1997年生まれ

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通称「消しバト」休み時間に消しゴムバトルの思い出

momochinさん千葉県 1997年生まれ 男性小学校の休み時間によく消しゴムバトル、通称「消しバト」をやっていました。このゲームは、学校の机の上で遊ぶゲームです。それぞれが持ち寄った消しゴムを手で順番に打ち合って、相手の消しゴムを机から落とすゲームです。何人かで遊んでいましたが、皆それぞれオリジナルの消しゴムを用意していたのが面白かったです。学校の授業とは別に、可愛いキャラクター物の消しゴムを用意したり、机から落とされないように重い消しゴムを用意したり、それぞれユニークな消しゴムを持っていました。休みの日に近くの文房具屋さんに行って、バトル用にどんな消しゴムを買おうかと見ているのが面白かったです。消しバトは、消しゴムさえ持っていれば誰でも参加できるので、普段あまり話さなかった女の子とも、このゲームを通じて仲良くなれました。そのような点でも楽しかった思い出があります。
1997年生まれ

校内かくれんぼ

らーんさん北海道 1997年生まれ 女性小学生の頃、クラス15人くらいで、放課後、校内を貸し切ってかくれんぼをしました。学校が3階建てで一階には体育館や保健室に理科室。2階には教室やpc部屋。3階に教室や化学室など様々な部屋がありました。鬼が4人と逃走者11人くらいでやりました。5分数えてから鬼が探し始めました。ドキドキワクワクでした。どこに隠れるかと色々考えて、3階の化学室のさらに扉を開けた先生の部屋に隠れました。足音が聞こえて、ドキドキしたけれど、そのままスルー。10分ほど乗り切りました。20分ぐらいすると次々に同じ階に隠れていた人たちの騒ぎ声が聞こえてきます。きっと捕まったのでしょう。そう考えるとドキドキとして鼓動が聞こえてくるくらいでした。そして30分ほどすると、『あとらーんちゃんと○○ちゃんくらいじゃない?』と鬼の声が聞こえました。鬼が化学室に再び入ってきました。『いらんでしょー!出てきなー!』との声も聞こえ、扉を開けられ、見つかってしまいました。滅多に出来ない経験、とても楽しかったです。
1997年生まれ

シーソーで罰ゲームの思い出

かぴばらさん富山県 1997年生まれ 女性幼いころ、近くの公園にあるシーソーで幼馴染と遊んでいました。そのシーソーは少し古く「ギーギー」と音がするようなもので、シーソーの両端の着地地点にはタイヤが埋め込まれていました。そのタイヤの部分の土が大きくえぐれていて、雨が降ったあと5日間くらいは水たまりになります。着地するたびにタイヤが弾み。その影響でその溝にたまった泥水がはねて足がドロドロになりました。親からすればやめてほしい遊びだとは思いますが、それだけでも幼い私たちにとっては楽しくて、雨のあとによくシーソーで遊んでいました。ただ学年を重ねるにつれ、服が汚れることへの抵抗が大きくなり、そのシーソーは罰ゲームとなりました。例えばカードゲームで遊んで負けたほうがシーソーをする。といったような用途となり、楽しい対象からちょっと嫌なものという印象になりました。現在、そのシーソーは新しいものに変えられ。着地地点のタイヤ部分の溝もきれいになくなりました。今ではいい思い出です。
1997年生まれ

初めての凧揚げ体験

貴ちゃん大阪府吹田市 1997年生まれ 男性私が初めて体験した凧揚げ体験は寒くて操るのが大変でした。学校のグランドや公園などに行き、始めは自分では飛ばせなかったので、親や先生などに飛ばしてもらい、安定したら自分で操っていました。風を読むのにタイミングが分からなく、人の掛け声に頼って飛ばしていました。高く上がった凧は空を舞っていますが、複数の凧が上がると凧同士がぶつかって上手く操作が出来なかったり、喧嘩したりするハプニング。糸が他の糸と絡まって、ほどくのに時間がかかるので大変でした。自分で創った凧の絵は遠くに飛ばすほど、描いてある絵が分からなくなり、目を細くしながら見ていました。小さい時には、お正月に自分で創った凧を持って来て、遊んでいたのを覚えています。
1997年生まれ

ビー玉キラキラ

からさん北海道 1997年生まれ 女性夏になるとお祭りなどでビー玉すくいが開催されます。小学校低学年の時に必ず友達4人と一緒に、限られたお金の中でビー玉すくいをしました。一回に6個くらい手に入ったはずです。それをお祭りが開催される時期に自転車で行ける範囲の場所であれば向かい。とにかくビー玉すくいをしました。全てのお祭りに参加したら30個くらいそれぞれ手に入ったかと思います。後日、その4人のうちの誰かの家にお邪魔し、友達のお部屋でビー玉を広げて交換会をします。事前に持っているビー玉を何個で交換するか紙に書いて、それぞれ好きな色や可愛いデザインは交換個数が3個。シンプルなものなどは1個など決めて交換しました。集めたビー玉は、水槽のようなものに水を入れてその中に入れて飾ったり、それぞれ思うままにデザインしてたと思います。それぞれのお家にお邪魔し、みんなの水槽のビー玉を眺めるのが日課でした!
1997年生まれ

