ブランコ

ブランコで遊んだ思い出
子どもの頃にブランコで遊んだ思い出やエピソードを集めました。座って乗った、立って乗ったり、二人で乗ったり、いろいろな世代の人が小学生時代に遊んだブランコ遊びの体験談。 ブランコや砂場などの公園遊びのルールと遊び方

2004年生まれ

昔の思い出 ブランコのボール当て

くうきさん山形県 2004年生まれ 男性私が小学生の頃ブランコに乗る人と、ボールを投げる人に分かれて、ボールを当てられたら投げ手と交代する遊びをやっていました。これをやり始めたのは小学4年生のころ、友達がいきなり「なぁなぁ、新しい遊び思い浮かんだけどみんなでやろうぜ!」と言い始めたことから始まりました。最初にやった時は足でサッカーボールを蹴ってやる遊びでした。しかし、蹴ったボールをうまくコントロールができず変なところに行ったり、怪我をしかけたりする人が出たことから、近所の人に学校へ報告されてみんなで怒られました。結果、先ほども言った通り「手で投げて体のどこかに当てれば交代」みたいなルールになり、危険な要素が少し薄れながら面白い遊びが生まれました。手投げのボールを交わすためにブランコで回って回避する、派生型の遊びも生まれました。
1992年生まれ

タイヤブランコでグルグル

mntyさん埼玉県 1992年生まれ 男性ちょっと遠くの大きめの公園にタイヤを3本のロープで吊るしたようなブランコがありました。普通のブランコと違って前後だけでなく全方向に揺らす事ができる。それだけでも楽しかったのですが、他に大きな特徴としてクルクルと回転するようになっていて、そこが私の一番のお気に入りポイントでした。内側を向いて座ったり、外側を向いて座ったり、またがるように座ったり、立ったり、いろんな乗り方をしてはブランコをぐるぐる回して遊んでいました。ただ回っているだけなのですが、周りの景色がヒュンヒュン動いて見えたり、目が回ってきてブランコから降りるとまっすぐ歩けずフラフラになったり、子供の頃はそれがとても面白かった。しかし、子供の頃は楽しいと思ってしまうとどうしても歯止めが効かなくなってしまう事ってありますよね。私もタイヤブランコの回転にハマりすぎて、ついつい気持ち悪くなって吐くまで回ってしまうことがありました。
1980年生まれ

誰よりも遠くに飛ぶ ブランコ遊びの思い出

又兵衛さん埼玉県 1980年生まれ 男性私の通っていた保育園には鉄棒やブランコ、シーソー等の遊具がありましたが、遊具の人気ナンバー1はブランコでした。現在の保育園敷地内は部外者進入禁止になっているようですが、私が小学生の頃は誰でも入ることができていて、近所の小学生は放課後集まって保育園の敷地で遊んでいました。当時は遊園地など行ったことが無く、小学生時代の私にとってブランコが最も興奮させてくれるアトラクションで、ブランコの推進力によるスピード感に夢中になりました。高い位置から振り下ろされるブランコによる風を切る音や、高い位置に上がりきったところから後ろ向きで降りる際の浮遊感は心地良いものでした。ブランコを使うことによって視線が高くなり、高い位置から保育園の全貌が見えることが気持ち良かったことを記憶しています。ブランコは4台あり、同時に漕いで誰が一番遠くに飛べるかを競うことに熱中していました。ブランコを漕いで一番高い位置から飛んでも飛距離は伸ばせず、ブランコの推進力を活かして地面スレスレを狙って飛ぶことで、飛距離を伸ばしていました。徐々にコツを掴んで飛距離を伸ばせていたのですが、保育士から...つづき
1989年生まれ

今も昔もブランコは人気遊具

たまねえさん北海道 1989年生まれ 女性実家の近所にある公園で、必ず遊んだのがブランコです。いつも人気で、上級生が遊んでいるといつまでも待たされてしまい、乗れないまま夕方になってしょんぼりしながら帰宅したこともありました。遊べたときは友達とどこまで高く漕げるかを競ったり、ブランコの二人乗りをしたり、ブランコに乗りながら靴を飛ばして遊んでいました。危なかしい遊び方もしたと思いますが、当時はブランコで遊べるだけでとてもテンションが上がり、楽しかったです。そこから5〜6年経って、高校生や専門学生になったころ、久しぶりによく遊んだ公園へ行くと、ブランコがとても小さく感じました。座ってみると、お尻がピチピチ状態でだいぶきつくなっており…ある意味での成長を実感させられました(笑)。現在は子どもも生まれ、よく公園に遊びに行くのですが、やはりブランコは人気者。子どもたちが列をなしています。いつの時代も人気遊具として鎮座し続けるブランコってすごいなあと思います。
1956年生まれ

