2000 年代に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

2000年生まれ

初恋の思い出

タマゴさん 沖縄県 2000年生まれ 男性 私の住んでいた田舎には、小さな公園がありました。その公園には滑り台と雲梯、そしてぐるぐるジャングルジム(グローブジャングル)がありました。 田舎と言うこともあり、同級生の友達はそこまで多くなかったです。毎日遊ぶのは決まって、近所のみわちゃん、もえかちゃんと言う女の子でした。幼稚園生の頃からずっと幼なじみで、小学生に上がっても3人で遊ぶことが多かったです。 毎日、学校が終わっては3人でランドセルを背負いながら、誰が公園へ早く着くかかけっこ勝負をしていました。 私たちは雲梯で遊ぶのが大好きで、着いてからすぐに、両端から雲梯にぶら下がり、「ドンジャンケン」を楽しんでいました。私は、みわちゃんの事が好きでずっとみわちゃんのチームに入っていました。 その後、決まってみわちゃんは雲梯で遊び疲れ、ぐるぐるジャングルジムに入って休んでいました。 僕は外で全速力走り回り、ぐるぐるジャングルジムを回して、みわちゃんにちょっとした意地悪を楽しんでいました。 走り回って心拍数が上がったのか、みわちゃんに対する思いでドキドキしているのかその当時は有耶無耶にしていました...つづき
2004年生まれ

昔の思い出 ブランコのボール当て

くうきさん 山形県 2004年生まれ 男性 私が小学生の頃ブランコに乗る人と、ボールを投げる人に分かれて、ボールを当てられたら投げ手と交代する遊びをやっていました。 これをやり始めたのは小学4年生のころ、友達がいきなり「なぁなぁ、新しい遊び思い浮かんだけどみんなでやろうぜ!」と言い始めたことから始まりました。 最初にやった時は足でサッカーボールを蹴ってやる遊びでした。 しかし、蹴ったボールをうまくコントロールができず変なところに行ったり、怪我をしかけたりする人が出たことから、近所の人に学校へ報告されてみんなで怒られました。 結果、先ほども言った通り「手で投げて体のどこかに当てれば交代」みたいなルールになり、危険な要素が少し薄れながら面白い遊びが生まれました。 手投げのボールを交わすためにブランコで回って回避する、派生型の遊びも生まれました。
2003年生まれ

友達のおうちで 男装女装ごっこ

あおさん オーストラリア 2003年生まれ 女性 小学4年生の頃友達のおうちでよく遊んでいました。その日は女の子は男装して、男の子は女装してファッションショーのようなものをする男装女装ごっこをしていました。 今思うとこれだけでもとても謎です。 女の子のおうちだったので男の子はその子の服を借りていました。私はその子のお家にある男の子っぽい服装をしました。 もう1人の女の子はカウボーイの格好をしていました。その子が最初に登場して格好いいって言う歓声が上がりました。 私は普段から男の子っぽい格好を良くしていたので特に変化はなく、いつも通りじゃんと言われた記憶があります。せっかくならもっと変化のある格好がしたかったと思いました。 男の子達はスカートとかワンピースとかを着て、ランウェイという名の廊下を歩くときも、女の子らしくちょっと恥ずかしがりながら歩いていてとても面白かったです。 1人の男の子は細身で着こなせていましたが、もう1人の男の子はスポーツをやっていてガタイが良くてパツパツになっていました。
2000年生まれ

難しかったお手玉の思い出

うっぴさん 保育園 2000年生まれ 無回答 お手玉の思い出は、保育園のときです。若い先生が多い中、おばあちゃん世代の先生が手作りのお手玉を持ってきてくれて、遊んでくれた思い出があります。 保育園児の自分には、とても難しかった記憶があります。おばあちゃん先生は、難しそうに楽しんでいる園児たちをみて、ニコニコ笑って見守ってくれていたのを思い出します。 おばあちゃん先生のお手本は、上手にお手玉をポンポンとしていて、すごいな〜とキラキラ目を輝かせて、お友達と話していたように思います。 そして、その日にお手玉が上手に出来なかったのが悔しくて、自分のおばあちゃんに保育園での話をして一緒にお手玉をして遊んだのを思い出します。 自分のおばあちゃんは、すぐ身近にある靴下をくるっとまるめて、お手玉がわりにして遊んでくれました。 それも、簡単には上手に出来なかったけど、靴下を投げて遊んでいるのがおかしくてゲラゲラ笑いながら楽しんだ思い出があります。 それ以来、お手玉をする機会はありませんが、楽しかった記憶が残っています。
2002年生まれ

