1987年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1987年生まれ

寄り道の思い出

エリックさん 沖縄県 1987年生まれ 男性 通っていた小学校から自宅まで、子供の足で40分位の道のり。家が近所でいつも一緒に帰る仲良しメンバーがいました。 いつものように帰っていると、友達が『俺、近道見つけたってば』と言って、いつもの道から少し外れ、林みたいな森みたいな崖に案内してくれました。 今考えれば、人が通った形跡もなければ、確実に遠回りになることは明らかでした。しかし、その時の僕らはその友達の話を疑いもせず、むしろ冒険心が勝り、皆んなで競争して崖を登ったのを覚えています。 木の枝に刺さったり、足を滑らせ落ちそうになったりしましたが必死で登りました。そしてついに頂上まで登り着いたら…使われていない畑と井戸、古い木造の家がありました。 今まで知らなかった場所だったからか、登り切った達成感からなのか、なぜか、気分が上がりまくったのを覚えています。 そこで僕たちは『ここを秘密基地にしよう』と考えました。その日から毎日のようにそこに行き、段ボールや、マンガ、その他遊び道具を持っていき、集まって遊んでいました。 結局、家までの到着時間はいつもの2倍以上かかっていました。
1987年生まれ

「父大活躍」竹とんぼ作りの思い出

みのさん 大阪府 1987女性 小学生の低学年時、私は、小学校の理科の時間に竹とんぼを作った事があります。 子供でも作れる簡単なキットで、分厚い竹に串を刺しただけの簡単な物。あくまで、「空気抵抗を上手く活用すれば、宙に浮くことが出来る」を体験させる為の物であり、然程高性能では無かったでしょう。 それでも私は、自分の手で作った物が宙に浮かぶ経験が楽しくて、持って帰って自慢げに両親に見せました。 ところが、そこで、父の悪い癖に火が付いた。 手先が器用で、木材加工を趣味としている父は、「そんな分厚い竹では、飛べる高さも時間もたかが知れている。自分が作り直す」と言って、竹とんぼを取り上げてしまいました。 当時の私は、自分がせっかく作った物に手を加えられてしまう事が嫌で、大激怒。だが、そんな私を納得させ、黙らせるだけのスキルを父は持っていました。 自信ありげに笑う父は、私の目の前で、「ここをもうちょっと削ったら、重さが減るから、もっと飛びやすくなる。ここを、こういう形にすれば、より空気抵抗を上手く活用できる」と一つ一つレクチャ-しながら、器用に竹とんぼを削っていきました。 「父さんも子供の頃、こ...つづき
1987年生まれ

しりとりシーソー

moamoaさん 静岡県 1987年生まれ 女性 小学生の低学年の頃、学校内にあったシーソーが友人たちの間でブームになりました。 最初は普通に遊んでいたのですが、だんだんと飽きてくるようになると、しりとりと組み合わせて遊ぶようになりました。 ルールは簡単です。シーソーが下がるごとにしりとりのワードを言います。 特に縛りがないうちはとっても簡単なので、自分たちよりも小さい子と遊ぶときもこのルールで遊んでいました。 ただし、シーソーはスピードを上げることができるので、テンポよく答えないとアウトになってしまいます。だんだん慣れてきたら、食べ物や学校にあるものなど、縛りを入れてしりとりをするようになりました。 このしりとりを取り入れてからは、なんとなくシーソー遊びがブームになっていき、昼休みになったらシーソーへと集まるようになりました。 シーソーは1台で4人まで乗れるタイプだったので、仲良しの4人で一緒に遊んだ記憶が残っています。あるときシーソーが撤去されて遊ぶことができなくなりましたが、とても楽しかった思い出です。
1987年生まれ

