1990年生まれ

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回転ジャングルジムで遊んだ思い出

minさん島根県 1990年生まれ 女性回転ジャングルジムはよく小学生の頃に公園で遊んだ思い出があります。公園に着くと最初に滑り台、ブランコで遊び次に回転ジャングルジムで遊んでいました。回転ジャングルジムはずっと遊べる遊具のひとつでした。最初に友達とじゃんけんをしてから誰が回すのかを決めて、「もう少し早くして!」と笑いあいながら遊んでいたことを思い出します。乗っている方と回す方の遊び方があり、乗っている側はとにかく楽しく笑いが止まりません。回す方は体力勝負であり、乗っている友達が楽しんでくれるように一生懸命走って回します。途中自分の中で最高速度を回して自分も一緒に回転ジャングルジムに乗り込む時が、回す方の疲れを癒してくれるのです。一生懸命走って回したので乗った時には汗をたくさんかいており、回っている時の風に当たっている時がとても気持ちが良かったと思い出があります。
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スリリングな登下校通学路 ランドセルへのイタズラ遊び

レノレノさん広島県 1990年生まれ 女性一緒に帰っている同級生の背後へこっそり忍び寄り、ランドセルの底面へそっと手を伸ばす。気付かれないようにかぶせの留め具を回し、ランドセルの中身が見える位置までかぶせを上へ跳ね上げさせることができれば、成功。いかに相手に悟られずににランドセルを開けることができるか。そのスリルが癖になり、小学校の登下校時は仲間内で駆け引きを楽しんでいました。この遊びを考案したのは私。当時見ていたアニメやゲームの影響で、スパイや裏組織のような存在に憧れを持っていました。表立った活動はせず、気配を消して活躍するような存在。自分もそういう人間になりたいと思い、足音を消して歩く練習をしていたこともあります。その延長で友人のランドセルの留め具を狙い始め、すっかりハマってしまったという訳です。しばらく経つと、いつの間にか私達以外のグループにもこの遊びは広まっていきました。ランドセルを開けられないようにみんなが後ろ手に留め具を抑えながら歩く、何とも奇妙な通学路の光景。少なからず考案者として責任を感じたものです。今ではランドセルも進化や多様化が進んで留め具の位置が違ったり自動ロック...つづき
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オリジナルカセットテープづくりの思い出

エスジーさん埼玉県 1990年生まれ 男性私が小学生の時は音楽を録音するものはまだカセットテープが使われていた時代でした。MDはすでに存在していましたが、MDコンポが必要で、カセットの方が身近だったと思います。友達とカセットテープの録音にハマり、レンタルしたCDや買ってもらった音楽を入れて交換したりしていました。カセットはスイッチ1個で録音できるのも特徴で、まるでDJのように何度も歌のフレーズを繰り返して録音したり、曲と曲の間を強引につなげたりと遊んでいました。それとよく覚えてはいませんが、マイクを利用して自分の声を入れたりもしていました。カセットは録音中に振動を受けると、微妙に音飛びしてしまいましたが、子どもだった私たちはむしろその変化を楽しんで、わざと入れていた気がします。そうして1つのカセットテープでお互いに録音しあい、オリジナルのカセットテープを作りました。何度も重ねて録音したので状態も悪かったのですが、自分たちで作った満足感がすごかったです。編集したり、構成を考えたり、小学生のレベルではありながらも、大きな経験になった遊びだと思います。
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ポケモンごっこの思い出

りすこさん群馬県 1990年生まれ 女性小学校2年生か3年生の頃まで続いていたごっこ遊びは、「ポケモンごっこ」でした。女の子たちはまだ「お母さんごっこ」と呼ばれている、おままごとを続けていましたが、ゲーム好きな男の子を中心に、さまざまな設定をしたポケモンごっこが流行っていました。外で暴れられる時はポケモンバトルでした。トレーナー役とポケモン役に分かれて、ポケモン役が戦う(じゃれあう)というシンプルなものです。放課後に我が家の大きな犬も、ガーディ役でポケモンバトルに参加して大喜びしていました。私はいきもの係だったので、むしとり少年か博士の役です。教室の虫籠の芋虫を3匹並べて選んでもらったり。絵の上手い子に頼んで、自由帳にキャラクターの絵を描いてもらって、ポケモン図鑑を作ったりしていました。主役の「お母さん」が取り合いになるおままごとや、「セーラームーン」が取り合いになるセーラームーンごっこと比べて、ポケモンごっこは、なりたいキャラクターがみんな違います。勝ち負けや場面の変わるポケモンごっこは、私たちにとって長引く喧嘩が起きず、運動が苦手な子が入っても楽しめる画期的な遊びでした。
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年下の子をみんなで守った思い出 色鬼

