1998年に生まれた人が子どもの頃にした遊びの思い出

1998年生まれ

母と縄跳びの思いで

さくらさん 福岡県 1988年生まれ 女性 「お母さん見て!」と頬を赤くしながら必死に母を呼んでいた時が懐かしい。 運動が大の苦手な私が唯一出来る運動が「縄跳び」でした。 自宅に庭はなかったものの駐車場でいつも練習しては、室内で家事をしている母を呼ぶ。 母は合間で出てきてくれて、「おぉ!すごい!」と声をかけてくれました。 小学生になると毎年冬に縄跳び大会があり、前跳び、後ろ跳びが何回連続で出来るのかという記録をとっていました。 全員一斉に跳び始め、縄に足が引っかかった人や疲れてもう無理・・という人はその場に座っていく。 引っ込み思案で注目されるのが苦手だったけれど、いつも励ましてくれる母の顔を思い浮かべながら必死に跳びました。 すると私は最後の一人になるまで残ることができたのです。 それから30年以上が経ち自分が母になった今、子どもたちも縄跳びが大好きで 「お母さん見ててね!」頬を赤くしながら跳んでいます。 あや跳びや交差跳び、出来るようになっては何度も何度も。 その姿を見るたびに私の幼少期がよみがえる、母と縄跳びの大切な思い出です。
1998年生まれ

ゴム紐を跳ぶ娘にヒヤッとした思い出

ゆんさん 熊本県 1988年生まれ 女性 娘が小学校低学年の頃、近所のお友達、妹、弟五人でゴム跳びをしました。 始めはゴムの上を跳んでいく、とルールを決めて運動能力の高い子供たちの集まりだったようで私(163センチ)の胸下の高さまでなんなくクリアしていく子供たち。 ゴムにひっかかっても笑顔あふれる時間でしたが私の肩の高さまできたゴムを跳ぼうとしたわが子。笑顔で引っ掛かりにくるものだと思っていたら、本気で跳ぼうと全力で向かってきた娘。ゴムに引っ掛かかる予定でしたが、ゴムがぷつりと切れ、目の前には近所のお友達の車が…。ボンネットの上まで飛んでしまいました。 娘に怪我はなく、お友達の車にも傷はなく、なんとか無事に終わることが出来ましたがあの勢いで跳ぶ娘を目の当たりにした私や子供たち、そして娘自身もう二度とゴム跳びはしない。と誓うこととなりました。 今では息子が小学校の体育の時間にゴム跳びがあるそうで楽しいと話をしてきますが、私と娘はいつも苦笑しながら聞いています。少しだけ苦い思い出のゴム跳びでした。