1982年生まれ

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白熱する石蹴りの思い出

ねえちゃん大阪府 1982年生まれ 女性石蹴りは登校時は何故かせず、下校時にしていました。特別なルールはありませんが、必ず一つの石を交互に蹴るのが暗黙のルールだった気がします。下校時にたまたま見つけた程よい大きさの石を蹴りながら歩きます。あまり大人数ですることはなく、一緒に帰る友達が2〜3人でひたすら蹴るのです。何となく相手にパスしながら通学路を進みます。危ない話ですが、強めに蹴ったりすることもあります。特に早く帰りたい時などはロングパスをしたいため、勢いよく石を蹴ります。すると、知らない人のお家に入ったり、停まっている車の下に入ったりする訳です。何故か手を使って取るのはアウトなので、意地でも足で取ります。必死に足を伸ばしてプルプルさせながら足で石を取り、また石蹴りの再開です。通学路でしますので、どうやっても最後は一人になります。最後が自分だった場合は、勝手に自宅付近でゴールを決めるのですが、上手い具合にその場所へ石が入らないと家に入れないという自分ルールがあり、白熱してなかなか家に帰れないこともありました。
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探検隊ごっこで空き地に行った思い出

ココちゃん京都府 1982年生まれ 女性小さい頃ご近所さんに同年代の子供たちが10人ほどいて、いつもいろんなところに行って検隊ごっこをしてました。町内から少し歩いたところに空き地があって、春になると、つくしが生えていたのを思い出します。その当時の私は、つくしという物が食べれる物だと知らないのに、なぜか必死になって引っこ抜き、それを嬉しそうに家に持ち帰ってました。持ち帰ったら親が綺麗に洗って、つくしの佃煮を作ってくれました。それが大人の味だった事を覚えています。別の時には、畑を休めるために蓮華が畑に植えてあって、その蓮華を摘んで、編み花冠にしてお嬢様ごっこもしていました。昭和の子供時代はひたすら外にいて、いろんな花や草を取っては遊びのネタにしていました。
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ジャングルジムの痛い思い出

ココちゃん京都府 1982年生まれ 女性小学生の頃に家から徒歩1分の所に公園があって、そこにジャングルジムがありました。学校から戻ったらすぐにランドセルを家に置いて、その公園に遊びに行って、夕方日が暮れた頃に母が「ご飯ですよ〜!」と呼びにきたら家に帰るという生活でした。近所の子供達と公園で集合しては鬼ごっこやケイドラなどをしつつ、ジャングルジムに逃げたりして遊んでいました。多少の雨ならへっちゃら。お構いなしでジャングルジムを登ったり降りたりしていました。余りに慌てて逃げていたので頭の上にあった棒を潜りそびれてしまい、「ゴーン!」すごい勢いで棒に当たって目がチカチカ。そのままジャングルジムジムの上から落ちてしまいました。落ちた痛みより、棒に当たった痛みの方が勝っていて頭がクラクラ。おでこに大きなタンコブが出来てしまったのを覚えてます。その後は、特にジャングルジムの上の方に登っている時には、棒にぶつからない方に慎重に遊ぶようになりました。
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知らないおじさんから守ってくれた「げんこつたかちゃんの思い出」

たきあまーちさん神奈川県 1982年生まれ 女性私の小学校の時の思い出です。私の小学校の裏にはおじいさんがやっている駄菓子屋がありました。みんなそこで駄菓子を買って公園で遊ぶというのが毎日のルーティンでした。そこの駄菓子屋の孫のたかし君は、まさにガキ大将でした。たかし君は「たかちゃん」と呼ばれており、駄菓子を買う子にこれはダメだ。こっちを買え。等、店に居ては少し困ったところもあり、威張っているところを見つかると、よくおじいさんにげんこつをもらっていました。ある日、公園でいつものように遊んでいると、知らないおじさんが話しかけてきて「学校でお母さんが困っている。一緒に来てほしい。」と言うのです。お母さんは家に居るはずだしどうしようと私が困っていると、たかちゃんが来て、「こいつの家は近くだから俺が家に一緒に行ってくる。」と言ってくれたのです。すると、おじさんはすぐにどこかに行ってしまいました。たかちゃんは、本当に家に行ってくれました。家には母が居て、一緒に行っていたらと思うと怖かったなと思いました。普段は威張っているところもあるガキ大将だけど、いざというときには頼りになるガキ大将でした。
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「また明日ね」缶蹴り遊びの思い出

たきあまーちさん神奈川県 1982年生まれ 女性小学校三年生の頃、放課後になると近所の公園で集まって毎日遊んでました。特に約束したわけではなく、その日に集まった子で缶蹴りなどをしていました。私の地域の缶蹴りは、じゃんけんで鬼を決め、鬼が百を数えるうちに隠れて、鬼に見つからないように缶を蹴れば勝ち。というルールです。途中で見つかってしまえば鬼に捕まります。鬼に捕まった子は、仲間が缶を蹴ってくれれば、鬼から逃げることが出きます。それぞれに自然に隠れる場所というのができてきます。私の隠れ場所は、アスレチックの城の影でした。ここだと、自分からは鬼の動きが分かるし周りの仲間の隠れ場所も分かるというメリットがありました。ただ、人気の隠れ場所であり、日によっては隠れる人が多いというデメリットがありました。その日も、いつもの場所に隠れていました。あまり話したことのない友達と隠れていました。隠れている間に、学校のことや家のこと、色々なことを話しました。いつの間にか、仲良くなっていました。また、明日も遊ぼうね。と何日も何日も当たり前のように遊ぶ毎日でした。ある日いつもの隠れ場所で、今度引越しをするんだと悲...つづき
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度胸試しなシーソーの思い出

