岐阜県に住んでいた人が小学生の頃にした遊びの思い出

1996年生まれ

駐車場でのローラースケートと その後のスケート場の思い出

なおくん 岐阜県 1996年生まれ 男性 小学生の頃、私は両親から誕生日にローラースケート靴を与えられました。 私は何も欲しがらない子どもだったので、両親は悩んだ挙げ句、誕生日プレゼントとしてローラースケート靴を買うことにしたそうです。 今思うと、あの時の誕生日プレゼントをローラースケート靴にしてくれたことは、私にとって良い体験となったので、本当に感謝しています。 私の家は拡大家族で、大人はみんな車で仕事に行くので、駐車場は6台分の車が止まれる広さでした。 私が学校から帰ってくると、大人はまだ仕事から帰って来ていないので、駐車場には一台も車がなく、そこはスケートリンクの様でした。 私は毎日、夕方大人が帰ってくるまでの数時間一人で思う存分ローラースケートを楽しみました。 友達が私の家の前を通ると、当時ローラースケートを見たことがない子どもが多かったので、羨望の眼差しで見られて、何だか嬉しかったです。 住んでいたところが田舎の山奥で冬になると雪が積もり駐車場でローラースケートをすることが出来なくなります。しかし、丁度ローラースケートをもらった年に近所にスケート場が新しく出来。私は両親に連れ...つづき
1989年生まれ

パチンコ台づくりの思い出

harukazuさん 岐阜県 1989年生まれ 無回答 小学校の時、夏休みの工作で何を作ろうかと悩んでいた時、友達と一緒に「パチンコ台」を作ろうという話になりました。 一緒に材料を買いに行く中でビー玉をたくさん買い、玉の1つ1つの模様が違い、キレイに輝いていたことを覚えています。 いつしかパチンコ台を作ることよりもビー玉を転がして遊ぶことに夢中になりました。友達と指ではじいて当たったビー玉を自分のものにできるというゲームを始め。何度も繰り返しながら自分の好きな色、模様の玉を集めるのが楽しかったです。 不思議なものでお気に入りのビー玉は大切にしまっていたつもりなのに、いつの間にか無くなることがありました。 どこかで落としたのか、転がって隙間に入ってしまったのか分かりませんが、1つでも無くなったことに落ち込み。泣いてしまいました。
1989年生まれ

戦わずして遊ぶベーゴマ

harukazuさん 岐阜県 1989年生まれ 男性 小学校6年制の時、クラスの中でベーゴマが流行りました。私ははじめ、ベーゴマの存在も知らず遊び方もよく分かっていませんでした。 仲の良かった子がやっていたこともあり、コマを購入し戦っていくうちにベーゴマの魅力にとりつかれました。 相手のコマを飛ばして勝った時の快感は今でも忘れられないです。みんなで集まってワイワイ騒ぐこともとっても楽しかった。 ある時一人の子がどこから入手してきた情報なのか分かりませんが、「コマを削るときれいだし角がとがって強くなる」と言って自分のコマを削ってきました。 そのコマを見た時、キラキラと銀に光ったコマが本当にかっこよく、強そうに見えました。自分も真似してみたいと思い、やり方を聞きコマを削ってみました。 削られたところがきれいに光るのが嬉しく、オリジナルのものを作っている感覚がまた面白さを増し、みんなどんどんとこだわるようになっていきました。 いつしかコマを回して戦うよりも、いかにきれいなコマを作るかが主になっていきました。今はどこにいってしまったか分からないコマですが、思い出としてはずっと大切なものです。