1967年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1967年生まれ

スーパーカーブームの頃の話

いしゅとさん 千葉県 1967年生まれ 男性 私が小学生の頃、校門の前で何かを売っていたおじさんに出会いました。 彼はいつも古い本や漫画、おもちゃなどを売っていました。私は彼の売っていたものに興味を持ち、何度か彼のところに足を運びました。 ある日、私は彼が売っていたスーパーカーのプラモデルに目が留まりました。それは古びた感じがあるものの、デザインは非常にカッコよく、私にとっては非常に興味深いものでした。 私はそのスーパーカーのプラモデルを手に取り、おじさんに「これ、値段はいくらですか?」と尋ねました。おじさんは笑顔で「300円だよ。でも、お金がなければ安くしてあげるよ」と答えてくれました。 私は幸運にも、その日お金を持っていたため、彼からそのスーパーカーのプラモデルを300円で購入しました。おじさんはスーパーカーのプラモデルを私に手渡し、「楽しんでね!」と言ってくれました。 私はそのスーパーカーのプラモデルを組み立てることができ、完成した時の達成感と、そのカッコよさに大興奮しました。家の中で飾ったり、友達と一緒に遊んだりと、非常に楽しい時間を過ごすことができました。 そのスーパーカーの...つづき
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あっち向いてほいの思い出

50代の男性 大阪府 1967年生まれ 男性 昭和の子供世代、小学校の時は「あっち向いてほい」という遊びが流行った時期でした。 じゃんけんに勝った方が相手に対して、顔の動き(左向き、右向き、上向き、下向き)を指で当てれば勝ちと言うゲームです。 授業の間の休み時間は短く、教室内で遊んでいたので、この遊びもその一つでした。 じゃんけんに勝った上、顔の向きを当てないと勝ちになりません。単純にじゃんけんで勝つだけではないところが面白い。 基本的なルールを自分たちで複雑化していって、ゲームを楽しんでいました。 例えば、「ほい」と言って指を動かす回数と、首を動かす回数を変えるゲーム。 この指を動かす回数はじゃんけんに勝った方がその時に決めて、最終的に回数で、指の方向と顔の向きが一致した時にのみに勝ちとするというルール決めました。 今と違って、ゲーム機等はない時代だったので、自分たちで考えた遊びが多かったのが良い思い出です。
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「ハラハラ、ワクワク、ドキドキ」グローブジャングルの思い出

昭和世代のやんちゃ坊主 大阪府 1967年生まれ 男性 グローブジャングルは危ないからと今では設置されている公園は少ないかも知れませんが、昭和時代は子供がよく遊んでいました。 男とは言え、最初は怖いもので、下で、回しながら、足を浮かせたり、グローブジャングルに足を乗っけたりしていました。中は中で、よじ登って、回されるのも面白いものです。女の子も一緒に遊んでいました。 回転に慣れてくると、どうしても、高い所で回されるスリルを味わいたくて、徐々に高い位置に挑戦していました。 円状の上側で、外側に登っている時に、男の子が数名で、地面側で回されると、回転力が強くなり、しっかりとつかんでいないと振り落とされる感じで、怖い思いもしました。 まあ、中には、悪ガキ数名がいたずらで、強く、グローブジャングルをまわしていた事もありました。 今、50代になった自分から考えると、子供用の無料で近所の公園で遊べるジェットコースターの始まりというイメージです。 雨が降った後、機具がまだ濡れていると、回転と遠心力で手が滑りやすかった事もありました。 運が良かったのか、タイミングの問題なのかは分かりませんが、グローブ...つづき
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当時大流行したローラースケートでたくさん遊んだ体験談

ローラーたくやさん 兵庫県 1967年生まれ 男性 僕は小学校5年生の頃、父の仕事の関係で地方へ移住しました。生まれ育った都会とは違い、のどかな田園風景が広がる場所でした。 その地域で、流行っていたのがローラースケート。自動車があまり通らず、長く続く近所の道路は、絶好のローラースケート場です。 友だちが楽しそうにローラースケートをしているのを見て、親に同じものを買ってもらい、彼らの仲間入りをしました。 当時のローラースケートは、靴のサイズに合わせて金属製のローラースケートを履き、ベルトで固定するタイプでした。 アスファルトの道路は滑りが悪いので、あまり転ぶこともなく。ガチャガチャと音をたてながら滑っていました。放課後は、友だちとよく競争をしながら楽しく遊んでいたものです。 ある日、数キロ離れた手柄山公園という場所に無料の屋外ローラースケートリンクがあることを知りました。休日に友だちのご両親が車で、僕たちをそこへ連れて行ってくれました。 そこで初めて知ったのが、リンクの舗装がアスファルトとは違い、すごく滑らかだったことです。「すごくスピードがでそう。少し怖いかも。」と恐る恐る滑り始めると...つづき
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滅多に降らない雪で遊ぶのは最高の喜び