MAさん東京都 1990年生まれ 女性同学年のお友達とその妹と数人で色鬼ごっこをしていました。鬼が指定した色のものを触るというシンプルな遊びです。通常の走り回る鬼ごっこよりも年下の子がいても遊びやすいという事でみんなで決めました。ある子が、小さな妹さんの背が届きにくい場所や、走って行かないとたどり着けないような場所の色を指定したりと、わかりやすくその子を捕まえられるようにしていました。あまりにも続くため、みんなで「妹を守ろう!」と団結しました。高い部分はみんなで逃げながら妹を抱き上げ、触らせたりと可能な限りかばいながら逃げていました。なかなか狙いの妹を捕まえることが出来ないので、鬼がずっと変わらないままです。ついに、鬼が怒り始めました。しかし、こちらからすると弱い者いじめのように、不利な状況の子を狙っているその子の方が悪い!と完全にその場で言い合いに発展しました。大人になった今では、私たちも謎の団結をする前に、その子に一言言えばよかったのにと思います。当時は仕返しのような事をする事が一番の正義と思っていたようです。その場で色鬼ごっこは中断、解散となりました。子供のいいところは、喉元過ぎ...つづき
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お互いいじっぱりの思い出 探検ごっこ

ぼくのふゆやすみさん山口県 1990年生まれ 男性小学4年生の時、水曜日は学校が早く終わるので、友達の石田くんと森を探検して遊ぶのが定例でした。ただおしゃべりをしながら木の棒をもって森の中を歩いてたまに珍しい虫を見つけては捕まえたりしていました。ある日教育テレビでよくやってた「あいうえお」という歌の「いしころいっこころころっ」という歌詞が頭に浮かんで離れなくなり、何度も口ずさんでしまっていました。すると石田くんが怖い顔でこちらを見ていたので、何か発見したのかなと、近寄ってみると、軽くぶたれました。石田くんは、「いしころいっこころころっ」という歌詞で自分が馬鹿にされていると思ったのでしょうね。そこで殴り合いの喧嘩になり、その日は石田くんが走って帰ってしまいました。次の日も学校で目も合わせてくれません。こちらも意地を張ってしまい謝りもせずそのまま日々が流れました。定例の森の探検も無くなりました。そして小学校卒業の日になってしまい、卒業式の前にトイレでかち合いました。自然と「あの時はごめん」といえました。すると石田くんも「ぼくもごめん。」といって仲直りすることが出来ました。中学にはいってから...つづき
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綺麗だったもの おはじきの思い出

ぺんぺんさん青森県 1990年生まれ 女性おはじきってヒラっぺったい透明なガラスの中かに色のついたガラスが混じり合った形の少し重たいやや楕円形のものじゃないですか。プラスチックだったかもしれません。小学生の時に遊んだのでよく覚えていません。唯一、覚えているのはそのおはじきをおはじきにぶつけてテーブルの上に残ったおはじきは勝ち、みたいなことをして一人であそんでいました。おはじき達をテーブルの上に並べて、まずは先に弾くおははじきを決めます。おはじきを決めると近くにあるおはじきをめがけて人差し指でそっと弾きます。間違えてテーブルから落とした場合は別のおはじきからスタートさせます。弾き終えたらまたテーブル周りのおはじきを拾いまた繰り返します。そうやって時間がくるまで一人で永遠と遊んでいました。おはじきは透明な部分がキラキラしていて、色がついてる部分は透けて、向こう側の世界が透けて見え、まるで別世界のようで何度眺めても飽きませんでした。色んな色があり、色んな世界が見えて、私にとって異世界に迷い込んだかのようでした。
1990年生まれ

ゴム跳びと友達の思い出

ことさん岡山県 1990年生まれ 女性ゴム飛びは小学校の時になぜか一時期クラスのブームになりました。なぜなのかは思い出せないのですがクラスの女の子と一緒にゴム飛びを楽しんでいた事をよく覚えています。色んな曲で遊んでいたので、童謡のような曲やその時流行っていたKinKi Kidsの曲などをみんなで歌いながら遊んでいました。色んな技があったのですが私はあんまり上手くありませんでした。友達の上手な女の子は大変複雑な技を披露してくれてみんなの尊敬を集めていた事を覚えています。冬に運動場で転けるとかなり痛いので、転けないように必死にゴムを見ながら運動していました。一緒に遊んでいて転けてしまった友達が、泣きながら保健室に行ったら足の骨が折れていました。当時はとんでもない事をしてしまった、と思い非常に焦った事を今でも覚えています。小学校の頃の楽しい思い出の遊びなのでとても懐かしくなり、また体が動くならやってみたいなと思いました。