初めて箱ブランコと出会った日

haniwaさん 静岡県 1987生まれ 女性 箱ブランコは、住んでいた家の周りにはありませんでした。ただTVなどでその存在は知っていました。楽しそうだな、やってみたいなと思っていましたが、家の周りにはないので、ちょっとだけ憧れのような存在でした。 ある日、近くに住む従兄妹の家族に行ったとき。両親たちが話している間、従兄妹同士で遊ぶことになりました。従兄妹の家の近くにある公園へ行くことにした私たち。 すると、そこにはTVで観ていた箱ブランコがあるではありませんか!しかも、誰も乗っていません。自分から言いだしたのか、従兄妹たちが言いだしたのか忘れましたが、すぐに箱ブランコに乗って遊ぶことになり、私はワクワク! ところが、想像とは異なりそんなに楽しくはありません…。当時、私はブランコが大好きで、保育園でもブランコによく乗っていました。ゆらゆらと高く揺れることが好きだったのですが、箱ブランコはそれほど高く揺れません。 従兄妹たちは楽しそうにしていますが、想像以上に揺れないブランコに私だけががっかりした思いを抱いていました。 見た瞬間、わくわくドキドキした思いでいたのに、実際乗ってみたら、ひど...つづき
1987年生まれ

初めての雪遊びの思い出

しゅりさん 愛知県 1987年生まれ 女性 幼稚園の頃に初めて雪遊びをしました。私が住んでいる地域は、冬でも殆ど雪が降らず。振っても少し舞う程度でしたが、その年は数センチ積もりました。 地面で雪が真っ白になったのを見たのは初めて。寒さも忘れてずっと外で足跡をつけて遊んだり、雪だるまを作ったりしました。 親に霜柱の存在も教えてもらい。踏むとサクサクと音がして、子供心にすごく不思議でワクワクしてずっと踏み続けていました。今は、アスファルトの場所がほとんどなので霜柱を見る機会もほとんどなくなってしまったので、とても貴重な思い出になっています。 近所の友達と集まって雪合戦もしました。雪合戦をしたのも初めてで、親が呼びに来るまで夢中になって遊んでいました。 もともと雪が少ない地域で、思いっきり遊ぶ場所も少なくなっているので、雪遊びをした思い出は私にとって本当に大切なものです。この先もずっと忘れずに心にしまっておきたいと思います。
1987年生まれ

王子様ごっこ

だいじろうさん 京都府 1987年生まれ 女性 小学校1年生のころ、「王子様ごっこ」が私のクラスの女子の中で一時期ブームになった。男子1名を王子様と勝手に設定し、その子のことを1日中「〇〇様」と呼ぶ。 もちろんその他の話し方だったり対応も、本物の王子様を扱うように行う。 何故か標的になった男子は逃げる(今思えば当たり前ですが)ので、休み時間は女子全員で王子役の子を追い掛け回す。 それが異様な光景だったのか、男子からクレームが多かったのか、親御さんから相談があったのかは分からないが、ある日終わりの会で先生が禁止令を出した。 〇〇様と呼ばない、追い掛け回さないという事を約束させられたが、子供なので急に終わることが出来ない。なので、一番人気だった1人の子だけに的を絞り、その子を完全なる王子様とした。 彼はシャイな子で、いつも恥ずかしそうにしていたが、マセた女子からしたらそれが可愛くて仕方がなかった。 しかし現実が見えてきたのか、2年生に上がる頃にはアイドルにハマる子が多く、誰も王子様ごっこをしている女の子はいなかった。 現実とは悲しいもんだなと、たまに思い出しては皆元気かなと思い出に浸ってい...つづき
1987年生まれ

色鬼ごっこをしていた時に…

ハリーさん 静岡県 1987年生まれ 女性 確か小学校低学年以下だったと思います。当時、色鬼が流行っていて、その日も色鬼をして遊んでいました。 私はあまり鬼をしたくなかったので、一生懸命色を探して逃げ回っていました。ただ、その日、鬼になった友達の狙いは私に絞られており、執拗に狙われていました。 がんばって逃げていたのですが、あと一歩というところでタッチされてしまい、私は鬼になってしまったのです。 その時、私としてはすでに指定された色のものに触れていたつもりでした。それなのに、鬼にタッチされてしまい。次の鬼だよと言われ。悔しさでいっぱいになってしまいました。 タッチされて声を掛けられた時にそれまでずっと狙われていたことや悔しさなどから、つい私は泣いてしまったのです。 突然泣き出した私に鬼だった友達は戸惑います。 私が泣きながら怒るので、友達も怒り、喧嘩に発展。その内に他の友人たちも集まり、更には先生まで駆け寄ってきました。 興奮状態の私はもうこの時には支離滅裂な言葉を話していたように思います。 先生に宥められ、少しずつ落ち着きを取り戻して行きました。鬼だった友達も落ち着いて、最後には私に...つづき
1987年生まれ

