ケイドロ・ドロジュンの思い出

ケイドロ・ドロジュンの思い出

ケイドロ・ドロジュンの思い出
子どもの頃に遊んだ「ケイドロ、どろけい・ドロジュン・警察と泥棒」の思い出とエピソードを集めました。警察になって仲間と一緒に泥棒を捕まえたり、捕まった仲間の泥棒を助けたり、いろいろな世代の人が小学生時代に遊んだケイドロ遊びの体験談。

1974年生まれ

ヒーロー気分を味わえた休み時間の思い出 ドロジュン

ぼんじりさん 神奈川県 1974年生まれ 男性 小学校時代、雨天以外の休み時間は大抵クラスメートと共に校庭へ出ます。10名ずつチームを組みドロジュンをして遊びました。 校内は市内でも決して広いとは言えませんでしたが、それでも休み時間は大勢の生徒が外に出て遊びます。 建物の周辺はかなり入り組んでおり、ドロ側に回っても隠れる場所を見付けるのに大して困らず。決して不利ではありませんでした。 ドロ側で自分以外の友人が全て捕まってしまった時は、ちょっとしたヒーロー気分を味わえます。 警側の厳しい警戒を巧みに潜り抜けて本拠地に突入し、仲間全員を救い出した時の気分は堪りません。 普段は大人しくクラスでも目立たない存在でしたが、この時ばかりは仲間全員から感謝され、自分の存在感が大変大きくなったのを覚えています。 一方夢中になり過ぎて、休み時間が過ぎた事も気付かず隠れ続けてしまい。教室に戻るのが遅れ、担任教師に叱られてしまった経験も何度かあります。 中学以降は休み時間に思い切って校庭に出る機会も無くなり、今となっては良い思い出です。
1975年生まれ

逃げる範囲が広すぎる11階建てのマンションでの ドロジュン

なっつんさん 愛知県 1975年生まれ 女性 私が小学生の頃は「ドロジュン」と呼ばれている遊びをしていました。11階建てのマンモスマンションに住んでいたので、ドロジュンをやるには範囲が広すぎます。 いつもの仲間とやるのですが、マンションを縦半分のエリアに区切り、その範囲内だけと決めてからやりました。 しかし、半分と言え、11階まであり。戸数もかなりあるマンションでしたので人数が少ない時ほど、難易度が高かったです。 玄関に門戸がないマンションでした。人の部屋の前に隠れるところがあれば隠れ。時々、そこの住人が出てきてビックリされる事もありました。 皆、顔なども知れた住人でしたので、話しかけられる事もあり、それが見つかる決め手にもなります。 エレベーターは2基ありましたが、それを使うと見つかりやすいのと、住人へ迷惑がかかるため、禁止しました。 2時間ほど遊んでいた事もあります。 子供であれど、階段を行き来し、フロアを渡り、凄い運動量だったと思います。 時々、ルールを破って違うエリアに潜む子もいましたが、そういう子は次からは警察役にまわされました。 低学年の子供だったからできた遊びであり、大人...つづき
1978年生まれ

ケイドロが繋いだ人生 後に警察官になった友達

みーごれんさん 東京都 1978年生まれ 男性 小学生の休み時間は決まって校庭に出てケイドロをして遊んでいました。警察チームと泥棒チームの2チームに分かれて対戦します。 逃げるのが得意だったり好きな人は泥棒チーム。逆に追いかけたり捕まえることが好きな人は警察チームという具合に自然と構成されていました。私は主に警察チームでペアになって泥棒チームを捕まえていました。 捕まった泥棒は牢獄に入ることになるのですが、別の泥棒が牢獄内にいる泥棒にタッチすると、その泥棒は牢獄を脱走できるというルールでした。なので、ただ泥棒を追いかけて捕まえるだけでなく、牢獄を守ることも重要でした。 牢獄専門の人を3人セレクトし、貼り付けて見張りをさせれば、脱走は80%以上の確率で阻止できます。 ひたすら汗を流し無我夢中でケイドロにハマっていた小学生時代でした。 このケイドロ遊びの仲間から2人が本当の警察官になりました。大人になって再会してこの事実を知り、驚きました。 その二人は主に泥棒チームだったので、大人になって警察官になっている人生の妙味を味わいました。少年時代のケイドロが繋いだ人生だと思います。
1984年生まれ

「ケイドロの思い出」遊び方とコツ

おかずさん 岡山県 1984年生まれ 男性 私は小学生の頃、学童保育に通っていました。そこでよくケイドロをして遊んでいました。警察チームと泥棒チームに分かれて、警察が泥棒を捕まえるというゲームです。 サッカー場の半分を使っていました。サッカーゴールに警察に捕えられた人が集まっています。泥棒の全員が警察に捕まれば警察チームの勝ちです。 ある泥棒が、サッカーゴールで捕まっている別の泥棒をタッチすれば、警察から解放されます。 制限時間を設け、1人でも泥棒が生き残っていれば泥棒チームの勝ちです。制限時間は10分が多かった気がします。 泥棒が、捕まっている泥棒を立て続けにタッチして行けば、どんどん泥棒が解放されていくのですが、警察側はそれを阻止したいので、終盤は特に、サッカーゴール前に集結して、泥棒がサッカーゴールに近づいてくるのをマークしていました。 一方泥棒側は、1人でも生き残っていれば勝ちなので、終盤は捕まった泥棒をあえて助けずに生き残る。というのも作戦でした。
1992年生まれ

