子どもの頃に鉄棒をして遊んだ思い出を集めました。鉄棒遊びのルールと遊び方。
みんなで鉄棒遊びの思い出
もんちゃん 群馬県 1988年生まれ 女性 小さい頃から鉄棒遊びが大好きで得意だった私は、小学生に上がる前には、前回りと逆上がりはできていました。 周りのお友達はまだ逆上がりはできない子が多く、できる私は、得意気にお友達に逆上がりのやり方を教えていました。 ですが、少し調子にのっていたかもしれません。 逆上がりができるようになってから失敗したことがなかった私は、余裕ぶって逆上がりをして、お友達に「すごいでしょ〜?」と見せびらかせていたら…。 手が滑って地面に落ちてしまいました…。 とっても恥ずかしくなった記憶があります。 一回失敗すると、自信がなくなるのか、前回りでも失敗して落ちてしまったこともあります…。 でもお友達は笑ったりせず、「大丈夫?」と心配してくれました! 小学生の私でさえ、心配してくれたお友達の気遣いで、少しうるうるした記憶があります。 それからは、気をつけて遊ぶようになり失敗はないです。 そしてその失敗を機に、その時は逆上がりができないお友達を、少し見下していたかもしれないことに気づいたので「できなくても大丈夫だよ」っと優しい心でいられるようになりました。
鉄棒が嫌だった
こむももみじさん 静岡県 1991生まれ 女性 小学生の時鉄棒の授業鉄棒で思い出すことは体育の鉄棒のテスト。 出席番号順にテストしていくので「あ行の苗字」だった私は、いつも一番で(鉄棒にかぎらず・・・)した。 ホントに嫌だったな。 自分は運動が得意ではないので、尚更一番にやることが嫌でした。 鉄棒にまたがるとき女子でもそこそこ痛いです(どこがとは言えませんが)。コウモリという両足のみででぶら下がり逆さまになるやつを低い鉄棒でやって頭を擦ったりもしました。 鉄棒で遊ぼうとする日に限ってスカートだったりします。 でも気にせずやってたら男子に見られたりしました。 自分たちの世代から逆上がりの補助をしてくれる「沿っている台」みたいなものが設置されました。当時はもう高学年になっていたため、早くこういうものが欲しかったなという思い出があります。 小学校3年の娘も鉄棒が苦手で、逆上がり練習中に背中から落ちてトラウマになってました。 自分も当時は逆上がりの練習は大嫌いでしたが、たくさん練習したり、タオルを腰に巻くといいとか、いろんな方法で逆上がりの練習をしたことで自分なりにコツがつかみました。 出来た...つづき
鉄棒でブランコ遊び
らんさん 北海道 1997年生まれ 女性 この遊びは幼稚園に通っていた頃の話です。 遊んでいい時間になるとみんな遊具のあるところへ急ぎます。 1番人気なのはブランコでした。 ブランコはたった二つしかありません。 幼稚園児なので譲るという概念はあまりみんなないので、早い者勝ちでした。 たまにブランコは使えるものの、なかなか使えるタイミングがありません。 そこで、私たちは鉄棒を使ってブランコを思いつきました。 どのように?と思うかもしれませんが、ブランコする人は鉄棒にただぶら下がる、そして、ブランコとして遊ぶためにもう1人がその人の背中を押すといった形です。 子供なので低めの鉄棒でもブランコとして利用可能なのと鉄棒の幅もあるので一つの鉄棒で2人は入れました。 そこから鉄棒ブランコのブームも来ていたと思います! ですが、ある日私が鉄棒ブランコをする側で押してもらってたとき、あまりに勢いが凄かったので「もう押さなくていいよ!」と友達に伝えたものの止まらず、手が限界で落ちて、手を骨折しました笑。 そこからその遊びはかなり減ったと思います。
祖父が作ってくれた鉄棒