親との凧上げの思い出

パンさん 岡山県 1987年生まれ 女性 小学生の頃、お正月になると近くの公園で凧上げをしていました。公園は、遊具よりも広場の面積の方が広かったので、凧上げをするにはちょうどいい広さがありました。 空を飛ぶことに強い憧れがあった小学生時代、自分が飛ばすより、飛んでいる凧を見る方が好きだった記憶があります。親が上手く飛ばしてくれるのを追いかけながら見ているのがとても楽しかったです。 風が強い日は上手く飛ばせなかったり、上手くコントロールができなくて地面に激突させて壊したことがあります。その時は親に怒られるとビクビクしたことも、今では良い思い出です。怒られることはなかったですが、壊れてしまったので冬休み期間中に凧上げができなくなった寂しさもよく覚えています。 友達同士で上げる時には、近づきすぎて紐の部分が引っかかり解いていたら遊ぶ時間が終わってしまうこともありました。 それでも、順番に上げることだったり、離れて飛ばしたりと、今思えば子どもなりに失敗から学んで、ちゃんと考えて飛ばしていたんだなと感じたことでした。
1987年生まれ

長縄跳びは遊びではなく緊張する競技

あさのさん 栃木県 1987年生まれ 女性 縄跳びというと各々で飛び、何回飛べたか、どれだけ難しい技ができたかを競うのが一般的だと思います。 しかし私が小学5年生のころから縄跳びと言えば長縄跳び、それも8の字飛びが一番ホットな遊びでした。 クラス対抗戦、腕力自慢2人が長い紐を持ち、一人一人が次々と飛び3分間で連続して何回飛べるか競うものです。大会も設定されていました。 縄跳び大会に向けて各クラス練習を重ね熾烈な競いが小学校ながら勃発していました。大会の日までどのクラスが何回飛んだらしい、あるクラスが優勝候補だと噂が飛び交ったものです。 私のいた小学校は地方の公立学校でしたから様々な生徒がいました。その中には必ず体育が苦手な生徒もいるものです。 かくいう私がその一人で、おっとりしているために高速で回る縄についていけず、必ず縄がはけていくときに引っかかってしまうのです。 私が飛ぶ順番に来るとクラスメイト一同に緊張が走るのを縄跳びの練習のたびに感じていました。縄跳び大会の日まで胃が痛い日が続いたものです。 縄跳びが遊びの一種という認識かもしれませんが、そんなことありません。今でも縄跳びと言え...つづき
1987年生まれ

ゴム飛びを遊んでいたあの頃の年齢になった息子

かかのんさん 静岡県 家の近所の駐車場 1987年生まれ 女性 私がゴム飛びと聞いて思い出すのは、近所の友達と遊んだ記憶です。「3年生までは子供だけで自転車に乗ってはいけない」という学校の決まりがあったので、近所の友達と遊ぶことが多かったのです。 さらに学区の端に家があったため、帰宅後にまた学校で待ち合わせをして遊ぶのは、子供ながらに大変だとの思いもありました。 男の子の友達と遊ぶときは鬼ごっこや野球など、体を思いっきり動かす遊びが多かったけれど、女の子と遊ぶ時は「縄跳びの縄をゴム代わり」にしてよく遊びました。 近所の女の子といつも2人で遊んでいました。2人でも頭を使えばゴム跳びはできます。縄跳びの縄を柱に結んで固定し、一人が縄を動かし、一人が跳ぶ。それに飽きると、縄に当たらないようにくぐり抜けるリンボーダンスのような遊びをするのが私たちの鉄板でした。 縄跳びの縄が2本あれば、暗くなるまで2人で遊んでいられたあの頃。縄に当たりにくくするためなら真冬でも上着を脱いで、寒さもなんのそので遊んでいられたあの頃。 今は、小学校から帰ってくると、「遊びに行ってくる!」と、元気よく出かける息子の後...つづき