゃれあいをして楽しんでいました。 ある日の休み時間も一人の講師と複数人の生徒がじゃれあいをしていましたが、この頃合いの子供というのは手加減というのを知りませんし、エネルギーに満ち溢れています。 じゃれあってるうちに、相手になっていた講師のシャツがビリビリに破けてしまいました。 講師は怒ったりせずに、ただただ息を切らして呆然としながら次の授業のチャイムと同時に教室に入ってきてボロボロのシャツのまま授業を開始したのを覚えています。 そのときはその様がおかしくて笑うのを我慢していましたが、今...つづき
1986年生まれ

「サラ砂をかけて固くしたり 泥団子を作った」公園の砂場での思い出

ぽこたさん 東京都 1986年生まれ 女性 小学生の頃、学校が終わると公園に行き、よく砂場遊びをしていました。 砂の山を作り友人と二人でそれぞれ別の方向から穴を開けてトンネルを掘ったり、そこに水を流したりして楽しんでいました。 今考えると不思議な遊びですが、コップに湿った土を詰めてその表面にサラサラした白い砂を振りかけてを繰り返し、どれだけ表面を固くサラサラに出来るかという遊びをよくしていた思い出があります。 また、それと似ていますが泥団子もよく作っていました。様々な大きさの泥団子をきれいに作れた時はとても嬉しかった記憶があります。 プラスチックのバケツやかわいらしい動物の型が販売されており、砂場遊び系のおもちゃはポップでカラフルなものが多く、お気に入りのものを持って公園に行くのが嬉しかった。 砂場遊びは友人とも一緒に楽しく遊べて、協力することや相手の作ったものを大事にする優しさも学べたように思います。
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雨上がりの砂場でお気に入りのスカートを汚してしまった思い出

うさぎちゃん 福島県 1986年生まれ 女性 小学1年生の頃だと思います。雨上がりに、砂場の砂が渇いていない状態で遊んだことがありました。 そういう時は水をわざわざ持ってこなくても泥団子を作るのにはぴったりなのです。 泥団子を作っても何もすることはないのですが、泥団子を作るのが楽しかったのです。今思えばおにぎりを作る練習にもなっていたような気がします。 苦い思い出になってしまうのですが、その時私はお気に入りのスカートを穿いていました。 お尻が付かないように、しゃがんで砂場遊びを楽しんでいたのですが、ついお尻をついてしまい、お気に入りのスカートを汚してしまいました。 パンツまで砂と泥で汚してしまいショックでした。本当に気に入っていたので、あの時のスカートをハッキリと覚えています。 それから雨上がりに砂遊びはしないようになりました。
1986年生まれ

「棒倒しを遊んだ」砂遊びの思い出

うさぎちゃん 福島県 1986年生まれ 女性 幼稚園の頃は砂場で遊ぶのは好きでしたが、小学生になるとあまり遊ばなくなりました。なぜなら小学生になると汚れが気になるようになったからです。 小学校の砂場で遊んでいたのは低学年くらいまでだったと記憶しています。 私は女の子としか遊ばなかったのですが、普通に砂山を作ったりしました。 棒倒しもしました。砂山を作り、順番に砂山の周りをなぞるようにして崩していきます。それで棒を倒してしまった人が負けというゲームです。 私の周りはお兄さんお姉さんのいる子が多かったので、その子たちが教わったものを継承したのかも知れないです。
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ジャングルジムに登ろうとチャレンジ

うさぎちゃん 福島県 1986年生まれ 女性 私は身体障害があったので、ジャングルジムに登るという行為はとてもハードルが高くて、リスクもある行為でした。 幼稚園の頃はカラフルなジャングルジム。小学生になると普通の可愛くないシルバーのジャングルジムがありました。 そして幼稚園の物と違うのは明らかに高さがあるということです。 それでも子供なりに、他の子と同じように近づきたいという気持ちが強く。少しだけですがの登ったりしました。 もちろん怖くて上の方まで行くことはできないのですが、自分なりに少しでも登ったときは達成感があったような気がします。 私の体のことを知っている子たちは、無理しなくて大丈夫だよとか気遣ってくれたことが嬉しかったです。 もちろん無理をすることはありませんでした。登ったけれど降りられなくなってしまったら大変ですからね。 でも一度でいいから一番上まで登ってみたかったです。
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ジャングルジムでの痛みと楽しさ