時間を忘れて遊び続けた小学校時代の思い出

ホワイトさん 東京都 1992年生まれ 女性 小学校時代に流行っていた遊びと言えば、ドロケイは外せません。 今思えば、誰が始めたのか、どこから流行ってきたのか分かりませんが、同じクラスの友達以外の違う学年の子もみんな知っていた遊びでした。 よく覚えているのは、中休みの時間になると誰かが“校庭集合”と合図を出すと、それがドロケイをやろうという意味。とにかく男女関係なくドロケイが始まっていました。 私はドロボウ役が面白くて、よくやっていたのですが、中休み中では決着がつかず、放課後に同じメンバーで集まって、続きをやるのがとても楽しかったです。 5時間目が終わりそうになると、みんながソワソワしだして、私も早く遊びたくて本当にワクワクしていた小学校時代でした。 私は小学校時代6年間リレーの選手だったのですが、それは日々警察から逃げるドロボウ役で逃げ回っていたおかげで、足が速くなり脚力もついたと思います!!更には身体能力も上がったと思います。 ドロケイで楽しかったのは、走り回るだけではなく、クラスや学校で人気の男の子と同じドロボウチームになると、助け合いながら逃げるという心理学的に恋に落ちそうな場...つづき
1983年生まれ

狭いところでは気おつけたい ドロケイの思い出

はるひこさん 東京都 1983年生まれ 男性 ドロケイは好きな遊びの一つでした。子供の頃は学校の遊具を上手に使って、公園ではベンチや鉄棒など、子供同士で考えながらルールを守ってやっていた記憶があります。 私が何より好きだったのは、泥棒の時と警察の時で全く違う心持ちで取り組むところです。 泥棒の時は、お宝を狙うために色々と考えて。 警察の時はその応用で逆をつく。さながら本物の様でした。 そして、もう一つ好きな所が、男女、年上年下、関係なくルールの中で楽しめる所ですね。足が遅くても、仲間と協力すれば目標を達成できます。 私は団地の様な場所で育ったので、子供は沢山いるのに性別年齢はバラバラでした。もちろん場所も限られます。その為遊びはみんなでできた方が良かったのです。 そんな意味でもドロケイは好きでした。 ただ、1つ注意が必要な事があります。それは、狭い場所で何人もが追いかけ合うので危いこともあります。 私には子供がいますが、彼らを見ていると目標しか見ておらず、あわやっという場面もしばしば。勝負事ですから、ついムキになってしまうのが子供です。なので場所と人数はなるべく少ない方がいいのかもしれ...つづき
1992年生まれ

クラスみんなでドロケイ

mnytさん 埼玉県 1992年生まれ 男性 この遊び、呼び方がいろいろあるようですが、私の周りではみんな「ドロケイ」と呼んでいました。そんなドロケイ、小学校4年生の頃にクラスで大ブームでした。 元々は、放課後によく一緒に遊んでいる仲良しグループの間で遊んでいたようですが、次第に他のクラスメイトにも広まっていったようで、最終的に昼休みとか学活の時間にクラスのみんなで遊ぶようになっていました。 校庭でやる時はいつも朝礼台が刑務所で、捕まっていない泥棒がこっそり台の下に隠れて、捕まった泥棒をどんどん解放します。 そうなると警察側は台の下をマークするようになって、その手が通じなくなるので子供なりにいろいろ戦略を考えて楽しんでました。 しかし、やはり最後に物を言うのは「走りの速さと持久力」です。運動音痴で走るのも得意ではなかった私は、泥棒をやればすぐに捕まり、警察をやれば誰も捕まえられな無い子でした。 それでも数十人の友達と一緒に遊ぶというのは今となっては出来ない、とても楽しい時間でした。
1988年生まれ

牢屋へ仲間が助けに来てくれた ケイドロの思い出

さくらさん 福岡県 1988年生まれ 女性 遊びといえばケイドロ!というくらい小学生時代は毎日夢中で遊んでいました。 警察が泥棒にタッチすると捕まるという遊びなのですが、私は走るのが遅いので、警察になっても誰も捕まえることが出来ず。泥棒になればすぐ捕まっていました。 グラウンドの端にある木の下が「牢屋」で、仲間が助けに来てくれるのをずっと待っていたことをよく覚えています。そんな走るのが遅い私ですがケイドロが大好きでした。仲間が助けに来てくれるからでしょうか? 現在私の子どもも小学生になったのですが、今でも「ケイドロ」は人気の遊びのようです。 昔からある遊びを子どももまたしているんだなと思うと嬉しいですし、子どものエピソードを聞くたびになんだか優しい気持ちになります。 たくさん走って転んで怪我して立ち上がって。捕まっても仲間が助けに来てくれて・・私の青春の1ページにもなっている。ケイドロで遊んだ記憶は友達の声、チャイムの音、空の色までよみがえってくるような大切な思い出です。
1972年生まれ

小学生のころのケイドロで遊んだ思い出

プリンさん 千葉県 1972年生まれ 男性 小学生のころは友達がたくさんいました。学校が終わったら近くの公園に行って、ケイドロをした記憶があります。 刑事とドロボーに分かれて、捕まえていくのですが、遊び方は鬼ごっこと同じようなルールです。 誰が刑事で、誰がドロボーか分かるように、体育でかぶる赤白帽を被って遊びました。 私の時にはケイドロかドロケーか覚えてませんが、どちらも遊び方は同じです。私がドロボーになって逃げていた時に、捕まることもなかったので、一人寂しくしていた時を思い出します。 刑事とドロボーのどっちが大変かと言ったら、絶対的に逃げる方だと思います。 刑事は捕まえるだけで心理上は、落ち着いた感じになってます。 ドロボーはホッとしていると急に捕まることもあるので、常に緊張状態は続いてました。その時私は足が遅かったので、すぐに捕まることが多かったです。