千葉県に住んでいた人が小学生の頃にした遊びの思い出

1967年生まれ

スーパーカーブームの頃の話

いしゅとさん 千葉県 1967年生まれ 男性 私が小学生の頃、校門の前で何かを売っていたおじさんに出会いました。 彼はいつも古い本や漫画、おもちゃなどを売っていました。私は彼の売っていたものに興味を持ち、何度か彼のところに足を運びました。 ある日、私は彼が売っていたスーパーカーのプラモデルに目が留まりました。それは古びた感じがあるものの、デザインは非常にカッコよく、私にとっては非常に興味深いものでした。 私はそのスーパーカーのプラモデルを手に取り、おじさんに「これ、値段はいくらですか?」と尋ねました。おじさんは笑顔で「300円だよ。でも、お金がなければ安くしてあげるよ」と答えてくれました。 私は幸運にも、その日お金を持っていたため、彼からそのスーパーカーのプラモデルを300円で購入しました。おじさんはスーパーカーのプラモデルを私に手渡し、「楽しんでね!」と言ってくれました。 私はそのスーパーカーのプラモデルを組み立てることができ、完成した時の達成感と、そのカッコよさに大興奮しました。家の中で飾ったり、友達と一緒に遊んだりと、非常に楽しい時間を過ごすことができました。 そのスーパーカーの...つづき
1997年生まれ

通称「消しバト」休み時間に消しゴムバトルの思い出

momochinさん 千葉県 1997年生まれ 男性 小学校の休み時間によく消しゴムバトル、通称「消しバト」をやっていました。 このゲームは、学校の机の上で遊ぶゲームです。それぞれが持ち寄った消しゴムを手で順番に打ち合って、相手の消しゴムを机から落とすゲームです。 何人かで遊んでいましたが、皆それぞれオリジナルの消しゴムを用意していたのが面白かったです。 学校の授業とは別に、可愛いキャラクター物の消しゴムを用意したり、机から落とされないように重い消しゴムを用意したり、それぞれユニークな消しゴムを持っていました。 休みの日に近くの文房具屋さんに行って、バトル用にどんな消しゴムを買おうかと見ているのが面白かったです。 消しバトは、消しゴムさえ持っていれば誰でも参加できるので、普段あまり話さなかった女の子とも、このゲームを通じて仲良くなれました。そのような点でも楽しかった思い出があります。
1988年生まれ

「悪ガキたちの集い」空き地の思い出

ゲオさん 千葉県 1988年生まれ 男性 小学生時代、学校からの帰り道に草木が生い茂った空き地がありました。その空き地の一角に秘密基地を作ることにしました。 空き地にある藁と木を集めて骨組みを作りました。その上に藁を乗せ、更にその上に枝をつけ、網目状に張り巡らして屋根を強化しました。 床には家から持ってきた新聞紙を敷き、約一帖くらいの秘密基地ができました。 秘密基地は夏と冬に一回ずつ作ったことがあります。 夏場は虫が多く猫の糞の匂いが気になりました。 冬は雪が降ってきて秘密基地が潰れてしまうことがありましたが、集めた雪を使って雪だるまを作ったり、かまくらを作ったこともあります。 かまくらは秘密基地を作るよりも簡単でしっかりと作れました。日が経過しても形を保っていた記憶があります。 そこは私有地であったので、今となれば入ってはダメなことが分かりますが、子どものころは何も分からず好奇心と興味だけで動いていました。
1984年生まれ

「4年3組だけの思い出」竹とんぼ作り名人の担任の先生

璃桜さん 東京都 1984年生まれ 女性 私が小学校4年生の時、担任の先生が竹とんぼ作りの名人でした。 ちょうど、小学四年生で図工担当の教師が指導する図工の授業が始まり、小刀を使う授業で竹とんぼを作ることになりました。 それまで、担任の先生が全校朝礼で作った特別な竹とんぼを披露していて、私達のクラスも頑張って先生に負けない竹とんぼを作るぞ!と指導を受けながら、校舎から体育館までの距離を飛ばせる竹とんぼを作りました。 小刀で竹とんぼを作り終え、暫くの間、休み時間はみんなで竹とんぼ競争をしていたある日、皆がさらに歓声を上げる出来事が起きました。 当時人気だったギャグ漫画のアニメの最後にあったミニコーナーで私達のクラスとその竹とんぼを披露することに。 以前から、担任の先生は色んなニュース番組などで、竹とんぼ名人として紹介されていましたが、まさかの大人気アニメのミニコーナーに出られるなんて先生も初めてのことだと言っていました。 放送された時間はとても短いものでしたが、私もバッチリ映っていて、今でも楽しかったね!とクラスメイトと話しています。
1972年生まれ