べこさん 宮城県 1986年生まれ 女性 ジャングルジムで思い出すのは、思い切り頭をぶつけて悶絶した記憶です。 学校の休み時間に友人たちとジャングルジムで遊んでいました。もうすぐ休み時間が終わると、皆が次々と離脱していくのに、私も慌てて続こうとしたときです。 運動神経が悪く素早く動けない私は、焦って身を乗り出し、丁度頭上にあったジャングルジムの枠に頭を激突! ぐわんと頭に衝撃があって、しばらく悶絶していました。友人たちはすでに誰もいなく、ひとり痛みと闘う私…。 痛さと寂しさが染みましたが、今思うとくすっと笑えてしまうエピソードです。 そんな痛い思いをしても、懲りずにジャングルジムで遊ぶのが大好きでした。 縦にも横にも動ける迷路に迷い込んだような楽しさがあって、そして何より、頂上からの眺めは最高です。 友人たちと駄菓子を持ち寄って、ジャングルジムの枠に駄菓子が入った袋をくくりつけて、少しずつ取り出しては、おやつタイムを楽しんだこともあります。 この歳になっても、あの時のわくわくした気持ちをまた味わってみたいな、なんてしんみり思うのでした。
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缶蹴りとお友達の思い出

パンさん 岡山県 1986年生まれ 女性 小学生の頃、よく缶蹴りをして遊びました。缶を蹴る力や場所、タイミング、いかに仲間を救えるかなど、意外と頭を使っていたことを思い出します。 隠れる場所によってはしっかり参加できずに終わってしまうこともあります。 私がが大きくなるにつれて、盛り上がりたいと思ったら積極的に缶を蹴りにいったり、休みたい時には見つからない場所に隠れたりと、状況によって動いていました。 ただ、鬼になった時には、なかなか勝てないこともあります。絶対に鬼にはなりたくないと思っていました。 缶を蹴る方が上手く協力体制を取っていると、鬼が交代出来なかったり、公園や学校が広すぎたことも原因だったかもしれません。 今思えば、範囲を区切ってやっていれば、鬼の私ももっと楽しめたように思います。 私が不甲斐なかったこともあり、鬼を2人にすることもありました。それはそれで私も楽しめるようにしようと、子どもなりに考えてくれたのでしょう。 良いお友達に恵まれたと、今になって感じたことでした。
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実は怖かったシーソー遊び

うさぎちゃん 福島県 1986年生まれ 女性 子供というのはシーソーが大好きだと思いますが、私はどちらかというと苦手でした。苦手ではあるものの、どうしても友達との付き合いで幼稚園の頃や小学生の頃に遊ぶことがありました。 小学校にシーソーがあったかどうかは記憶にありませんが、幼稚園の頃にはありました。私はシーソーをしても基本的に長続きしません。 私は凄くガリガリに痩せている子供で、シーソーをすると必ず私の方が上の方に上がってしまいます。体重の重い子が相手だと、高くなってしまい非常に怖いという気持ちが強かったです。 私は身体に障害もある子供で普通の健常児たちと一緒に遊んでいたので、シーソーはちょっとした恐怖でした。テンポよくシーソーをしている子たちを見ると羨ましくなりました。 痩せすぎていて肉がない為にガッタンゴットンとなる度にお尻がめちゃくちゃ痛かった思い出があります。
1986年生まれ

身体に障害があっても立ち漕ぎが出来て嬉しかった箱ブランコ

うさぎちゃん 福島県 1986年生まれ 女性 小学生の頃団地に住んでおり、坂を少し下ればすぐに公園がありました。広さはかなりあるものの、遊具そのものは少なく。普段はお年よりがゲートボールで遊んでいます。遊具はブランコくらいしかありませんでした。 頃放課後に遊びに行って、先客がいると箱ブランコには乗れません。運よく乗ることができたらラッキーみたいな感じでした。 小学生でも上級生が遊んでいたら、上級生に譲らなければならないという暗黙のルールもありました。 乗れた時はとても嬉しくて、特別なことはせずに普通に乗ることが多かったのですが、私は立って横に立ちこぎをすることが好きでした。 私は身体に障害があり、普通のブランコだと立ちこぎができません。 しかし、箱ブランコはしっかりしているので立ちこぎもしやすく嬉しかったです。調子に乗って早くこいだりもしていました。 ただ、残念なことに今現在その公園はまだありますが、あの思い出の箱ブランコは撤去されて、倉庫みたいな物が設置さています。なぜなくなってしまったのかは分からないですが寂しいです。
1986年生まれ

