青森県に住んでいた人が小学生の頃にした遊びの思い出

1996年生まれ

「天井のボールは思い出の象徴」サバイバルドッジをしていて

ぽたち太郎さん 青森県 1996年生まれ 男性 当時の私の通っていた小学校ではサバイバルドッヂというものが流行っていました。その名の通り敵味方の境をなくしたサバイバルのドッヂボールのことです。 内野、外野という境目もありません。人数制限もありません。ただただ、体育館をすべてフル活用した何でもありのドッヂボールです。 アウトになった場合は真ん中のバスケットボール用のセンターサークルの中に入り、サークルの中から外の人(まだアウトになっていない人)に当てれば復活できる。そんな感じのルールでした。 ルールの中にはボールを持った人は3歩以上歩くことは禁止、ドリブルの禁止などもあったと思います。 当然、アウトになっていない人が少なくなってくると、あの広い体育館で移動の制限があるわけですから、当てるチャンスが減ってきます。 そんなときのリセットの合図がボールを天井に高く蹴り上げる行為でした。リセットされると、アウトで真ん中にいた人たちも無条件で全員復活になります。 これをすることでアウトになった人たちからは、一瞬の羨望のまなざしを得られます。もうお気づきかと思います。良かれと思いボールを高く蹴り上げ...つづき
1964年生まれ

「ほぼ詐欺だろ!」ベーゴマの思い出

YOWAIZOさん 青森県 1964年生まれ 男性 初めてやったのは小学校1年の時だったと思います。当時はメンコが激烈に流行ってりましたが、少し上の年のお兄様方の間では、ベーゴマも流行っていました。 メンコに比べてベーゴマは大分高価であったため、小学1年の自分には手が出せずにいました。 ところが家族で街に食事に行った時に、酒に酔った父が程度のいいベーゴマを買ってくれました。ただし、家の中で自分だけで遊ぶという条件付き。 憧れのベーゴマを手に入れた自分は、うれしくなっていつもポケットに忍ばせておき、取り出してはしげしげと眺めておりました。 そこを目ざとく見つけた上級生のお兄様の一人が「教えてやるよ」と近寄ってきて、丁寧に紐の巻き方など教えてくれました。 そして試しにやってみようという話になり、実際に手合わせしたところ自分が勝ってしまいました。その時はタイマンだったので、1個手にいれたわけです。 その日はそれで終わり、また明日ということになったのですが、その日の晩はうれしくてうれしくて寝付けませんでした。もちろん家族には内緒です。 そして運命の次の日になったのです。ここまでくれば予想がつく...つづき
1990年生まれ

綺麗だったもの おはじきの思い出

ぺんぺんさん 青森県 1990年生まれ 女性 おはじきってヒラっぺったい透明なガラスの中かに色のついたガラスが混じり合った形の少し重たいやや楕円形のものじゃないですか。プラスチックだったかもしれません。小学生の時に遊んだのでよく覚えていません。 唯一、覚えているのはそのおはじきをおはじきにぶつけてテーブルの上に残ったおはじきは勝ち、みたいなことをして一人であそんでいました。 おはじき達をテーブルの上に並べて、まずは先に弾くおははじきを決めます。おはじきを決めると近くにあるおはじきをめがけて人差し指でそっと弾きます。間違えてテーブルから落とした場合は別のおはじきからスタートさせます。 弾き終えたらまたテーブル周りのおはじきを拾いまた繰り返します。そうやって時間がくるまで一人で永遠と遊んでいました。 おはじきは透明な部分がキラキラしていて、色がついてる部分は透けて、向こう側の世界が透けて見え、まるで別世界のようで何度眺めても飽きませんでした。 色んな色があり、色んな世界が見えて、私にとって異世界に迷い込んだかのようでした。
1963年生まれ

小学校の昼休みに遊んだ おはじき遊びの思い出

ナオミさん 青森県 1963年生まれ 女性 おはじきと言えば、小学校の昼休み時間にクラスのみんなで遊んだ思い出があります。その頃は何故かおはじき遊びが大流行していて、みんな一人ひとり自分のおはじき入れを学校に持って来ていました。 遊び方はシンプル。何人かで机の上に自分のおはじきを数枚出し、ジャラジャラとランダムに混ぜたおはじきの中から、ひとつのおはじきをもうひとつのおはじきに人差し指か親指の爪ではじいて移動させます。 その移動させた二つのおはじきの間を、別のおはじきをまた弾き飛ばしてくぐらせたら、そのくぐらせたおはじきは自分のものにできるというものだったと思います。 学校の机の上は思ったよりもすべりが悪く、指先で弾いてもけっこう進んでいかなくて、途中で止まったりすることもありました。そうすると次の順番のひとに取られたりして、なかなかスリリングな遊びだったと記憶しています。 あまりにも流行って学校中で昼休み時間におはじきをする人が多く。おはじきのやり取りでトラブルが起きたりして、おはじき遊びは禁止になってしまいました。
1983年生まれ

縄跳びの練習の甲斐があった思い出

maruさん 青森県 1983年生まれ 女性 縄跳びと言えば、小学校時代を思い出します。小学校の時縄跳びが体育の時間でしてから、みんなの中で縄跳びブームがありました。行間休みや、昼休み、みんなでレベルアップする為にたくさんの時間を使って練習してた思い出があります。 最初は普通の飛び方、その後は後ろ飛び、あや飛び、その後は後ろあや飛び、二重跳び、三重跳びと色々な飛び方を全制覇できるよう毎日練習してました。 みんなよりも早く飛んびたい、と思いが強くなり、学校から帰った自宅前でも練習に励んでた事を覚えています。 そして、小学校へ行くとみんなのこれできるようになったよ!の披露会。毎日、毎日、練習して、できるようになるととても嬉しかった事を覚えています。体育の時間は先生にも披露して、褒めてもらうのがとても嬉しかったです。 みんながほとんどできるようになると、大縄跳びをしたのが楽しかったです。1つの事をクラスのみんなで頑張って何回飛ぼう!とみんなで作った目標が達成できた時は本当に嬉しく、楽しい時間でした。縄跳びはそんな思い出があります。