怖いもの知らずのブランコ遊び

yuumin0108さん福井県 1956年生まれ 男性場所は校門近くの桜の木に囲まれたブランコ。小学校の5,6年の頃だと記憶しています。雨さえ降らなければ毎日のように5,6人の友達とブランコ遊びをしていまいた。やんちゃな頃ですから,大きく振れば振るほど友達の称賛を得ます。最初は大きく振ったブランコから前方に飛び降りて飛距離を競いました。着地した足が滑って頭を打ったことを覚えています。それでも涙も流さず何度もトライしました。今の時代であれば即禁止でしょうか!そのうちに前方ではなく後方への飛距離を競うようになりました。その時も着地の足が滑って,両手の掌を擦りむき顎を打った覚えがあります。しばらく耳の奥が痛く,笑うことも給食を食べることも苦労しました。しかしながら子どもの遊び方は無限大です。友達の一人がブランコを大きく振って前方にある桜の木の小枝に足タッチし始めました。更に,静止したブランコに座った状態から,全身で揺すって大きく漕ぎ出して桜の小枝にタッチする。更にはタッチ後に前方に飛び降りて飛距離を競う。また,個人競技ではなくリレーの団体競技にもトライした覚えがあります。今思い出しても怖いも...つづき
1970年生まれ

ブランコの乗り方 3種類

ぽんたさん熊本県 1970年生まれ 女性【その1】ブランコといえば一人で乗ったり、友達が背後から背中を押したりするのが普通だと思います。私の小学校では一人がブランコに普通に腰掛け、もう一人が向かい合った状態で腰掛けてる子の両端に足を置き立ち漕ぎする二人乗りが主流でした。一人で漕ぐよりも、地面と平行になるくらいに高い位置に!ちょうど腰掛けている子の顔の前に、立ち漕ぎする子の股間がある。今思えば、なんとも気まずい体勢だったな⋯。当時は女の子同士だから恥ずかしさはありませんでしたが⋯。男の子は一人で立ち漕ぎしている子ばかりでしたね。やっぱり男の子のほうが恥ずかしがり屋でデリケートなんでしょうね。【その2】ブランコ改造系だと、ブランコの鎖を乗る部分に巻き付けて、鎖を短くして乗るのも流行っていたかな~。これって鎖を巻きつけるときに気をつけないと、良く指を挟んで指が紫色になってたり。【その3】体を下向きで乗る部分にお腹を乗せて、その場でクルクル回って鎖を縄状にして地面から足を離す。反対回転のクルクルを楽しむだけの遊びとかもやったな。伝わったかな?
1994年生まれ

公園のブランコで立ち漕ぎ乗り

野球少年さん千葉県八千代市まどか公園 1994年生まれ 男性小学生の頃、放課後によく友達数名と地元のまどか公園という公園で遊んでいました。ブランコが4つある公園でそのブランコの前には大きな芝生が広がっていました。小学生だった僕は、友達と一斉にブランコを立ち漕ぎをしてその勢いを利用して靴を芝生の方向に蹴り飛ばしその飛距離を争うという「靴飛ばしゲーム」に熱中していました。当時野球のクラブチームに所属していたので周りより運動神経も良く。芝生を超えた先の木に直撃することもありました。距離で言うと30メートルくらいはあったかもしれません。天気の良い日は良いのですが、雨あがりの次の日に靴飛ばしをした時は靴がグチュグチュになり、家に帰宅すると親に怒られた記憶があります。ブランコでは二人乗りという遊びもしたことがあります。一人が通常通りで座って、もう一人が立ち漕ぎを向き合う形で一つのブランコで漕ぎ合います。座ってる方は立ってる方のが漕ぐたびに、股間が顔面に直撃します。しかし小学生だったのでそんなの気にせず無我夢中で楽しくブランコで遊んでいました。
1963年生まれ