一番乗りで積もった雪に足跡を付ける地味な遊び

うさぎちゃん 福島県 1986年生まれ 女性 あまり雪の降らない地域だったので、小学生の頃と言ったら少し雪が積もっただけでも大騒ぎな状態でした。 これは遊びのうちに分類されないかも知れませんが、真っ白な新雪に誰が最初に足跡を付けることができるのかという、謎の暗黙のルールのゲームみたいなものがありました。 まだ誰も足跡を付けていない場所に一番最初に足跡を付けるのは気持ちが良いものです。 登校中の道もそうですが、学校の敷地内でも同じです。休み時間などにまだ誰の足跡が付いていない所を狙っては、自分が足跡を付けるのは凄く快感です。 小学生の頃にやっていたことではありますが、実は大人になった今でもたまに雪が積もった時に、一番乗りで足跡を付けたいという気持ちが強くなります。一人で足跡を付けて喜んでしまっている自分がいます。 いい歳をしてちょっと恥ずかしいですが、子供の頃の地味だけど楽しい、雪が積もった時の遊びが忘れられないからだと思います。
1986年生まれ

珍しく雪が積もった日に 祖父が作った小さいかまくら

桜と雪さん 福島県 1986年生まれ 女性 私の住んでいる地域は福島県ですが雪があまり降らない地域でした。私は寒いのが苦手だったのですが、雪が降るとちょっと嬉しいという気持ちもありました。 珍しく雪が積もったその日は休みでした。祖父の家に遊びに行き、祖父が小さめではありますがかまくらを作ってくれました。 私と妹がやっとギリギリ入ることのできるくらいの小さいサイズのかまくら。テレビでかまくらを見て、凄く憧れていたので、実際に入ることができたことが嬉しかったです。 かまくらが作れるくらい雪が積もったのはあの日くらい。一度切りではありましたがいい思い出になりました。探せばその時の写真がどこかにあるかも知れません。
1986年生まれ

日本文化との出会い アメリカでのおはじき遊びの思い出

じょうさん アメリカNJ州 1986年生まれ 女性 父の仕事の関係で小さい頃アメリカに住んでいました。日本から親戚が遊びに来た時に、おはじき、お手玉、折り紙等の、日本の昔ながらのおもちゃをいくつかお土産に持ってきてくれました。 私を含め、兄弟は皆アメリカ文化にすっかり馴染んでいたので、初めて見た日本のおもちゃに大はしゃぎ。 特にカラフルな、透き通った飴のようなおはじきに夢中になり、最初は色ごとに兄弟で分け、次第に他の色も欲しくなって交換をはじめ、いつしかおはじきの奪い合いにまで発展しました。 それ以降、日本の親戚が遊びに来る時には、新しいおはじきを買ってきてくれるようになりました。 日本ではどのように遊ばれているのか知りませんでしたが、私たち兄弟は、最初は眺めたり集めたり並べたりして遊んでおり、しばらくしてからはお店屋さんごっこをする時のお金として使うことが定番となりました。 緑色は1ドル、黄色は5ドル、赤色は10ドルという具合です。 アメリカ人の友達が家に遊びに来る時も、同じようにして遊んでいたので、もしかしたら友人は日本のお金は綺麗だなと勘違いしていたかもしれません。今では良い思い...つづき
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小学校の昔遊びの会で おばあちゃんの活躍