ちーさまさん大阪府 1982年生まれ 女性一般的なシーソーの遊び方は、大体同じくらいの体重の子が両サイドに座り、お互いに足を使って地面を蹴り上げて、交互に上下するのを楽しむと思いますが、盛り上がってくると必ず度胸試しの様な遊び方になっていました。今考えると、なかなか危なっかしいのですが、最初に乗れるだけ乗って、特に掛け声もなく、アクションもない状態から、突然一人抜け、二人抜け、三人…と抜けていき。残り両サイドに一人ずつになった瞬間、最後になった子は凄まじい勢いで下に下がってお尻を打つ…という遊びをしていました。抜けるタイミングをみはかるのが難しく、途中で抜けれても抜け方が下手ならば転けたりして怪我をすることもあった気がします。他にも、そもそも座って遊ばずに平均台の様に木の上をバランス良く右から左に歩いたたり、両サイドに一人ずつ立って、思いっきりその場で跳ねてボヨンボヨンと遊ぶ等、優雅にシーソーを遊んだ記憶がありません。いつも、いつのまにか度胸試しになっていました。
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シーソーで遊んだ思い出「相手を浮かせたり 勢いよく落とす遊び」

ココちゃん京都府 1982年生まれ 女性子供の頃、公園といえば大概シーソーが置いてありました。座るところが赤色と青色になっていて、なるべく相手を空中に浮かしておけた方が勝ちというルールで遊んでいました。なぜそうだったのか?覚えてないのですが、なるべく相手が浮いておけるように自分だ下がった時にどれほど足で勢いよく踏み込むかそうでないか?を考えながら遊んでました。さらに、相手が1番高いところからドン!と勢いよく地面に落ちるように、相手が1番高いところまで浮いたらタイミングを見計らって椅子から飛び降りたりもしてました。自分が1番高いところからドン!と落ちた時には、下にクッションでタイヤが埋め込まれていたんですが、それでもお尻に衝撃が走ったのを覚えてます。後は体重が重い子に対して何人ほど反対側に乗ったら体重の重い事同じくらいの重さになるか?なんて調べながらも遊んだりしてました。今だとあまりそんな事したらいじめだとか言われるかも知れないですが、お互いに特に悪気もなく、みんな楽しんで遊んでました。
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箱ブランコはみんなでおやつを食べる場所

たきあまーちさん神奈川県 1982年生まれ 女性私が小学生の時、放課後は近所の公園に集まるのが日常でした。約束などはなくその日に集まった友達と遊ぶのです。まずは、それぞれ持ち寄ったおやつをぽっけの中から取り出し交換会です。場所は、箱ブランコに乗りながらです。くだらない話をしながら、その日のテストや好きな人の話、先生へのちょっとした悪口など、箱ブランコの中でたくさんの時間をすごしてきました。ある日、隣のクラスのエリちゃんが箱ブランコに乗って泣いてしまいました。いつものようにおやつを出し、話を聞きながら一緒に食べました。もう少ししたら引越しをすることになった。行きたくないよ。と涙をポロポロと流しながら箱ブランコをこいでいました。私も反対側に座り、行ってほしくないよ。と一緒にこぎました。二人でこいだので箱ブランコは右へ左へ行ったりきたり、風をきって楽しくなってきました。悲しい顔をしていたエリちゃんもいつの間にか笑顔になっていました。また、遊ぼうね。と約束して、別れたエリちゃんとの再会はありませんでしたが、私のなかでは大切な思い出です。
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鉄棒で逆上がりを練習した思い出

ニカさん兵庫県 1982年 女性小学校2、3年生位の頃でしょうか。体育の授業で逆上がりのテストがあるというので、出来なかった私はよく練習していたのを思い出します。小学校の鉄棒の前には、逆上がりが上手く出来るよう、練習用の踏み板が置いてあって、それがとてもカラフルに塗られていたのでよく覚えています。休み時間や放課後は学校で練習し、休日は親に電車で運動公園まで連れて行ってもらって練習をしました。私には妹がいるのですが、どういう訳か妹は鉄棒が得意。 前回り逆上がりと、練習する私の隣でぐるぐるぐるぐる回っていました。今思えば、初めての「妹に出来て私に出来ない事」だったような気がします。なので悔しくて、妹がどうやって逆上がりをしているのか盗み見ていました。研究の結果、どうやら腕の力で身体を鉄棒に引き寄せているようでした。小学校に置いてあった逆上がり練習用の踏み板は、ジェットコースターの出だしのレーンのような形をしていて、足で可能な限り高く駆け上がって逆上がりを助けるような構造になっていましたが、腕の力によるのであれば、あれは無駄かもしれないと学習しました。その後運動公園で初めて逆上がりが成功し、...つづき