月音山さん
新潟県 1975年生まれ 男性
自分たちの地域でも子供たちの遊びはめんこ遊びでした。
当時、駄菓子屋にはテレビのキャラクター、仮面ライダーやウルトラマンなどの絵が描かれためんこは大人気でしたが、そういっためんこは大型のめんこで、上手な子には簡単に負けてしまうことが多かったです。
子供が買えるめんこの多くは500円程度だったと記憶しています。そんなに頻繁にキャラクターの入っためんこは買えず、小さなあまり有名でないような絵のめんこで遊んでいました。
そんな時、ある同級生が給食中にふとあることに気づきました。当時、小学校の給食には牛乳が必ず出てきて、その牛乳は今と違って瓶詰めの牛乳でした。その牛乳の瓶には紙の蓋がついていました。
それに目を付けた同級生が、牛乳瓶のふたでめんこ遊びを始めました。ところが、使用済のその蓋は反っているためにすぐに負けてしまいます。
そこで考えた子がいて、牛乳会社の本社に「新品の牛乳瓶のふたが欲しい」旨の手紙と返信用に封筒を同封して送りました。すると、その牛乳会社から返信があり、たくさんの新品の牛乳瓶のふたが送られてきました。
それは硬く、真っ平らな新品のふたでした。そのふたは市販のめんこと同じくらいに強いものでした。
最初は県内の牛乳会社のふたパッチめんこで遊んでいましたが、だんだん県外の珍しい牛乳会社のふたパッチ、例えば下呂牛乳、神戸コーヒーなどの新品の牛乳パッチが流行るようになってきて、こぞって珍しい牛乳会社のふたパッチ集めが流行りました。
ふたパッチは軽いので、めんこのように叩いてめくるだけでなく、ローカルルールで机の脇から口で「パッ」と息を吹いて一打とみなすルールも生まれました。
給食中の思い付きから始まった、牛乳瓶のふたパッチ遊びは、めんことしての遊び方のほかに、コレクションとして、またローカルルールを生むなど大きな影響を与えました。
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