相撲遊びの思い出

相撲遊びの思い出

相撲遊びの思い出
子どもの頃にした相撲遊びの思い出を集めました。組み合っての相撲、指相撲、手押し相撲など、いろいろな世代の人が小学生時代に遊んだ相撲遊びの体験談。相撲遊びのルールと遊び方

1983年生まれ

オリジナル指相撲

すのーぼーるさん 広島県 1983年生まれ 女性 私は小学生低学年のころからなぜか指相撲が強く、男の子相手でも勝っていました。手が小さいのになぜ勝てるのか自分でも分かりませんが、気合と親指を俊敏に動かせるところが勝因なのかもしれません。 そうして指相撲試合を重ねるうちに、オリジナルルールが採用されました。“ピンチになったら人差し指使ってもいい“というルールです。このルールができたことで私は急にボロ負けしました。 指の長さが違うため人差し指が相手の親指に届かないのです。悔しい気持ちを胸にしまい、これではいけないと新たなルールを私も発案。 それは“3秒勝ち“というもので、今までは10秒間親指を捕まえたら勝ちでしたが、それを3秒に短縮。そうです、自分に有利なように設定したルールです。これは即座に「10秒親指つかめないからだろ!」と一瞬で却下されました。 仕方ないので実力で勝つために指の筋肉を強くしようと、親指と人差し指に重りをつけて上下を動かすという地味な運動を頑張りました。 結果、やりすぎて痛みが走り、しばらく対戦はお預けになったという切ない思い出です。
1962年生まれ

友達との相撲遊びの思い出

マックイーンさん 静岡県 1962年生まれ 男性 小学校に入学当時、おじいさんっ子だった私は、よく祖父が相撲を見ていた影響もあり、相撲中継を好んでよく見ていました。 四股名が難しい漢字でも、「大麒麟」とかを書けたりして、自然と相撲で出てくる漢字は覚えていて勉強になりました。 その後は見ているだけでは物足りなくなり、自分でも相撲を取りたいと思っていたのですが、近所には同じように相撲が好きな子供はおらず、実現できませんでした。 そんなとき、2年生でクラス替えがあり、同じように相撲好きな子がいて、話が合うのですぐ友達になり、お互いの家でよく相撲を取って遊ぶようになりました。 それから時が経って4年生になった頃に体育の授業。砂場で相撲のトーナメントをすることになりました。その友達とも同じクラスで、お互いサクサクと勝ち上がり、決勝で戦うことになりました。 正直遊んでいるときは私より友達のほうが優勢で、私は自信がありませんでした。しかしその時は、自分の体勢が有利な形になって勝つことができました。私は嬉しかったのですが、友達は悔しがっていました。 力士になりたいと思っていた頃もあって、その頃の思い出...つづき
1975年生まれ

相撲大会で好きな男の子を応援できなかった思い出

サユリさん 北海道 1975年生まれ 女性 小学校の時に、好きな男の子がいました。ガキ大将で、いつも偉そうだったけど優しかったです。私は、本当は仲良くしたかったけど皆の手前そうはできませんでした。 そんな時に、町内の相撲大会にその男の子が出る事が決まったのです。女の子のなかには、横断幕を用意する子がいたり、お菓子や飲み物を差し入れする子もいました。でも、私はその勇気さえなかったのです。 友達の1人が、ガキ大将の事が好きだと言ったんです。だから、皆で応援して欲しいって。私は、自分も彼女と同じようにガキ大将が好きだとは言えずにいました。 結局、彼女の恋を応援する事になりました。相撲当日。私は、心の中で一生懸命応援しました。ガキ大将が勝つ度に嬉しくて、でも切なかったです。だって、ガキ大将は1度も私の事を見てくれませんでした。 結果。ガキ大将は優勝はできませんでしたが、仲間内のヒーローとなりました。そして、友達はガキ大将への告白を成功。私は、告白もできないまま失恋してしまいました。
1986年生まれ

塾にあったマットでの相撲遊びやプロレス遊び

前頭三枚目さん 神奈川県 1986年生まれ 男性 私が小学校高学年から中学校卒業までにかけて通っていた学習塾での思い出です。 その塾は今でこそ中堅有名進学塾の一角を担うような大きな進学塾ですが、当時はまだ新興の学習塾だったと思います。 塾での活動は受験向けの授業を受けるというもので、他の塾と大差ないものだったとは思いますが、その塾には相撲ができるようなマットが置いてありました。 授業と授業の合間に講師と生徒が相撲やプロレスができるものでした。 私や私の塾友達は休み時間になるとその上で講師と取っ組み合いのじゃれあいをして楽しんでいました。 ある日の休み時間も一人の講師と複数人の生徒がじゃれあいをしていましたが、この頃合いの子供というのは手加減というのを知りませんし、エネルギーに満ち溢れています。 じゃれあってるうちに、相手になっていた講師のシャツがビリビリに破けてしまいました。 講師は怒ったりせずに、ただただ息を切らして呆然としながら次の授業のチャイムと同時に教室に入ってきてボロボロのシャツのまま授業を開始したのを覚えています。 そのときはその様がおかしくて笑うのを我慢していましたが、今...つづき