リオさん 山形県 1984年生まれ 女性 小学生の頃、一緒に住んでいた祖父が庭に鉄棒を作ってくれました。 どうやって作ったのかは当時の私にはよくわかりませんでしたが、祖父は土木の仕事をしていたので、その経験を活かして作ってくれたのだと思います。 本当に鉄の棒で作ってくれて、かなり頑丈な仕上がりでした。 近所の友達もよく家に来ては、その鉄棒で一緒に遊んでいました。 残念ながら私は鉄棒があまり得意ではなく、普通の前回りや逆上がりができる程度でした。 友達は得意だったので、鉄棒に乗った状態から足でつけた勢いで逆上がりをする『空中逆上がり』を連続で10回ほど回っていました。 私はクルクルと回っている友達を、すごいなぁと感心して見ていました。 今思えば、鉄棒を手作りしてくれた祖父のためにも、私も空中逆上がりを連続でできるようになるまで練習すれば良かったなぁと反省しています。 今はその鉄棒をすでに取り壊してしまって無いのですが、優しい祖父が私のために鉄棒を作ってくれたという思い出は今も私の心を温かくしてくれます。
鉄棒で逆上がりを練習した思い出
ニカさん 兵庫県 1982年 女性 小学校2、3年生位の頃でしょうか。体育の授業で逆上がりのテストがあるというので、出来なかった私はよく練習していたのを思い出します。 小学校の鉄棒の前には、逆上がりが上手く出来るよう、練習用の踏み板が置いてあって、それがとてもカラフルに塗られていたのでよく覚えています。 休み時間や放課後は学校で練習し、休日は親に電車で運動公園まで連れて行ってもらって練習をしました。 私には妹がいるのですが、どういう訳か妹は鉄棒が得意。 前回り逆上がりと、練習する私の隣でぐるぐるぐるぐる回っていました。 今思えば、初めての「妹に出来て私に出来ない事」だったような気がします。なので悔しくて、妹がどうやって逆上がりをしているのか盗み見ていました。 研究の結果、どうやら腕の力で身体を鉄棒に引き寄せているようでした。 小学校に置いてあった逆上がり練習用の踏み板は、ジェットコースターの出だしのレーンのような形をしていて、足で可能な限り高く駆け上がって逆上がりを助けるような構造になっていましたが、腕の力によるのであれば、あれは無駄かもしれないと学習しました。 その後運動公園で初めて...つづき
耐久鬼ごっこ
サカイさん 京都府 1992年生まれ 女性 当時私は小学校低学年で、休み時間に「高鬼」が流行っていました。 ルールはほぼ鬼ごっこと同じで、鬼にタッチをされたらその人がオニオ交代するというものなのですが、「高鬼」は、鬼より高い場所にいる人は捕まえられないというものでした。 ただし10秒以上同じ高い場所に留まることはできないので、走って逃げることと高い場所で休息を挟むことをうまく組み合わせて逃げる必要があるゲームです。 私たちがよく遊んでいた公園には、よくある高さの鉄棒と、ぶら下がることのできる大きな鉄棒がありました。 鬼以外のメンバーはしばしば鉄棒に座ったりぶら下がったりして鬼から逃れていたのですが、ある日の高鬼でヒートアップした鬼役の私とお友達のAちゃんは大きな鉄棒のところで睨み合いをすることになりました。 10秒数えているのにAちゃんが鉄棒にぶら下がって降りてこないのです。捕まりたくないAちゃんと、ズルだと大騒ぎする私。最後には体力の限界がきたAちゃんが尻もちをついて軽い怪我をしてしまい、私は母に叱られてしまった思い出があります。
ぶらさがりの思い出
ぷくり子さん 沖縄県 1976年生まれ 女性 縁あって、私が通っていた小学校に娘も通うことになりました。 娘を見送りながら、久しぶりに校舎や校庭をながめると、小学生の頃に友達といろんな遊びをした事を思い出し、懐かしさでホッコリ。 変わらない物もあれば、変わった物もありました。 そんな中、校庭の片隅に苦手だった鉄棒が変わらず並んでいました。 体育の授業で鉄棒がうまく回れず、ぶら下がりも握力が弱かったのでダメダメでした。 そんなある時、鉄棒の上手な女の子と放課後遊ぶことになりました。 その子は、鉄棒が本当に好きなようで、体操選手かというくらいクルクル回っていました。 私もマネしてみようと鉄棒をつかみましたが、できないイメージが大きくて、ぶら下がって揺れているだけでした。 その姿を見てたのか、その友達が背中と背中を合わせて、後ろから押してくれ、まわる練習をに付き合ってくれました。 根気よく練習に付き合ってくれたこともあり、少しずつまわることが出来ました。 だんだんと上手くなってきたのをいいことに、調子にのちゃって鉄棒から落ちてしまって尻もち。 痛い思い出も浮かびますが、それ以上に一つのことを...つづき