小学生のころのケイドロで遊んだ思い出

プリンさん 千葉県 1972年生まれ 男性 小学生のころは友達がたくさんいました。学校が終わったら近くの公園に行って、ケイドロをした記憶があります。 刑事とドロボーに分かれて、捕まえていくのですが、遊び方は鬼ごっこと同じようなルールです。 誰が刑事で、誰がドロボーか分かるように、体育でかぶる赤白帽を被って遊びました。 私の時にはケイドロかドロケーか覚えてませんが、どちらも遊び方は同じです。私がドロボーになって逃げていた時に、捕まることもなかったので、一人寂しくしていた時を思い出します。 刑事とドロボーのどっちが大変かと言ったら、絶対的に逃げる方だと思います。 刑事は捕まえるだけで心理上は、落ち着いた感じになってます。 ドロボーはホッとしていると急に捕まることもあるので、常に緊張状態は続いてました。その時私は足が遅かったので、すぐに捕まることが多かったです。
1971年生まれ

おさがりのローラースケート

あっき~さん 千葉県 1971生まれ 男性 小学生の頃、友達の間でローラースケートが流行り、自分もローラースケートが欲しくなりました。親にローラースケート買ってよと言ってもなかなか買ってもらえませんでした。 家には兄が使ってたと思われるローラースケートがあったので、仕方なくそれを履いてあそんでいましたが、いかんせん古くて、タイヤもゴムではなく硬いプラスチックのような素材であまり滑りませんでした。 ある時、近所の友達数人で土手のサイクリングロードに滑りに行こうぜということになり、みんなでローラースケートで行きました。 サイクリングロードを走っているとみんなとの差がどんどん開いてくる。全然すべらないローラースケートを履いて懸命に滑っているけど、全然ついていけない。 遠ざかる友達たちをみながら、ああ悔しい。 なんで俺は新しいローラースケートじゃないんだよ。 あいつがもってたゴムのぶっといタイヤのローラースケートめっちゃすべりやすそうだったじゃん。 おれもほしーなー、ああいうやつが。 と思いながらノロノロすべっていると、はるか先に行ってた友達たちが、もう引き返して来たので、屈辱的な気分でまた合...つづき
1994年生まれ

公園のブランコで立ち漕ぎ乗り

野球少年さん 千葉県八千代市まどか公園 1994年生まれ 男性 小学生の頃、放課後によく友達数名と地元のまどか公園という公園で遊んでいました。ブランコが4つある公園でそのブランコの前には大きな芝生が広がっていました。 小学生だった僕は、友達と一斉にブランコを立ち漕ぎをしてその勢いを利用して靴を芝生の方向に蹴り飛ばしその飛距離を争うという「靴飛ばしゲーム」に熱中していました。 当時野球のクラブチームに所属していたので周りより運動神経も良く。芝生を超えた先の木に直撃することもありました。距離で言うと30メートルくらいはあったかもしれません。 天気の良い日は良いのですが、雨あがりの次の日に靴飛ばしをした時は靴がグチュグチュになり、家に帰宅すると親に怒られた記憶があります。 ブランコでは二人乗りという遊びもしたことがあります。 一人が通常通りで座って、もう一人が立ち漕ぎを向き合う形で一つのブランコで漕ぎ合います。 座ってる方は立ってる方のが漕ぐたびに、股間が顔面に直撃します。しかし小学生だったのでそんなの気にせず無我夢中で楽しくブランコで遊んでいました。
1972年生まれ

幼少期の思い出 コマの回した方とコマを上手く回すコツ

プリンさん 千葉県 1972年生まれ 男性 私が子供の頃、友達とコマで遊んだことがあります。男の子同士で遊んでいた記憶があります。 コマにしっかりと紐で巻いて、コマを投げるのですが、一斉に回してどれだけ長く回っているかを競い合ってました。コマ用の紐が売っているので、その紐を使うとよく回ります。 下の床の状態でコマの回り方が変わります。フローリングですと溝に入ることもありますので、なるべく平らな所、コンクリートや板の上などが最適です。カーペットの上でも回すことができますが、回る時間も少なくなってしまいます。 長く回すにはコマの重量も必要だということがわかり、コマに重しをつけたのを覚えてます。コマの軸がとがっているほど長く回ります。 コマの上の部分に模様を描くと、回っときにすごく綺麗になるコマもあります。 コマを投げたと同時に手の平に載せたりすることもできましたが、今は幼少期から何十年も経ってるので、できる自身はありません。