sizukuさん 茨城県 1986年生まれ 女性 ある日わたしの小学校で「おばあちゃん達に昔の遊びを教わろう」というイベントが開かれました。地域のおばあちゃんが招かれたのですが、その中にわたしのおばあちゃんも参加していました。 昔のめんこ遊びやおてだま、おはじきなどの遊び方を教えてくれて、来てくれたおばあちゃん達と一緒に遊んでいました。その時わたしのおばあちゃんが教えてくれたのが、おはじきでした。 おはじきは家にもあったのですが、きれいなビー玉のようなものだったのでわたしは眺めて楽しむものだと思っていたのです。遊び方があるというのをそこで初めて知ってびっくりしました。 おばあちゃんがみんなの前で、遊び方を教えながらやって見せます。みんなも知らなかったようで、興味を持って聞いていました。中にはおはじきを初めて見たという子もいました。 わたしのおばあちゃんはそういった場で話したり教えたりするのが上手な人なので、とても説明が分かりやすく穏やかに話していて、なんだかわたしはどこか誇らしげな気分になったのでした。
1986年生まれ

大掃除のときに出てきたベーゴマの思い出

sizukuさん 茨城県 1986年生まれ 女性 小学生の頃に家族で家の大掃除をしていたら、昔親が遊んでいたというベーゴマが出てきました。コマの遊び方は知っていたのですが、ひもを使って回すベーゴマは初めてでした。 親は「懐かしいなぁ!これどうやって遊ぶか知ってるか?」と聞くので「知らない」と答えると、自慢気にこうやるんだよとコマにひもをぐるぐると巻き始め、さっと引き投げて回してみせました。 ベーゴマが素早く回転して勢いよく回ります。その様がなんだか特別なことができる人みたいに見えてすごい!と思いました。 やり方を教わって自分でもやってみるのですが、なかなか上手くできずコマが回りません。見かねた親が「これはコツがあるんだよ。ほとんどこれでよく回るかが決まるんだよ。」と教えてくれました。 ひもを巻くときに、とにかく丁寧にきれいに巻くのがコツみたいです。私と兄も一緒にやってみると、なんとか成功しました。 平らなテーブルの上で回していたのですが、勢いがつくとコマ同士がバチバチと当たり合い弾くのが楽しくて、その後もしばらくは兄と競い合って遊んでいました。 少しのコツでコマの回る強度がつくようにな...つづき
1986年生まれ

最強のめんこ

sizukuさん 茨城県 1986年生まれ 女性 めんこ遊びは私の親世代がよく遊んでいたものですが、わたしが小学生の頃にもまだめんこ自体はありました。とはいえ遊び方がよく分かっていなかったので、始め親に遊び方を教わってそうやるのか!と遊び始めました。 ルールはとても単純で、めんこを地面にたたきつけて周りにあるめんこが裏返れば、持ち札が増えていくというもの。 よく分からないけどなぜか「強いめんこ」というものがあって、それをうまく使うとけっこうな確率で他のめんこを取れるのです。きれいな形で厚手のものだったような気がします。 そのめんこをわたしたちは勝手に「最強のめんこ」と呼んでいました。その最強のめんこが手元に来たら勝ったも同然。勝手に自分が強くなった気がしました(笑)。 最強のめんこを兄が手にした時、残りのめんこは5~6枚でした。私はとれても数枚だろうと見ていました。その時点で勝負は互角。まだチャンスはあると。 兄が全力で最強のめんこを叩き付けると、その瞬間に残りのめんこがすべてひっくり返ったのです!思わず声をあげました。 そんなにひっくり返せたのは初めてだったので小学生のわたしには衝撃...つづき
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お菓子のおまけのメンコと 牛乳のフタのメンコ

倉田さん 福岡県 1986年生まれ 男性 小学校時代にメンコ遊びが流行っていました。僕の世代ではアニメのお菓子におまけとして付いている丸型のメンコでした。みんな小学校の近所にあるお菓子屋でお菓子を買い、中に入っているメンコを使って遊んでいました。 最初はひっくり返したら相手のメンコが貰えるというルールで遊んでいました。自分のメンコが取られたくない人が増えて、おまけのメンコは収集目的のトレーディングカード的なものになりました。 牛乳瓶の蓋を平らにして乾かし、お互いメンコのやり取りなしというルールで遊んだりもしました。 牛乳のフタを何枚も重ねてテープで貼って分厚くして、分厚くしたフタをひっくり返せるか?と遊んだり、牛乳のフタを横につなげて広く平たいものを普通のメンコでひっくり返せるか?など色々なバリエーションの遊び方をしていました。