K.N.さん 大阪府 1967年生まれ 男性 大阪に住んでいますから、降る雪を見ることはなかなかできません。雪が降ったとしても、積もることは滅多にないです。 ある日のこと、朝起きると母親がこう言いました。「庭を見てごらん、雪が積もってるよ」。 「えっ」と言い私は庭の方へ行き、戸を開けました。すると雪が積もっていて、「雪だるまが作れる」とその瞬間に思いました。外に出て、兄弟とともに雪だるまを作り始めました。 雪だるまは雪の量が多くないと、大きな雪だるまは作れません。道路にある雪は泥で汚く、きれいな白いままの雪だるまはとても難しい状況です。きれいな雪をかき集め、夢中で作り上げました。 目とか口はないものの雪だるまが完成しました。それが終わると兄弟で雪合戦です。道路の雪を丸めて兄や弟にぶつけるのです。この遊びは面白く、きゃきゃーと大きな声で雪をぶつけ合いました。 走り回りながら雪を手で丸めて投げる。投げては逃げ、また雪の球を作り投げ合いました。みんな息がハアハアを大きな呼吸をして、顔は喜びで満ち溢れ愉快な一日でした。
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凧あげは奥が深い 釣り用のリールで糸を巻いてみる

K.N.さん 大阪府 1967年生まれ 男性 小学生の時、凧あげに夢中になりました。どこまで高く上がるかそればかり考えていました。風が全くない時でも上空にとにかく上げれば上がるときがあります。 自宅の近くの田んぼで、いつも揚げていました。タコの糸が稲の根っこに絡んだり、根っこに躓いたり、楽しく遊びました。 あまり高く上げ過ぎると、糸を巻くのに時間がかかります。時間どころか、下手すると糸がからみ、もつれた糸を元通りにするのに泣きたくなることがあります。 その時、たまたま兄貴の彼女が来てたので、兄貴が彼女に「得意だからやってもらったら・・・」。付き合いだしたばかりの彼女は真剣に糸の絡みをほどいてくれました。私は「良いひとだなあ」と思いました。 糸を巻くのに時間がかかるので、釣のリールを持ち出してそれにタコ糸を巻き、楽な凧あげを考えました。 そんなことをしている人は私だけで得意げにリールを見せびらかしたりしました。 子供の時の凧あげは大人になっても、誰かが公園で凧あげをしいているのを見ると、「懐かしいなあ」と空を見上げます。
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近所の男の子と独楽遊び

K.N.さん 大阪府 1967年生まれ 男性 この遊びはお正月に遊ぶものですが、時期が過ぎても独楽回しはしていました。近所の男の子や自分の兄弟と独楽で遊びました。 独楽の遊び方は上の兄が教えてくれました。私は5人兄弟の次男坊です。5人のうち4人が男です。自分の子供ができた今でもお正月に独楽回しをしています。 独楽の遊び方としては、右手で勢いよく回した独楽を空中に飛ばし、右手に乗せる遊びです。これは今でもできます。 右手に乗せたら、そのまま走ってどこまで走れるか競い合いました。走る途中で独楽を手から落としてもダメですし、手の上の独楽が止まるのもダメです。 今は独楽で遊ぶ方が少ないのでしょうか。保育園で独楽回しをしたら、それを練習するようになります。新しい遊びが主流ですが、昔懐かしい独楽回しなどをお正月にすると、懐かしい子供の頃を思い出します。
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熱き漢(おとこ)のメンコバトル!

昭和の生きた化石さん 宮崎県1967年生まれ 男性 駄菓子屋で買った四角いメンコや大判の丸いメンコを使って、公園で遊んでいました。会場は砂地ながら、固い地面のところでやっていました。 相手のメンコをひっくり返すと、そのメンコをもらうことができました。上手な子は、金属製の箱にぎっしりと戦利品のメンコを詰めこんで自慢していました。 戦略としては、できるだけひっくり返されないように、メンコ自体をセロハンテープなどで補強したり、水分や油分など、いろいろなものをメンコの紙に吸わせて重くしたりする作戦がありました。 相手のメンコを狙うときに、自分の足をそえて狙いやすくするのと、風圧をコントロールするテクニックがありました。 叩き付けるときの風圧を上げるために、できるだけデカいメンコを使うようにしていましたが、逆にデカいとターゲットになった時に、ひっくり返りやすかったので戦略的にも奥深いものがありました。 学校にメンコを持ち込むと、先生に没収される恐れがあったので、学校では牛乳瓶のふたでメンコバトルをしていたのも、懐かしい良き昭和の思い出です。 牛乳瓶のふたでも、アホのように盛り上がってやってました...つづき