1976年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1976年生まれ

「コースを作って車を走らせたりもした」年齢によって変わる砂場遊びいろいろ

すんすんさん 兵庫県 1976年生まれ 男性 砂場での思い出と言えば、年齢によって異なります。 幼稚園の頃はひたすら山を作ったり、女の子と一緒にままごとをした記憶があります。その段階が終わると、次はトンネル作りにはまりました。 ただ山を作るだけではなく、山をしっかりと固めて、両サイドから慎重に掘っていったり、山の下の砂場の部分に穴を掘ったりしてトンネルを作りました。初めて貫通した時の喜びは今でも覚えています。 その次の段階として、砂場に道を作って、コースのようにしてミニカーを走らせていました。小学校高学年の頃に、ミニ四駆が流行すると、みんなで砂場でコースを作って競争させました。 ストレートのコースだけでは物足りなく、カーブを作ろうとしていましたが、ミニ四駆の力が強くて、カーブの壁を乗り越えてしまい、結局うまくカーブは作れませんでした。 その後は、ラジコンを走らせるために、砂場でコースを作りました。今思えば、ずっと砂場で遊んでいた子ども時代でしたね。
1976年生まれ

「ジャングルジムの痛い思い出」ジャングルジム鬼ごっこ

ちゅんちさん 兵庫県 1976年生まれ 男性 ジャングルジムでの思い出と言えば、みんなで鬼ごっこをしたことです。 範囲をジャングルジム内に限定して鬼ごっこをするのですが、段々と興奮してくると、注意がおざなりになってしまい、痛い思いをすることがよくありました。 一つ目は、鬼として追いかけている時に、前を逃げている子の足が顔に当たったり、自分の手が踏まれてしまうことです。 相手は全く悪意はないのですが、これがけっこう痛いので、小さい頃はここで誰かが泣いてしまい、遊びが終わりになるということがよくありました。 そして、もう一つ、痛いのが、これは自滅するパターンです。自分がジャングルジム内にいることを忘れて、思い切り立とうとして、ジャングルジムで頭を強打することです。 今、思い出してもあの痛みはたまりません。本当に脳震盪を起こして記憶がなくなるんじゃないかというぐらいの痛さでした。 そして、これは誰のせいでもない。自分のせいなので、誰かに八つ当たりすることもできず。ただ自分に腹が立つし、頭も痛いしで、本当に辛い思い出ですね。
1976年生まれ

ガキ大将に巻き込まれた「ケンカごっこ」でやりすぎてしまった話

ゆでたまごさん 大阪府 1976年生まれ 男性 ガキ大将と言えばケンカのイメージですが、だいたいは弱い人など殴ったりせず、相応の相手を選んでしていました。 私はおとなしく目立たない存在でしたが、成長期のタイミングの差からか、体が大きく力だけはありました。 そんな体格の良さからか、目をつけられたのか、ケンカごっこに巻き込まれてしまいました。 いつもは、ガキ大将の取り巻き同士でケンカごっこをしているのですが、飽きてきたのか私が目をつけられてしまいました。 まずは一番弱そうな子が私の相手に選ばれました。 ケンカといっても理由もなく殴り合いをする気も起きず、だいたいの人は「相撲もどき」の取っ組み合いでお茶を濁します。 そんな事とは知らない私は、ガキ大将と大勢の取り巻きに囲まれ、パニックになり、必至で腕や足を振り回しました。ガキ大将たちは、最初こそ混乱する様子を見てみんなで笑っていました。 私のほうが数十センチも身長が高く、必至に暴れるものだから、相手もたまったものではありません。 ガキ大将も「殴れ、蹴れ」とはやし立てますが、偶然当たった腕や足のせいでいつの間にか流血沙汰になっていました。 それ...つづき
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学校の運動場で遊んだキックベースとガキ大将

ヒロタさん 大阪府 1976年生まれ 男性 我々の世代はガキ大将といえばアニメや漫画ではバリバリの現役でした。 当の子供たちは、「ガキ大将なんてお父さんの世代の話でしょう」と思っていたわけですが、実際には、いかにもガキ大将といった子がいて、遊びの中心になっていたものでした。 小学校の頃の話ですが、私の学校では休憩時間といえばキックベースという遊びが流行っていました。キックベースというのは野球に似たスポーツです。 違いはピッチャー役の人が人の頭程度の大きさのボールを転がして、それを蹴るという事。そしてランナーをアウトにする方法がタッチだけではなく、ボールをぶつけてもよいという事でした。 ボールを蹴る力、そしてキャッチしたボールを相手にぶつける肩の良さが大事です。 他にもボールをキャッチする技術や足の速さも必要です。チームとしてのバランスを考えるのが大変です。 遊びの最初にはチーム分けをします。キャプテン同士でじゃんけんをして勝った方から順番にメンバーを決めます。 このキャプテンはもうガキ大将やライバルたちが必ず勝手に引き受けてしまいます。こういう所がガキ大将たるゆえんなんでしょう。 そし...つづき
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荷物持ちの罰ゲームなのにみんな喜んでいた