鬼ごっこと鼻血と滑り台

Narutoさん 沖縄県 2002年 男性 小さいころ、特に幼稚園にいたとき、園内の滑り台でよく遊んでいました。しかし今思うと、滑り台単体をみんな楽しんでいたわけではなかったように思えます。 私を含めて全員、鬼ごっこ等をするときに逃げ道の一つとして滑り台を使って、滑ることもあれば、滑り台を下から登って階段から下っていくという「逆滑り台」状態が多々起こっていたことを今でも覚えています。 今ではそんな危ないこともしなくなりましたが、あの頃はそういったことが心の底から楽しく思えました。 もう一つ滑り台で覚えているのが、友人がよそ見をしていたせいで滑り台に自分の顔をぶつけてしまい、それが原因で鼻血が出ていたことです。
2004年生まれ

ビー玉を使ったおもちゃ「ビーダマン」の思い出

くうきさん 山形県 2004年生まれ 男性 私が幼稚園から小学生にかけて、タカラトミーからビー玉を用いて遊ぶホビーが発売されました。「ビーダマン」というのですが、それを用いて缶や特定のターゲットを命中させる遊びをよくやっていました。 ビーダマンは対戦することも可能です。電動で動く壁を用いて先に多くのマーカー(というんですかね?)を打ち抜いたほうが勝ち、というゲームがあったり。ボーリングもできたりと多種多様の遊びができるホビーでした。 私自身も、ビーダマンはいくつか持っていました。友達と命中精度を競ったり、ビー玉の射出速度を競ったりしたものです。 他にも、ビー玉をおはじきのように弾いたり、ビー玉とビー玉の狭い間を潜らせたりもしました。ビー玉は球体なので、上手に弾いたり、潜らせることが難しいのですが、それが逆に面白い! 私はまだ高校生ですが、記憶の中では難しさの中にある楽しさを見いだせたのかなと思います。
2000年生まれ

嫌いな縄跳びが少しだけ好きになった思い出

hyontyeさん 東京都 2000年生まれ 女性 私は心底縄跳びが嫌いでした。なぜなら、縄跳びの技ができるようになったり、一定数飛べたら、ハンコが押されるノルマカードに、ハンコを押されることが一向に出来なかったからです。以来、小学生時代からずっと嫌いで飛びませんでした。 女子校に進学し縄跳びがありました。しかも、ノルマが加速し、1ハンコにつき技と回数両方ともに設けられてしまいました。加えて、縄跳びクリアのボーダー基準をこなせなければ補習時に呼び出されるとの事でした。 補習は夏休みにあり、貴重な夏休みを縄跳びに侵食されたくない一心で早朝と帰宅時に練習しました。高校生が縄跳びをすると目立ちます。気恥しさで、いっそう嫌いになりました。 好きで練習している訳でなく、本当は練習したくない気持ちと葛藤しながら日々練習しました。授業時にテストをされますが、時間内にクリア出来ず補習になりました。 で、渋々夏休みにやりましたが、私以外にも補習の人がいました。その補習の人の中では、1番最初にどうにか半日でクリアしました。ゆっくり飛んだり反則スレスレの行為をしましたが、練習の成果は出ていたと思います。少し...つづき
2002年生まれ

「DS鬼ゴッコ」のルールと遊び方

しんごパパ 埼玉県 1973年生まれ 男性 私は2002年生まれではないのですがこの遊びを紹介します。 2002年頃に生まれた子どもが小学生になる2008年頃、子供達の間では「DS鬼ゴッコ」なる新しい遊びが、流行しました。 デジタルのおもちゃを使った次世代鬼ごっこです。 ニンテンドーDSには、「ピクチャット」とう通信機能があり、画面にペンで書いた文字や絵を情報交換をしながら鬼ゴッコするもの。 【DS鬼ゴッコのルールと遊び方】 1、基本的なルールは鬼ゴッコと同じで、子は鬼から逃げる。鬼が子にタッチしたら鬼を交代の繰り返し。 2、子は、隠れながら「鬼がここにいる」「鬼が○○くんに変わった」などの情報を交換する。 3、鬼は、仲間のふりをして偽情報を流して仲間に近づき、いきなりタッチをしたりもできる。 4、チャット通信ができる範囲は30メートル程です。 5、同じようにピクチャットを使ってケイドロや、かくれんぼも出来ますね。 時代が変わっても、遊ぶ場所が少なくなっても創意工夫して、新しい遊び方を発想するんですね。 外遊びをするきっけかに子供さんに教えてみたらどうでしょう。 子どもたちに携帯電話や...つづき