宮城県に住んでいた人が小学生の頃にした遊びの思い出

1986年生まれ

ジャングルジムでの痛みと楽しさ

べこさん 宮城県 1986年生まれ 女性 ジャングルジムで思い出すのは、思い切り頭をぶつけて悶絶した記憶です。 学校の休み時間に友人たちとジャングルジムで遊んでいました。もうすぐ休み時間が終わると、皆が次々と離脱していくのに、私も慌てて続こうとしたときです。 運動神経が悪く素早く動けない私は、焦って身を乗り出し、丁度頭上にあったジャングルジムの枠に頭を激突! ぐわんと頭に衝撃があって、しばらく悶絶していました。友人たちはすでに誰もいなく、ひとり痛みと闘う私…。 痛さと寂しさが染みましたが、今思うとくすっと笑えてしまうエピソードです。 そんな痛い思いをしても、懲りずにジャングルジムで遊ぶのが大好きでした。 縦にも横にも動ける迷路に迷い込んだような楽しさがあって、そして何より、頂上からの眺めは最高です。 友人たちと駄菓子を持ち寄って、ジャングルジムの枠に駄菓子が入った袋をくくりつけて、少しずつ取り出しては、おやつタイムを楽しんだこともあります。 この歳になっても、あの時のわくわくした気持ちをまた味わってみたいな、なんてしんみり思うのでした。
1968年生まれ

ガキ大将とカブトムシの幼虫の思い出

ポーちゃん 宮城県 1968年生まれ 女性 私の住んでいる地区には同級生は3人しかいませんでした。 気が合わなくてもだいたい3人で遊んでいました。 3人のうちの1人が、体も大きく態度も大きく常に主導権を握っている人でした。 その子はいつも弟を従わせていました。 私は何かあるとすぐに頭をパカパカたたかれていました。 遊んだあとに泣いて家に帰って頭をたたかれたと母に訴えることが何度かありました。 たまりかねて母は、相手の親に苦情を言いに行ったことがありました。 その後、何事もなかったように誘われて私はその子の家に遊びに行きました。 その日は普通に遊んでいましたが、その子は弟に「あれを見せてやったら?」と何かを持ってくるように命じました。 庭から何かを持ってきた弟は私にそれを見せました。 それは大きく成長したカブトムシの幼虫でした。 虫が苦手な私はぎゃーっと泣きながら逃げました。 弟は面白がって追いかけてきました。 それをその子は大笑いしながら見ていました。 それ以来私はその子の家には行かなくなりました。 学校でもその子は親分でした。 中学に入るとヤンキー仲間の中心にいました。 その精神は小...つづき
1968年生まれ

「ある日突然」みんなで1人を無視をする遊び

ローラさん 宮城県 1968年生まれ 女性 小学校6年の頃、いつも5人くらいの仲良しグループで遊んでいました。そのグループは、クラス内で優等生で教師からいつも可愛がられている女子を目の敵にしていたグループでした。教師からは嫌われていました。 でも、皆そこそこの成績をとっていたので教師もかなり扱いにくかったと思います。そのグループ内で、おそらく私が一番成績が良かったと思いますが、リーダーではなく、参謀的な存在でした。 ある日の朝、登校すると教室内の空気がよそよそしくいつもと違う感覚がありました。友達に話しかけても視線を合わせてくれません。いつものグループで私に声をかける人はいませんでした。 その日を境に小学校卒業までの私は無視をされつづけることになりました。 とりあえず違うグループの人達に仲間にいれてもらったものの、どこか心に壁がありました。 修学旅行などはどん底のメンタルだったのでほとんど覚えていません。 いじめは無視だけでした。それでも私は毎日学校へ通うのがとても辛かったです。1年ほど耐えて考えて、その無視の理由をどうしても確認したくなりました。 陰でこっそり、話しをしてくれそうなグ...つづき
1968年生まれ

お手玉と祖母の思い出

harukiさん 宮城県 1968年生まれ 女性 お手玉と言って思い出すのは祖母です。私の祖母は厳しい人でした。 いつも正座しなさいとか、雑巾の絞り方があまいとか、家でも敬語を使いなさいとか細かいことを日頃から注意されていました。小さい時には従っていたけれど、小学生の頃には時に反発していました。 祖母は縫物がとても上手な人でした。お人形の着物を縫ってくれたりしました。お手玉も綺麗なちりめんの布で縫ってくれ。中身は小豆だった思います。 私はお手玉ができませんでした。お手玉でうまく遊べなくてたちまち不機嫌になりました。そんな様子を見て祖母はお手玉のお手本を見せてくれました。見たからと言って、すぐにできるものでもありません。 苦労してやっとコツをつかみ、2つは使えるようになりました。すると祖母は3つでうまく遊んでみせました。私は何度チャレンジしても3つでは遊べず。あらぬ方向へ飛ばす始末。それを祖母は笑って見ていました。 祖母と遊んだ記憶はそれしかありません。好きでも嫌いでもなかった祖母。あまり思い出らしい事がなかった中でお手玉は数少ない良い思い出かも知れません。
1992年生まれ

ザリガニ釣りのおもいで

こめさん 宮城県 1992年生まれ 女性 今から25年ほど前、母方の祖父母の家の近くには水が流れる大きな側溝がありました。末孫だった私は年の離れた従兄弟の遊びに一生懸命着いて行ったのを覚えています。 その頃流行っていた遊びが、その側溝でのザリガニ釣りでした。 今となってはザリガニは怖くて触ることなど出来ないのですが、幼い頃の私は怖いもの知らずで、尚且つ従兄弟たちに追いつこうと必死でその遊びに参加していました。 祖父は釣りが趣味だったこともあり、ザリガニ釣りの釣竿はたくさん祖父母の家にあったのです。 誰が1番早く釣れるか、誰が1番多く釣れるか、時間を忘れてみんなで競い合って遊んでいました。 みんなで大量に捕まえたザリガニを家に持ち帰った時、母親たちの悲鳴が響いたのが忘れられません。 捕まえたザリガニをまた同じ場所に戻しに行って、またみんなで勝負しようね!と約束するのがお決まりの流れでした。 今は危険な場所なので封鎖されてしまったのですが、そこの前を通ると幼い頃の無邪気な思い出がふと思い出されます。