うさぎちゃん 福島県 1986年生まれ 女性 罰ゲームの代表と言えば、じゃんけんで負けたら荷物持ちというものがあります。 遊びの中と言うよりは下校中でのできごとではあるのですが、そういうのをよくやっている子たちはいました。 かくいう私はと言うと、障害があったので「持たせたら可哀想だよ」という理由でハブられていたという感じでした。 私も混ぜて欲しいという気持ちがあったので、寧ろ私にとっては持たせてもらえないということが罰ゲームのように感じました。 しかし、罰ゲームとは言っても荷物持ちをされている子たちがあまり苦痛そうではありませんでした。 人の役に立って寧ろ喜んで引き受けているという印象を受けました。 荷物持たせというのは、いじめのようにやる人たちもいると思うのですが、私の周囲ではそのような感じではありませんでした。 寧ろ罰ゲームをしたいという子が多かったのではないかなと思います。 私は病院からもあまり重い物は持たないようにと言われていたので寧ろこれで良かったのかも知れないです。
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今思いだすと恥ずかしい ”貧乏ごっこ”

いちごフェアさん 神奈川県 1976年生まれ 女性 小学生のころ、小公女セーラやマッチ売りの少女、フランダースの犬、など苦労しているけれど健気に生きている物語が大好きでした。 自分もその世界にどっぷりつかりたくて、一人でおままごとをする時には”貧乏ごっこ”をして遊んでいました。 押入れの中が家という設定で、薄暗い中お人形を相手に「こんな物しかなくてごめんね」「今日もおかゆだけだよ」「お母さん、寒いよ」など生活に苦しむ母子の会話を脳内再生し楽しんでいました。 いわゆる普通の家庭をモチーフにしたおままごとではない、背徳感のある遊びだと小学生ながらに感じていたので、貧乏ごっこは基本一人で遊ぶ時の特別な設定です。 一度だけ仲の良い友人と遊んだことがありましたが、その事などすっかり忘れ。大人になってからその友人と再会した時に、当時の貧乏ごっこをやった時の事を話してくれて、あの時は若干引いていた、と聞いたときには顔が熱くなるくらい恥ずかしくなりました。 貧乏ごっこのおかげか、現在は節約が大好きな主婦になっています。
1976年生まれ

ベーゴマを教えてくれた友達

たいさん 埼玉県 1976年生まれ 男性 小学生5年生の時、私は転校しました。引っ込み思案の子供だったので新しい環境にもなじめず友達もなかなか出来ませんでした。 学校の休み時間も一人で机にうつ伏していることが多かったのですが、ある時、H君が「君はベーゴマ持ってる?」と話しかけてきました。 私はベーゴマはおろか、独楽さえも持っていません。持っていないと伝えると学校が終わったら公園に来るように言われました。 学校から帰ってランドセルを置いて公園に行ってみると、H君とK君がいてベーゴマで遊んでいました。僕が近づいていくとH君が「はい」といってベーゴマとヒモを私に渡しました。 私は「やったことがないから出来ないよ」と伝えると、H君はヒモの巻き方と投げ方を教えてくれました。結局、その日私は、ベーゴマをまわせませんでした。 帰り際H君が言いました。「そのベーゴマをあげるから、練習しなよ。すぐ回せるようになるよ」私は家に帰ってからも、ベーゴマの練習をしました。 ベーゴマを見た父は懐かしいがって私からベーゴマを取り上げるといとも簡単に回しました。その後、父からも教わることでベーゴマを回すことが出来るよ...つづき
1976年生まれ

ぶらさがりの思い出

ぷくり子さん 沖縄県 1976年生まれ 女性 縁あって、私が通っていた小学校に娘も通うことになりました。 娘を見送りながら、久しぶりに校舎や校庭をながめると、小学生の頃に友達といろんな遊びをした事を思い出し、懐かしさでホッコリ。 変わらない物もあれば、変わった物もありました。 そんな中、校庭の片隅に苦手だった鉄棒が変わらず並んでいました。 体育の授業で鉄棒がうまく回れず、ぶら下がりも握力が弱かったのでダメダメでした。 そんなある時、鉄棒の上手な女の子と放課後遊ぶことになりました。 その子は、鉄棒が本当に好きなようで、体操選手かというくらいクルクル回っていました。 私もマネしてみようと鉄棒をつかみましたが、できないイメージが大きくて、ぶら下がって揺れているだけでした。 その姿を見てたのか、その友達が背中と背中を合わせて、後ろから押してくれ、まわる練習をに付き合ってくれました。 根気よく練習に付き合ってくれたこともあり、少しずつまわることが出来ました。 だんだんと上手くなってきたのをいいことに、調子にのちゃって鉄棒から落ちてしまって尻もち。 痛い思い出も浮かびますが、それ以上に一つのことを...つづき