ブランコの「りんごいっこ!」

じゃすみんさん大阪府 1963生まれ 女性それは校庭や公園のブランコが二つや四つとあるところで、参加する人がブランコに乗って始まります。ギャラリーがいるときもいないときもありました。「りんご一個」という掛け声と共にスタート。地面の土にりんごの絵を指で書き、それからそれぞれの人がブランコを漕ぎ始め、勢いをつけていかに早くいかに遠いところまで跳ぶことができるかが勝負。という遊びがありました。「せーの」という掛け声でもいいのになぜ「りんご一個」なのかなぜ地面にりんごを描いたのか謎です。もともと運動神経の弱い私でしたから、もちろん勝つことはまったくありませんでした。今から思うと「この人には勝てるから」という感じで誘われていたのかな。でも誘ってもらえたことが嬉しくて、ついついその遊びのお誘いに応じてしまっていたのでした。ただ、子供ながらに「ここで勝負にはならないんだ、違う遊びで勝負しなくちゃ」という気持ちが芽生えたのはよかったし、いい経験でした。
1984年生まれ

神社の公園にあった ぶらんこの思い出

ゆうさん山形県 1984年生まれ 女性小さい頃、祖母の家のすぐそばに、公園のある神社があって、よくそこで遊んでいました。そこに行くまでに長い階段があり、妹や従妹と「グリコ」をしながら登り、公園につくと一目散に公園にある2個のぶらんこの取り合いをするのがお決まりでした。最初は普通に漕ぎながらたわいもない話をしていたのですが、段々時間が経つと立ち漕ぎをしたり、勢いをつけてどこまで漕げるかを競い合ったりしました。「〇〇ちゃんより私の方が漕げるもん」なんて言いあいをしたりもしました。それにも飽きてくると、今度は靴飛ばしで競い合うのが恒例でした。どこまで飛んだか土の上に石で線を引いて、「〇〇ちゃんはここ!」「私はここ!」なんて言い合いながら、日が暮れるまで競い合うことが度々ありました。そして、母に「そろそろ帰ってきなさい」と言われると、また長い階段を「グリコ」をしながら帰るのでした。とても懐かしいですが、今思うと怖くて出来ない漕ぎ方をしていたなぁと思います。本当に空に飛んでいきそうなくらい漕いでいた。その時に見た空は凄く綺麗だったことを、今でも覚えています。
1983年生まれ

たんこぶができた弟 ブランコの思い出

たら子さん広島県 1983年 女性ブランコというと私は友達の弟を思い出します。ある日、同じクラスの友達と小学校へ遊びに行きました。走って行くと一つ年上のお姉さんと歳の離れた弟がブランコで遊んでいるのが見えました。私はそのお姉さんと知り合いだったので挨拶をし、3歳の弟を合わせて4人で各々ブランコを楽しんでいました。しばらくするとすると弟は飽きてしまったのか、足を精一杯伸ばしてブランコから下りてトコトコと歩き出します。私たちはまだ思いっきり立ち漕ぎをしていて勢いがついている状態。何だか怖いなと思った瞬間、弟がお姉さんの方へ走って向かって行ったので思わず「あぶないよ!」と言いました。でも弟は、お姉さんの方へまっしぐら。思いっきりブランコとぶつかりズサーァッ!!!っと倒れました。それはもう大泣きです。おでこがみるみるうちに青黒くなり私達はゾッとしました。幸いお姉さんの家は小学校の隣なのですぐに弟を連れて帰り、心配すぎて私達も一緒についていきました。家に着くと弟は泣き止み、たんこぶができていたのにも関わらず「もういっかい!」とブランコをせがむのです。お母さんも「うん、行っておいでー」と。私と友達...つづき
1997年生まれ

鉄棒でブランコ遊び

らんさん北海道 1997年生まれ 女性この遊びは幼稚園に通っていた頃の話です。遊んでいい時間になるとみんな遊具のあるところへ急ぎます。1番人気なのはブランコでした。ブランコはたった二つしかありません。幼稚園児なので譲るという概念はあまりみんなないので、早い者勝ちでした。たまにブランコは使えるものの、なかなか使えるタイミングがありません。そこで、私たちは鉄棒を使ってブランコを思いつきました。どのように?と思うかもしれませんが、ブランコする人は鉄棒にただぶら下がる、そして、ブランコとして遊ぶためにもう1人がその人の背中を押すといった形です。子供なので低めの鉄棒でもブランコとして利用可能なのと鉄棒の幅もあるので一つの鉄棒で2人は入れました。そこから鉄棒ブランコのブームも来ていたと思います!ですが、ある日私が鉄棒ブランコをする側で押してもらってたとき、あまりに勢いが凄かったので「もう押さなくていいよ!」と友達に伝えたものの止まらず、手が限界で落ちて、手を骨折しました笑。そこからその遊びはかなり減ったと思います。