長野県に住んでいた人が小学生の頃にした遊びの思い出

1981年生まれ

「登下校時の一人遊び」石けりの思い出

昭和の少年時代さん 長野県 1981年生まれ 男性 私が小学生だった当時、石蹴りをしていたことを思い出します。 まずは、登下校時です。家を出ると同時に足元にある石ころを探します。大きすぎても小さすぎても、だめです。よく転がりすぎてもいけません。なぜなら、家から学校まで同じ石を蹴って転がし続けるためです。 通学路の川沿いや土手を白線に沿ってぎりぎりで歩きながら進んでいきます。何回も立ち止まって微調整しながら蹴っていったのでしょうか。登校時には時間上の制約から、雑な判定をとることも多かったです。 ある場所で別の石に乗り換えても良いことにして、他の石を蹴って無理やりゴールすることもありました。 たまに「ハンドあり」のルールになることもあります。 時間制限のない下校時は、立ち止まりながら蹴っていた記憶があります。 田舎とはいえ車も通行しており、横断歩道の通過時はロングパスで切り抜けていました。見かけた大人から何回怒られたのでしょうか…。 非常に難易度、危険性の高い遊びです。 とくに「サッカーが上手くなる」ようなこともありませんでした。
1981年生まれ

思う存分楽しんだ雪遊び 3種類

つららさん 長野県 1981年生まれ 女性 私の故郷は日本で有数の豪雪地帯でした。小さい頃はまだ融雪や除雪の設備が整っていなかったので、街中、自分の背丈よりはるかに高く雪が積もっていました。2階から家の中に入った記憶もあります。 幼少期にした雪遊びの思い出は何点かあります。 1つ目は学校帰りに自分の基地を作ったことです。空き地に積もった雪へ後ろ向きにバタンと倒れます。手で穴を掘ります。友達数人と自分のオリジナルの穴を作って基地にします。家に帰ってはまた戻り、そこでおやつを食べるのが楽しみでした。みかんを凍らして食べたのが美味しかったです。 2つ目は屋根からの雪を利用した滑り台。自然と落雪で雪が積もるので、そこを滑り台のようにしてソリで滑ります。工場などの屋根の下は多くの雪が積もるので長い滑り台ができます。 3つ目は、屋根に長いつららができていたので、氷柱に雪玉を当てると言うゲームです。みんなでやっていました。 寒かったはずですが寒さは覚えてないのが不思議です。
1989年生まれ

回る独楽の絵柄を虹色に出来なくて

あきびよりさん 長野県 1989年生まれ 女性 20年以上前のこと、我が家にはビデオテープに録画された「一休さん」のアニメに独楽に関するお話がありました。 「とある貴族の娘がもうすぐ誕生日。その娘は独楽が好きなので、みんなで自慢の独楽を持ちよりお披露目兼プレゼントすることに。その娘にプレゼントする独楽を作って欲しいと頼まれた一休さんは試行錯誤を重ね。ある独楽を完成させた。 誕生日当日、様々な独楽が貴族の娘の前で披露され、その後回してみせた。しかし止まっているときは素敵な柄だと思った独楽でも、回っている間はその柄が見ることは出来ない。 つまらない…そう貴族の娘が思っているところに一休さんの独楽が披露された。特に着色もされていない独楽に、上の平らな面に黒の数本の線が描かれているだけ。なんだあの独楽は!とその場がざわつく中、一休さんが言った。 この独楽は回すと不思議なことが起こります。それ!!と独楽を回し始めた一休さん。 その場の誰もが回る独楽を見守ると、突然独楽が虹色に色づいたのです。 独楽が止まるとやはり黒の数本の線があるだけ。なんとも不思議な現象に貴族の娘は大喜び!!それからその娘は、...つづき