1955年生まれ

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小学校の帰りの「型抜きの思い出」

DYさん東京都 1955年生まれ 男性思い起こせば小学校の頃です。当時のお小遣いは10円とか20円くらいで、100円を持って居る子はいませんでした。うちの家族は人数はいっぱい居たのですが、おばあちゃんが働きに出ている、おやじは1週間に1〜2度しか返ってこない(仕事が忙しいのと、少々遊んでいたようでした)、母親は結核で入院、一緒に住んでいるおじさん2人は大学生と高校生という状況での小学生でした。毎日貰った少々の小遣いを必死にためて、学校の帰りに何を買うのか楽しみにしておりました。1週間に1回くらいの割合で駄菓子屋や学校の前でおじさんが出している店に興味深々で行き、何かを買って帰るという生活です。今思い出されるのは小学校の校門の裏に自転車で店を出していた、型抜きのお店です。見本の形通りにウエハーみたいな台紙からハリの様な物でその形通りに形状を仕上げるというものでした。10〜20円程度の値段だったと思います。上手く出来ると飴とか、ソースせんべいの様なお菓子をくれるというものでした。チャレンジする形状の難易度によってもらえる物のレベルが上がります。楽しみはそのお菓子だけでなく、時間をかけてやる...つづき
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「ベーゴマと遊び仲間」最強ベーゴマの思い出

LongDYさん東京都 1955年生まれ 男性それはもう遠い昔です。私が10歳くらいの時の事ですからかれこれ50年以上も前の事ですね。当時やっと、テレビも白黒からカラーに成る時代でしたので遊びも限定的でした。家でやる遊びはトランプ、すごろく等、今では珍しくなっている物しかなく。中心は外での遊びです。学校が終わると年齢差1〜2年内の子供たちが集まり、まずは人数と場所が確保できれば野球。それもボールはソフトボールで大きさは軟球の大きさでした。人数が集まらない、場所が確保できない場合は、神社の境内に行ってめんこ、ビー玉、そしてベーゴマです。ビー玉、メンコ(牛乳瓶の紙のふたも含む)は比較的年齢が低くても簡単に出来るので、多くの子供たちがそのもの自体(ビー玉、メンコ)を賭けて遊んでいました。ベーゴマはその物自体に削りなどの手を加え、ひもを使っての回し方のテクニックは、年少にとっては難しい領域でした。割と高学年の少年向けの遊びと成って居ました。ベーゴマを回す台は、漬物桶の様な丸い台のふたを取った状態で布を上に置き、その周りをひもで縛り、丸くなった布の中心をほんの僅かたわませて中心をくぼませます。そ...つづき
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なつかしいなぁ~ビー玉は小学校の遊びベスト5に入るな

Valonさん北海道 1955年生まれ 男性あれは小学校の3・4年だったな。田舎は、こんな遊びをする場所に苦労しない。5mx8m位の、小さい倉庫の前の敷地だったかな。もちろん舗装もされていないから、地面は「釘指し」なんかもできる土だ。友達5~6人、多い時は、10人位いたかな。端に線を引いて、その反対に端から2m位の場所に、丸を書いて、そこにそれぞれのビー玉を置く。そこから1m位のところに線を引いて、そこから出てしまうと、ビー玉は没収されて、その丸の中に入れなきぁならない。そして、端に書いた線から、順番に持ってるビー玉を投げて、丸の中のビー玉を丸の中から出せば、自分のものになる。でも、そんなルールを覚えた記憶もないが、みんな知ってたな。持っているビー玉が増えたり減ったりする。当然負ければ悔しいし、勝てばうれしい。しかし、それで友達との仲が悪くなる訳ではない。ビー玉が無くなってしまった友達には、みんな1個ずつあげたりもしていた。こんなことから、人間関係を覚えていったのかな。暗くなる前まで遊んで、解散、また明日ということになる。あの場所の風景、友達の顔、ついでに近くの駄菓子屋さんまで、覚えて...つづき