長縄跳びの苦い思い出

えぬこさん埼玉県 1997年生まれ 女性自分が小学生の時のことです。あまり当時のことは覚えていないのですが、その中でも鮮明に頭に残っている稀有なエピソードです。みんなで体育の授業中に縄跳びをしていた時のことです。いわゆる大縄跳びというもので、迫っていた運動会の競争のために練習していました。みんなで2列ほどになって一斉に跳び、その跳んだ回数を数えていました。跳んでいる最中、誰かが縄にひっかかったらまた最初からカウントをはじめる…といった風にして練習しました。私は縄を回す側ではなく、跳ぶ側として参加していました。みんなでほとんど休むことなく練習し、もうそろそろ授業が終わろうか、という時になって、私が縄に足をひっかけてしまいました。その時ちょうど、校舎の方から授業の終了を告げるチャイムが鳴りました。完全に偶然で、クスッと笑ってしまうようなタイミングなので面白く感じましたが、同時に、みんなで一生懸命に跳んでいたのに、自分がその足を引っ張ってしまって申し訳ないな、と感じたことを覚えています。
1997年生まれ

フラフープ何個回せるかな?

からーさん北海道 1997年生まれ 女性小学生の頃「私の特技はフラフープです!」と言えるくらいにフラフープが大好きでした。フラフープを好きになったきっかけは体育の授業です。「自由に遊んでいい」ということになり、私はフラフープを回してみました。フラフープを簡単に回せた私は「何個かでも回せるのかな?」と思い。試しに3個を…それも回せました。じゃあ5個…できる。そしたら10個やってみよう!10個も出来ました。まるでバルーンスカートのように綺麗なフラフープでした。周りの子達もすごいと歓声を上げて、みんなは最大何個で回せるかとか、どれだけ綺麗に回せるかを競って遊んでました。多分、あの頃は15〜20個一気に回せた記憶があります。そのあと腰で回すだけでなく、首で回してみたり、手で回してみたりと、まるでサーカスの状態になっていました。あまりにも回すことが楽しい私は家でもやりたくなり、スポーツショップでフラフープを購入して遊んでいました。今もまだできるか試してみたいです。
1997年生まれ

楽しかったバナナ鬼の思い出

なー!さん北海道 1997年生まれ 女性鬼ごっこは広い場所と人がいれば成り立つので、小学生の頃によくやっていました。昼休みになれば、グランドでサッカーをする人たちをのぞいて、みんなで走り回ったり、体育館からスタートして鬼ごっこができるところまで逃げあったりしました。通常の鬼ごっこをすることが多かったと思いますが、氷鬼をやったこともありますし、バナナ鬼というものも遊びました。ケイドロ、ドロケイが流行ったのも覚えています。 私はバナナ鬼が好きです。バナナ鬼のルールは、鬼が15秒くらい数えたらスタートをして、みんなを探します。逃げている人が鬼にタッチされた場合、その人はバナナの真似をしてその場に止まり、助けを求めます。逃げている人が捕まった人を助ける時に、バナナになっている人の皮をむいてあげるような形です。捕まった人は皮をむいてもらったら自由に逃げられます。ただ、タッチだけではなく一工夫されていて楽しかった記憶があります。
1997年生まれ

お兄ちゃんとザリガニ

むーさん北海道 1997年生まれ 女性私たちは毎年夏、家族でキャンプに行ってました。キャンプは山の時と海の時もありました。小学3年生くらいの時に海のキャンプに行き、テントを立て、水着に着替えて海辺へ。お兄ちゃんとどっちが先にザリガニを釣れるか勝負しようとしました。海辺で15分葛藤して、ほとんど同じ時間でザリガニをゲットできました。しっかりザリガニを家で育てられるように水槽を用意しました。次の日の昼間、家に帰宅し、早速家の大きな水槽へ。2匹ゲットしたのでどっちがどっちか分かりませんが、私はマーチ、お兄ちゃんはヨーチとザリガニに名前をつけました。ちょうど、オスとメスだったみたいで、子供が産まれました。ものすごく小さなザリガニの赤ちゃんがたっぷり水の中にいて、すごく不思議な気持ちだったのを覚えてます。そこから赤ちゃんも数匹育ち、友達にも飼ってもらうようにしました。それから、育てていくと、海で取った子たちも天国へ。家の裏庭に埋めたのを覚えてます。ありがとうザリガニさん。しんごパパ追記 ザリガニは淡水にしかいないと思うので、もしかしたらショウグンエビのことなのかも知れない。
1997年生まれ

鉄棒でブランコ遊び

らんさん北海道 1997年生まれ 女性この遊びは幼稚園に通っていた頃の話です。遊んでいい時間になるとみんな遊具のあるところへ急ぎます。1番人気なのはブランコでした。ブランコはたった二つしかありません。幼稚園児なので譲るという概念はあまりみんなないので、早い者勝ちでした。たまにブランコは使えるものの、なかなか使えるタイミングがありません。そこで、私たちは鉄棒を使ってブランコを思いつきました。どのように?と思うかもしれませんが、ブランコする人は鉄棒にただぶら下がる、そして、ブランコとして遊ぶためにもう1人がその人の背中を押すといった形です。子供なので低めの鉄棒でもブランコとして利用可能なのと鉄棒の幅もあるので一つの鉄棒で2人は入れました。そこから鉄棒ブランコのブームも来ていたと思います!ですが、ある日私が鉄棒ブランコをする側で押してもらってたとき、あまりに勢いが凄かったので「もう押さなくていいよ!」と友達に伝えたものの止まらず、手が限界で落ちて、手を骨折しました笑。そこからその遊びはかなり減ったと思います。